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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

大学にいく必要 3/3

2020-07-25 14:34:17 | 文化

 

> 現在は、慶応SFCに入っていた女性が一人なのだが、一年でたくさんのすばらしい仕事を残し、フジテレビのプライムニュースにも取り上げられるような結果を残してくれている。 >それは経営者として、シンプルにとてもうれしい事実だ。 [SFC: 湘南藤沢キャンパス ]

 

仕事と学問が両立すれば良いですね。企業実習生のようなものか。金稼ぎが自身の学習に直結していますね。 

 

> 僕らができることはまだまだ小さいが、このような意見と実働を通して、少しずつ啓蒙していきたいと思う。 

 

日本人には現実しかありませんからね。実社会に出て実働をする以外に有意義な生活は考えられませんね。その他はすべて時間の空費になるでしょう。

 

>そしていつの日か、一流企業において「高卒採用」や「学生社員」が当たり前になるような社会にしていきたいと強く願う。 

 

私の知人は日本の一流企業に勤めながら南アに在住しています。南アの大学院に入学したのですが、’大学院には試験を受けるときだけに行けばよい’ と言っていましたね。学業の成果に照準を合わせた高等教育でしょうね。  

 

> 大学に入ったのだけどそこに意義を感じとれなかったり、くだらない飲み会やサークルに馴染めなかったり、インプットよりもアウトプットに挑戦したいと思うような学生がいたらぜひ連絡をください。 >大学だけが正しいわけじゃありません。 >一緒にたくさんの楽しい仕事をしていきましょう。 

 

そうですね。我が民族の無哲学・能天気の状態が近々解消されることはないようですね。

[現実と非現実] 見ることのできる現実の内容は本当の事である。見ることのできない現実の内容は嘘である。誰しも嘘つきにはなりたくない。だから、出鱈目は言わない。

日本人には、非現実がない。だから、自分の非現実 (考え) は語らない。これが、日本人の思考停止の原因である。結果として無哲学・能天気の人間となる。

現実の内容は頭の外にある。だから、見ることが可能である。見ればわかる。 Seeing is believing. 楽ちんである。正解はただ一つである。

非現実 (考え) の内容は頭の中にある。だから、見ることができない。それは、ただの話である。その内容を知るには文法に基づいて文章の内容を理解しなくてはならない。これは、骨の折れる仕事である。だから、通常、日本人は理解をしない。忖度 (推察) で代用して済ませている。

理解と忖度は似て非なるものであるから注意が必要である。忖度 (推察) は聞き手の勝手な解釈であるから、話し手には何の責任もない。たとえ両者の間に齟齬が存在しても議論にもならない。現実直視になっていないことを忖度の主に指摘しても、'だって、私は本当にそう思ったのだから仕方がないではないか' と懸命に反発するので取りつく島がない。かくして、日本人の対話は成立しない。歌詠みのようなもの。孤高の人になる。

カレル・ヴァン・ウォルフレン氏 (Karel van Wolferen) は、<日本/権力構造の謎・上> (The Enigma of Japanese Power) の<”ジャパン・プロブレム”>の中で下記の段落のように述べています。(p.54)

、、、、、日本の社会でいう “現実” (リアリティ) とは、客観的に観察した結果としての実際の事実というより、心情的なイメージに合わせて構築された、そうあるべき “リアリィティ” だからである。そしていうまでもなく、望ましいと想定されるイメージは、そのときその人の属するグループの利益と一致することが多い。 、、、、、 

西洋では、現実はそうやすやすと管理されたり、意のままに作り変えられたり、相談で決められたりするものとは、考えられていない。つまり、こうあるべきだという任意の考えによって左右されるものとは考えられていない。事実、西洋の哲学または西洋の常識の基礎は、人間にはつきものの自己欺瞞をおさえるには、妄想や幻想を入り込ませないようつねづねよく注意することだと教えている。ギリシャ文明以来、西洋の知の発達の歴史を貫いてつねに強調されてきた戒めが一つあるとすれば、それは、「矛盾を育むなかれ」ということである。この戒めは、論理、数学、科学の根本法則である。(引用終り)  

 

 

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大学にいく必要 2/3

2020-07-25 13:55:14 | 文化

 

>モラトリアムにしては、大学は長すぎるし、高すぎる。 > 自分なりの意見を書けば、ほとんどの人にとって大学は不要であるにもかかわらず、そのほとんどの人が大学に行くことで、個人にとっても社会にとっても不利益ばかりが生まれている。

