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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

客体・主体 2/2

2020-07-11 05:19:09 | 文化

 

>■お上の要請に従う者と従わない者

>それが現在の「緊急事態宣言」の状況下におかれても国民への「要請」を立て前とするのは、この統治客体意識、すなわち「お上」意識によって立つところにある。

 

そうですね。政 (まつりごと) はお上の仕事ですからね。意思の無い日本人の客体意識ですね。

 

>お上のいうことは絶対であるという無意識のうえに、行政側が、「お上」のいうことだから聞いてくれるよね、とする「要請」の正体。 

 

心理効果というのか世俗的な上下感覚による効果ですね。言語に基づく効果でしようね。

 

> 実際に真面目な日本人はそれに従う。>むしろ、そのほうが多いことは現状を見ての通りだ。

 

日本人は、序列メンタリティ (考え方) には抵抗できないですね。言語は伝達の手段であると同時に、考える手段でもありますからね。日本語の枠内で考えるとそうなりますね。

 

>だが、それに従わない者も出てくる。>新型インフルエンザ等対策特別措置法では、「協力要請」からはじまって、「要請」「指示」へと自治体は厳しくしていくことができる。 >最初の段階で営業自粛に従わない場合には、「お上」は店名を公表するなどして、ギリギリと締め上げていく。

 

お上は、なるたけ手荒な真似はしたくないですからね。心理効果が頼みの綱ですね。

 

> 統治客体意識の訣別を目指した20年前の構造改革とはなんだったのか。 

 

意思の無い日本人に客体意識の決別を期待するのは無謀ですね。太平洋戦争の開戦のようなものか。別に筋があっての方策で開始したのではない。無謀の構造改革でしようね。この道はいつか来た道。

 

>そう疑問になるような、国民の「お上」意識に依存して、この難局を乗り切ろうとしている。

 

そうですね。日本語の階称は威力がありますからね。為政者は、安易な方策しか思いつかないでしょうね。

 

>だが、それもいずれは「指示」に変わってしまう。>罰則はないとはいえ、それに代わる合法的措置も検討されるはずだ。>「お上」の仕返しが待つとすれば、その効果はてきめんだ。

 

そうですね。それは序列社会に特有な効果ではないでしょうか。

 

>それでも、あくまで法的には「要請」なのだ。 >その真意は国民が察しなければならない。 

 

そうですね。恣意的ですね。なあなあ主義ですね。なあなあ主義: 真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませること。

 

>しかも「要請」であり「自粛」であるとすると、国がその損失分を補償する必要もない。 

 

そうですね。政府は上手いことを考えましたね。気楽なものですね。

 

>東京都は営業自粛に応じた事業者に協力金を支給することをいち早く表明し、他の自治体もこれにならう方向だが、この「緊急事態宣言」が長引けば、それでいつまでも耐えられない。>もっとも、事後チェック型の社会であれば、あとで補償を求めて国や自治体などを提訴すればよい。

 

そうですね。事後チェック型の社会であれば提訴になる。そうでなければ、’後は野となれ山となれ’ ですか。

 

>その為に構造改革があったはずだ。

 

そうですね。頭の中の構造改革が先でしょうね。

 

>すでに訴訟社会のアメリカでは、ミズーリ州が新型コロナウイルスを蔓延させた元凶として、中国政府に対し、賠償を求める訴えを起こしている。

 

アメリカ風ですね。日本人には及びもつかない。

 

> 一方で、裁判沙汰を嫌い「お上」に楯突くことを嫌う日本人に、「お上」を訴えることができるだろうか。

 

お上の祟りは恐ろしい。桑原・桑原。神話の世界に住んでいる。

 

>できないのなら、そこは真面目に「要請」に従うしかない。

 

そうですね。我々は、従順な日本人になるしかありませんね。日本人は忍耐強いとの評判があります。

カレル・ヴァン・ウォルフレン氏は、<日本/権力構造の謎・上>  (The Enigma of Japanese Power) の <ジャパン・プロブレム> 中で、日本語の”理解”について下記のごとく述べています。(p.59)

