>■お上の要請に従う者と従わない者
>それが現在の「緊急事態宣言」の状況下におかれても国民への「要請」を立て前とするのは、この統治客体意識、すなわち「お上」意識によって立つところにある。
そうですね。政 (まつりごと) はお上の仕事ですからね。意思の無い日本人の客体意識ですね。
>お上のいうことは絶対であるという無意識のうえに、行政側が、「お上」のいうことだから聞いてくれるよね、とする「要請」の正体。
心理効果というのか世俗的な上下感覚による効果ですね。言語に基づく効果でしようね。
> 実際に真面目な日本人はそれに従う。>むしろ、そのほうが多いことは現状を見ての通りだ。
日本人は、序列メンタリティ (考え方) には抵抗できないですね。言語は伝達の手段であると同時に、考える手段でもありますからね。日本語の枠内で考えるとそうなりますね。
>だが、それに従わない者も出てくる。>新型インフルエンザ等対策特別措置法では、「協力要請」からはじまって、「要請」「指示」へと自治体は厳しくしていくことができる。 >最初の段階で営業自粛に従わない場合には、「お上」は店名を公表するなどして、ギリギリと締め上げていく。
お上は、なるたけ手荒な真似はしたくないですからね。心理効果が頼みの綱ですね。
> 統治客体意識の訣別を目指した20年前の構造改革とはなんだったのか。
意思の無い日本人に客体意識の決別を期待するのは無謀ですね。太平洋戦争の開戦のようなものか。別に筋があっての方策で開始したのではない。無謀の構造改革でしようね。この道はいつか来た道。
>そう疑問になるような、国民の「お上」意識に依存して、この難局を乗り切ろうとしている。
そうですね。日本語の階称は威力がありますからね。為政者は、安易な方策しか思いつかないでしょうね。
>だが、それもいずれは「指示」に変わってしまう。>罰則はないとはいえ、それに代わる合法的措置も検討されるはずだ。>「お上」の仕返しが待つとすれば、その効果はてきめんだ。
そうですね。それは序列社会に特有な効果ではないでしょうか。
>それでも、あくまで法的には「要請」なのだ。 >その真意は国民が察しなければならない。
そうですね。恣意的ですね。なあなあ主義ですね。なあなあ主義: 真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませること。
>しかも「要請」であり「自粛」であるとすると、国がその損失分を補償する必要もない。
そうですね。政府は上手いことを考えましたね。気楽なものですね。
>東京都は営業自粛に応じた事業者に協力金を支給することをいち早く表明し、他の自治体もこれにならう方向だが、この「緊急事態宣言」が長引けば、それでいつまでも耐えられない。>もっとも、事後チェック型の社会であれば、あとで補償を求めて国や自治体などを提訴すればよい。
そうですね。事後チェック型の社会であれば提訴になる。そうでなければ、’後は野となれ山となれ’ ですか。
>その為に構造改革があったはずだ。
そうですね。頭の中の構造改革が先でしょうね。
>すでに訴訟社会のアメリカでは、ミズーリ州が新型コロナウイルスを蔓延させた元凶として、中国政府に対し、賠償を求める訴えを起こしている。
アメリカ風ですね。日本人には及びもつかない。
> 一方で、裁判沙汰を嫌い「お上」に楯突くことを嫌う日本人に、「お上」を訴えることができるだろうか。
お上の祟りは恐ろしい。桑原・桑原。神話の世界に住んでいる。
>できないのなら、そこは真面目に「要請」に従うしかない。
そうですね。我々は、従順な日本人になるしかありませんね。日本人は忍耐強いとの評判があります。
カレル・ヴァン・ウォルフレン氏は、<日本/権力構造の謎・上> (The Enigma of Japanese Power) の <ジャパン・プロブレム> 中で、日本語の”理解”について下記のごとく述べています。(p.59)
、、、、ところが、たとえば日本語で「わかってください」というのは、「私の言っていることが客観的に正しいかどうかはともかく、当方の言うことを受け入れてください」という意味の「ご理解ください」なのである。つまりそこには、どうしても容認してほしい、あるいは我慢してほしいという意味が込められている。したがって、このように使われる場合の”日本語”の理解は、同意するという意味になる。だから、”理解”の真の意味は、その人や物事を変えるだけの力が自分にない限り、そのままで受け入れるということである。、、、、、(引用終り)
(略)
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