 

日本人は、無哲学・能天気である。だから、わが国の社会においては得られる哲学は無用の長物になる運命にある。 

 ‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。 ( グレゴリー・クラーク)   

 

> 結局のところ、「何か特別なことを本気で学びたい」と考える人間だけが大学に行くような社会にすべきなのだと思う。 

 

各人に哲学は必要である。そうでなければ、民主主義は衆愚政治になる。烏合の衆ばかりの国家は見栄えがしない。    

 

>そんなこと、自分が今更いうまでもなく、大学というのは本来そういう場所だったはずだ。> みんながみんな大学に行く必要なんてない。>大学の数をできるかぎり減らし、教授の数を減らし、密度をあげていく必要がある。 

 

わが国は、無哲学で能天気な人間を減らしてゆく必要がありますね。政治家でありながら自分の政治哲学のない人も不適格ですね。 

宮本政於の著書〈お役所の掟〉には、官僚絶対主義のことが出ています。以下は、著者(宮)と厚生省幹部(幹)との会話であります。

宮「憲法に三権分立がうたわれているのは、権力が集中すると幣害がおきるから、との認識に基づいているのでしょう。今の日本のように、官僚組織にこれだけ権力が集中すると幣害もでてきますよね」、幹「ただ、日本はこれまで現状の組織でうまく機能してきたのだ。それによく考えてみろ。いまの政治家たちに法律を作ることをまかせられると思うのか。そんなことをしたら日本がつぶれる」、「日本の立法組織にそれほど造詣(ぞうけい)が深くないのですが、私も認めざるをえません」、「そうだろう。『やくざ』とたいしてかわらないのもいるぞ」、「私もテレビ中継を見て、これが日本を代表する国会議員か、と驚いたことがなん度かあります。とくに、アメリカとか英国とは違い、知性という部分から評価しようとすると、程遠い人たちが多いですね。でも中には優秀な人がいるんですがね」、「政治は数だから。いくら優秀なのがひとりふたりいてもしようがない。ある程度の政治家たちしかいないとなれば、役人が日本をしょって立つ以外ないのだ」(引用終り) 

 

(略)

> 「高卒採用」と「学生社員」の取り組み  >兎にも角にも、大企業による「四大卒 一括新卒採用」が悪の根元ではないかと考えている。  

 

そうでしょうね。没個性の人間は、没個性的に取り扱われているということでしょうね。  

 

>いい四大を出ないと、いい会社にはいれない、だから別に勉強したいわけではないけれど、社会の仕組み上、大学にいかねばならない。 >そこで多くはダラダラと過ごすことになるだろう。 >それはとてももったいないことだと思う。

 

そうですね。日本人は、序列メンタリティ (考え方) の虜になっていますね。学生衆の進学熱が上昇しても、それでわが国の学問が発展するわけでもない。  

日本語には階称 (言葉遣い) というものがある。’上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断は非常に重要であって、この上下判断の疎かな人は、日本語の日常会話にも差し支えるほどである。

礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の表現に過ぎない。個人的・精神的な意味がない。だから、形式的な日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。  

 

> 弊社(株式会社エードットおよびカラス)は、「高卒採用」に挑戦したいと考えている。 >設立から6年。 >年々堅調に伸び、70人ほどの会社になった。 >上場を視野にいれている。 >幸いなことに、グループの代表である伊達が高卒なのだ。 >とても説得力がある。 

 

そうでしょうね。会社は実社会にある実業ですからね。

 

>しかし高卒採用のためには、ハローワークを通さなくてはならないなどのいくつかのハードルがあるので、検討中の段階に止まっている。 >その実現は簡単なことではないと痛感する。 >社会があまりに「大卒思想」に偏りすぎている。 

 

そうですね。日本人の序列メンタリィティはそう簡単には抜けそうにありませんね。’序列メンタリティ’ と ‘無哲学・能天気’ は、セットになって日本人の社会で機能しているようですね。

 

>そこでもうひとつの取り組みとして「学生社員」をスタートしている。 >大学という環境に満足できず、働きたいと願う学生を正社員として雇用する仕組みだ。 >インターンでもアルバイトでもなく、正社員として雇用していることに意味があると考えている。 

 

そうですね。暇な時間を持てあましている学生は、正社員にすると良いですね。それで学業の成果が上がるようになればなおのこと良いですね。  

 

 

