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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

同調圧力 2/2

2019-12-19 05:10:04 | 文化

>たった一人で良いから「この卑怯なことを止めよう」と勇気を出して正義を貫けていたら、違った局面となったことだろう。

日本人には勇気がない。それは、個人に自己の判断基準がないからです。

>ここまでひどいケースでは無くとも、これに近いケースを教育現場で観たことがある。>愚かな間違いがあっても、なかなか上の立場の人が言い出したことを変えられない空気がある。

わが国は、序列社会 (上下社会・縦社会) の国ですからね。上意下達は習慣となっていますね。

>学校は、人が人を指導するところ、いわゆる「人治主義」の場所だからだ。

学校における個人 (判断) の確立が必要ですね。

> 「みんな違って、みんないい」と、金子みすず氏はポエムにした。>色とりどりの個性という花を咲かせて、この世界を自由で美しいものとしたい。>また、一人だけを「下」にしないで「一緒になれてうれしい」と感じることのできる世界、愛と思いやりという共感のあふれた世界を創りたいという願いがある。

日本語には、階称 (言葉遣い) というものがある。だから、上と見るか・下と見るか’ の世俗的判断は欠かせない。もしこの上下判断が疎かであると、日常会話にも差し支えるほどである。その上、日本人の礼儀作法は序列作法になっているので、世俗の序列判断が疎かであっては礼儀正しい日本人にもなれない。’序列なきところに礼儀なし’ である。

>自助努力と同じく、社会的包摂は、社会を築く上で重要な考え方である。

‘人を見損なってはいけない’ という想いが高められて強迫観念の域にまで達しているので、日本人の日常生活は堅ぐるしいものになっている。’頑張って’ とか ‘お疲れ様’ とお互いに声を掛け合って励まし合っている。’気楽にやれ’ (Take it easy.) とか、’うまくやれ’ (Good luck.) とかいった雰囲気にはとてもなれない。

> 教育界で道徳が必要だと叫ばれて久しい。>宗教、真善美の哲学、さまざまな思想から導き出される「道徳」は質的に高みがある。

修身の徳目は借り物にすぎませんね。紋切型の道徳では現実生活には役立たない。各人に哲学は必要です。Everyone needs a philosophy. 自己の哲学 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、その人は批判精神 (critical thinking) の持ち主になることができます。ご唱和の世界から脱出できます。

>一方で、より実践に即した「道徳」は、行動を伴う経験によって、教師のスキルも磨かれていくという側面も忘れてはならないと思う。

そうですね。個人の哲学に従った行動が必要ですね。

>高みのある思想と実践とにかけ橋をかけること、それは、日々の努力と創意工夫の汗の結晶でしか生まれえない橋だ。

自己の哲学の内容と現実の内容との折り合いが個人に悩みと励みを与えますね。

>教師こそ、常に謙虚な姿勢で反省し、教育力を向上させていってほしい。

日本人には意思がない。だから、加害者意識もない。在るのは被害者意識ばかりである。
罪の意識もない。だから、深刻な反省にも至らない。これが我々日本人の大きな問題でしょうね。
意思の無い人には方法 (仕方) もない。だから、無為無策でいる。これが問題でしょうね。


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同調圧力 1/2

2019-12-19 04:50:01 | 文化

>伊達政宗 ( 会社員 ) 19/11/14 PM10 【印刷用へ】 >リンク >同調圧力と「いじめ」の関係、不幸にならない考え方とは
>最近、ネットのコラムかなにかで、「同調圧力」という言葉を知るに至った。>多くの場合、否定的な意味合いで使われていた。>そこでは、卒業式で感じたことが紹介されていたと思う。

それは没個性の話になるでしょうね。

(略)
>レンタルで色とりどりの着物や袴を選ぶことができ、ヘアーやメイク、着付けサービスもついているので、卒業年の夏ころから人気店は予約で満杯だ。>その女子学生は、自分でよく考えた後、式ではスーツ姿を選び、謝恩会ではドレスを選んだ。>ところが、その席で、周囲の女子たちから「どうしてスーツだったの?お金がなかったの?」と聞かれてしまったという。

その質問は日本人の得意な忖度 (推察) によるものでしょうね。

> 日本でよくある「あるある話」である。>彼女はこの「同調圧力」のため、せっかくの式が楽しい思い出にはならなかったという。

そうですね。我々の同調圧力は、ご唱和の世界を出現させていますね。

>彼女は不快だったのだ。>彼女の選択は筋がとおっているし、それぞれ独立した精神を持っているはずなのに。>どうして、他人と一緒でなければならないの?

それは、我々の自由ですね。
自由とは、意思の自由のことでしょう。しかるに、日本人には意思というものがない。
意思は未来時制の文章内容である。だが、日本語の文法には時制 (tense) というものがない。
だから、日本語の脳裏には未来時制は無く、日本人には意思 (will) がない。

>このように日本では、「みんな一緒が良い」という、空気が支配するイベントなどが結構ある。>いわゆる就活も、なぜ皆、同じ黒いスーツ姿、白いシャツ、黒髪、女子なら頭髪を後ろに結ぶ?なんとなく女子中学生に戻ったがごとくである。一緒でないと不安なのだろうか。

とかく幼児は他人のことが気になりますね。

> 一方、日本の小中高校の中には、公立、私立を問わず、制服が決められ、校則も厳しい学校もある。>そこには、子どもたちに、公私の区別を教え、公的な空間で規律正しくふるまうことを教えるメリットもある。>服装規定に従う、時間を厳守する、校則を守る、これらを通じて、自制心や自律の精神を教え、それが大人になった時の経済活動の下支えになることも充分に理解できる。

経済活動の下支えとは、ロボット作業に置き換えられる分野に関する話ですね。

>しかし、フォーマルの基準を外さず、選択の自由が許されている大学の卒業式で、しかも成人している身で、スーツ姿を自由意思で選んだ女性を奇異な目で見ることは、精神的な「いじめ」と捉えられる可能性はあるのだ。

考えは、人様々ですからね。奇異であるかないかは人によりますね。

> 最近、教師による教師に対する集団「いじめ事件」が起きた(注:神戸市の公立小学校での教師間暴力事件)。>様態を聞くと、なぜ先生たちがこんなことをしたのかと誰もが思うはずだ。

そうですね。

>それに至るには、小さな段階、決して踏み越えてはいけない幾つもの段階を、「同調圧力」が踏み越えさせてしまったのではないだろうか。>だれもこの圧力に逆らえなかったのではないかと推測している。

わが国には、個人 (判断) がない。だから、 あとは (大衆への) 同調しか残っていない。

>もしそうなら憂慮すべきことだと思う。

本当に憂慮すべきことですね。


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