、、、、ところが、たとえば日本語で「わかってください」というのは、「私の言っていることが客観的に正しいかどうかはともかく、当方の言うことを受け入れてください」という意味の「ご理解ください」なのである。つまりそこには、どうしても容認してほしい、あるいは我慢してほしいという意味が込められている。したがって、このように使われる場合の”日本語”の理解は、同意するという意味になる。だから、”理解”の真の意味は、その人や物事を変えるだけの力が自分にない限り、そのままで受け入れるということである。、、、、、(引用終り)  

 

(略)

 

 

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客体・主体 1/2

2020-07-11 04:33:47 | 文化

 

(略)

>2001年6月、「司法制度審議会」が当時の小泉純一郎首相に「司法制度改革審議会意見書;―21世紀の日本を支える司法制度―」と題する報告書を提出している。>ここで、裁判員制度の導入も提言された。>その中に「改革の基本理念」として、行政改革からはじまる一連の構造改革を以下のように統括するところからはじまっている。

> 「このような諸改革は、国民の統治客体意識から統治主体意識への転換を基底的前提とするとともに、そうした転換を促そうとするものである。

 

客体意識から主体意識への転換は難しいですね。日本人には意思がないので、主体的にはならず客体的になる。

日本人には意思がない。意思は未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制というものがないので、日本人には意思がない。

 

>統治者(お上)としての政府観から脱して、国民自らが統治に重い責任を負い、そうした国民に応える政府への転換である。(報告書「Ⅰ 今般の司法制度改革の基本理念と方向; 第1 21世紀の我が国社会の姿」より)」 

 

意思の無い人間には責任がない。そして、日本人には意思がない。だから、日本人には責任がない。ちょうど死刑執行人のようなものである。人は死んでも彼らは殺人罪に問われない。彼らには殺意がないからである。全ての日本人は、死刑執行人のように、いわゆる ‘頼まれ仕事’ をしているのである。だから、この国がひっくり返った時にも、責任者は出なかった。  

 

>ここではっきり「お上」という言葉が記載されているように、国民の統治客体意識とは「お上」に支配されているという江戸時代から染み込んだ国民意識に他ならない。

 

そうですね。

日本語には、階称 (言葉遣い) というものがある。だから、日本人には、’上と見るか・下と見るか’ の世俗的な上下 (序列) 判断が必要である。わが国では民が人間序列を作っている。そして、責任 (responsibility) 観念が存在しないにもかかわらず、人間の序列判定が非常に大切になっている。’人を見損なってはいけない’ という想いが強く、脅迫観念の域にまて達している。さもなければ、お上の祟り(仕返し) があるからである。それで、礼儀作法 (序列作法) ばかりの堅ぐるしい生活を強いられている。’頑張って’、’お疲れ様’ と声を掛け合ってお互いに励まし合って暮らしている。  

 

>「お上」が平民を守ってくださる、その代わり「お上」から言いつけられたことは絶対である、という統治される側の常識。

 

意思のあるところに方法 (仕方) がある。日本人には意思がない。仕方がないから、無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。生きる力が不足している。苦して時の神頼み。

日本人には世界観 (非現実) がない。だから、各種の世界に関する内容は、想定外になっている。そして、政治哲学 (非現実) がない。だから、日本の政治家は処世術 (現実) に従って政治を運営する。遠目が利かない近視眼的発想になる。

日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っている’。(ウスビ・サコ)  

現実の内容は頭の外にある。それは見ることができる。見ればわかる。答えは一つである。考える必要ない。これは楽ちんである。 

非現実 (考え) の内容は頭の中にある。それは見ることができない。ただの話である。その話の内容を知るには文章を文法に従って理解しなければならない。それは大変骨の折れる仕事である。だから、日本人は理解をしない。通常、忖度で済ませている。

理解と忖度は似て非なるものであるから注意が必要である。忖度 (推察) は聞き手の勝手な解釈であるから、話し手には何の責任もない。両者の間にたとえ齟齬が存在しても議論にもならない。現実直視になっていないことを忖度の主に指摘しても、'だって、私は本当にそう思ったのだから仕方がないではないか' と懸命に反発するので取りつく島がない。かくして、日本人の対話は成立しない。    

司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。

「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

 

 

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