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大学にいく必要 1/3

2020-07-25 11:59:42 | 文化

 

>358713 その大学、本当に必要ですか?  >匿名希望    20/07/24 PM11   >リンク > より引用

> 高校の頃、「なぜ大学にいく必要があるのか」と先生に聞いたことがある。 >「いい大学にいかないと、いい会社にはいれない、そしていい人生を送れない」そんな答えが返ってきた。

 

その ‘いい’ とはどういう意味でしょうかね。日本は序列社会です。’いい’ とは、’世俗的な序列順位が高い’ という意味ですかね。  

 

>今よりもはるかに無知で、意志もなかったから、「そんなものか」と思い、受験勉強をはじめた。 >半年間はみっちりと勉強し、第一志望だった早稲田大学理工学部に合格した。 >合格したこと自体は純粋にうれしかった。

 

第一志望への合格はおめでたいことですね。

 

>しかし、大学時代について語れることはあまりに少ない。 >そこそこに勉強し、そこそこにアルバイトをし、少しだけ遊んだ。 >何かを成し遂げることもなく、自分の人生の中でも極めて微妙な時期であることは間違いない。 >あまりに暇だったので、たくさんの本を読めたことは、とてもいいことだった。 

 

あなたは、大学に在籍して箔をつけるための努力をしたのですね。英米流の高等教育機関では学生は勉強に追われて忙しいのに、わが国では大学の調子が狂っていますね。  

 

> 結局、自分のやるべきことを見つけることができず、自分に自信も持てぬまま、多額の奨学金を借りて、東京大学大学院に進んだ(奨学金はまだ残っている)。 

 

大学は自己の哲学を作成する方法を習得するところではありませんか。全ての考えは文章になる。文章にならないものは考えではない。論文作りが在籍の主目的ですね。  

 

>6年間も学生をしてしまい、それなりの学びにはなったけれど、社会にでたほうがよほど成長できただろうと後悔している。 

 

実社会 (現実) と高等教育機関 (非現実) では、その目的が違いますからね。 日本人には非現実 (考え) の内容がないから軍配は常に実社会の方に上がりますね。これは異常な現象ですね。   

 

> 「大学って本当に必要なんですか?」 > 今、会社を経営し、新卒の採用をする立場になって、この疑問は深まるばかりだ。 >「大学って本当に必要なんですか?」「こんなに全員が大学を目指す必要あるんですか?」と。  

 

各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy. その自己の哲学を作るために大学に学生は在籍するのではありませんか。無哲学・能天気のわが国においては、その価値は未だよく知られていませんね。

‘(略) しかしいったん、大学に入れば、控えめに表現しても、成績と出席の基準はたるんでいる。大学を含め、日本の子供たちが習うものごとの中核は、主として十八歳までに吸収される。’ (フランク・ギブニー)  

 

> 多くの学生と対面してみても、4年間大学に通った意義を感じる学生なんてほとんどいない。 

 

そうでしょうね。日本人の無哲学・能天気は徹底していますからね。私は、日本人のインテリに何度となく ‘哲学とは何ですか’ という質問を受けた。もちろん外国人からこうした質問を受けたことは無い。哲学とは ‘考え’ の事である。きっと、その人たちは、大学在学中に自己の哲学を作ることを経験してこなかったに違いない。宗教に関する考えは宗教哲学になる。歴史に関する考えは歴史哲学になる。政治に関する考えは政治哲学になる。科学に関する考えは科学哲学になる。人生に関する考えは人生哲学になる。などなど。    

日本人には世界観がない。世界観は、非現実 (考え) の内容である。非現実の内容は、時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を埋めて行く。その内容の展開には際限がない。その考えは人様々である。自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神の持ち主になる。

日本語には時制 (tense) というものがない。だから、日本人には世界観 (world view) がない。そして、日本人には批判精神 (critical thinking) がない。だから、大人の形をした子供のような人間が出来上がる。マスコミもただ現実の内容を垂れ流すだけになる。だから、マスコミにも個性がない。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、本人にも自信がないし相手からも信頼されない。協力者が得られない。それで、日本人は世界に貢献する度合いが限られている。  

 

>往往にして、大学とは関係のない話のほうが豊かだったりもする。 >こういう話をすると「大学という無駄な四年間があるから、様々な経験ができる」という人がいるが、それだったら大学に行く必要なんてない。  

 

そうですね。大学教育は、知的な経験をする早道ですね。  

 

 

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