gooブログはじめました!

日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

在日ウィグル人  

2021-11-04 10:14:58 | 文化

>《在日ウイグル人の吐露》「ジェノサイドを見過ごした漢民族も日本企業も共犯者」“ウイグル人弾圧”を見て見ぬふりする日本に抱く思い   >2021113 170 文春オンライン 

()

>子供の名前を自由に付けられない、家の中でもウイグル語は禁止…中国政府による“ウイグル人弾圧”のヤバい実情 から続く    

> 一種の「巨大な暴力装置」として、少数民族への弾圧を強める中国に対して、欧米各国は非難の声を上げ始めた。     

 

欧米各国の人道主義ですね。    

 

>一方で、日本は「見て見ぬふり」とも言える慎重な態度を取り続けている。  

 

日本人は我関せずですね。日本人は政治音痴の国民ですからね。       

 

>在日ウイグル人の目には、漢民族の思想や日本の責任がどう映っているのだろうか。  

 

日本人に関しては、とかく、この世は無責任といったようなものでしょうね。   

 

> ここでは、日本ウイグル協会会長の于田ケリム氏、南モンゴル・オルドス高原生まれで静岡大学人文社会科学部教授を務める楊海英氏による『ジェノサイド国家中国の真実』(文藝春秋)の一部を抜粋。 >新疆ウイグル自治区で生まれ、日本ウイグル協会副会長を務めるハリマト・ローズ氏を交えて行った鼎談のもようを紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)

>◆◆◆  

()

> 2020年に、内モンゴルでモンゴル語教育の廃止に向けた政策が始まった時も、漢民族の人たちは、「今の時代、モンゴル語を話してどうするんだ」とか「モンゴル語は遅れた少数者の言語で、近代化に不向きだ」と平気で言うんです。 >「では、あんた、明日から日本語を話しなよ。 >日本はあんた方より科学技術が進んでいるんだから」と言い返すと、「それは嫌だ」と。  

 

中国人は自己中心的ですからね。他民族の文化には興味も無ければ尊重することもない。    

 

> 東京でモンゴル人がデモをしても、漢民族の中国人がすれ違いざまに、「何を時代錯誤的なことをやってるんだ」と言う。 > 100万人以上のウイグル人が強制収容所に入れられても、「それは間違っている」と言い出す漢民族はほぼいない。 >海外にいる漢民族もほとんど発言していません。

 

漢民族は皆が同調圧力を感じて知るのですかね。   

 

>ローズ 現在、欧米各国が「中国のウイグル弾圧はジェノサイドだ」と批判し始めましたが、やがてすべての歴史が明らかにされた時、「陳全国のせいだ」「中国共産党のせいだ」「習近平のせいだ」では済まされません。

>「ジェノサイドに反対せず、黙って見過ごした漢民族も共犯者だ」ということになると思います。  

 

我が国にもかつてあった一億一心のようなものですかね。       

 

>楊 これは中国全体の話ですね。>共産党だけの話でもない。 >習近平は漢民族のなかの一人であって、これは「漢民族全体の問題」です。 >于田 漢民族で、政府に反対する民主活動家でも、ウイグル人やモンゴル人やチベット人に対する政府の政策には同意する人が多いんです。 >楊 日本では「中国共産党が悪い」と言われます。 >「悪いのは共産党で、中国人は悪くないんだ」と。 >しかし我々からすると、「漢民族の中華思想」そのものが問題なんです。  

 

中国は中原 (ちゅうげん) に鹿を逐 () う伝統的な覇者の国である。だから、覇者の物語は、中国人の愛読書となっている。覇者は周辺諸国に覇権を打ち立てようとして傍若無人のふるまいをし、多大な迷惑をかけている。これは皇帝の時代も国家主席の時代も漢民族のメンタリティが同じであるから変わらない。漢民族は、自分たちの考えを示すために漢字を作った。しかし、彼らは外国人の考えを示すための漢字は作らなかった。だから、外国人に対して自己の内容を発信はできるが、外国人からの内容を受信することは難しい。独断専行に陥りやすい。漢文の書物をいくら読んでも外国人の考えは出てこない。だから、中華思想を堅持し自己中心的にならざるを得ない。周辺諸国を中国化することに専心してやまない。中国人が外国人の影響を受けて発想の転換 (paradigm shift) をすることは期待薄である。

 

中華 (ちゅうか)  [外国との交渉が少なかった時代に] 自国を、世界の中心にある、一番優れた国とみなしたこと。[狭義では、漢民族のそれを指し、またその呼称としても用いられる]    東夷 (とうい)  [東方の野蛮人の意] 昔、中国から見た東方諸国の称。[広義では朝鮮・沖縄を含み、狭義では日本を指した]     南蛮 (なんばん)  [南方の野蛮人の意] 昔、中国で、インドシナなど南海地方の諸民族の称。 西戎 (せいじゅう)  [西方の野蛮人の意] 昔、中国で、チベット族やトルコ族など西方の異民族の称。北てき (ほくてき)  [北方の野蛮人の意] 昔、中国で、匈奴 (きょうど)・韃靼 (だったん) などの遊牧民族の称。   

 

> 例えば、最近も、天安門事件(第一次、1976年)のリーダーの魏京生が、「ウイグル人は、皆、テロリストだ」と発言していました。

>彼は14年以上も中国の刑務所に収監され、その後、アメリカに亡命しましたが、「中国の民主化運動」の象徴のような人が、アメリカという民主主義の国で、ウイグル人を「テロリスト」呼ばわりしているわけです。

>これが「漢民族全体の問題」だと言わざるを得ない所以です。  

 

そうですね。   

 

>日本の責任  >楊 中国の過酷な仕打ちに対して、イスラーム諸国も黙っています。 >同じテュルク系民族のウズベキスタン、カザフスタンも黙っている。 >かつて中国のウイグル弾圧を「大量虐殺」と呼んでいたトルコのエルドアン大統領も、現在は、この問題で中国と衝突することは避けています。 >「イスラーム世界のリーダー」を自任するイランやサウジアラビアも、何も言わない。 >ウイグル人は「孤立無援」の状態にあります。 

 

近隣諸国は皆寄らば大樹 (中国) の陰ですかね。   

 

>ローズ まずは口にだけでも出して、中国を非難してほしいです。 >人口300万人に満たないリトアニアが、ウイグルでの弾圧を「ジェノサイド」と認定しました。 >しかし、人口約13000万人で、世界3位の経済大国である日本の反応は、「注視しています」という程度です。

 

我が国は待ちの政治ですかね。打開策は考えられないのですかね。いつも受動の構えです。         

 

>于田 ウイグル人の人口は、中国全体のわずか1%以下です。 >とは言っても、1000万人以上いるわけです。 >人口が1000万人に満たない国も、世界に数多くあります。 >ですから、人口の規模だけで問題を軽く扱っては、そうした国々を軽視するようなメッセージにもなりかねません。 >ローズ 多くのウイグル人が日本で証言しています。 >まずはこうした証言を一つ一つきちんと調べてほしいです。 >私もNHKなどで証言してから、ウイグルにいる兄と連絡が取れなくなっています。 >妹たちもどうなっているのか心配です。 

 

ご心配なことですね。わが国の政府は不甲斐ないですね。   

 

>楊 2021330日、公明党の山口那津男代表が、「わが国が制裁措置を発動するとすれば、(中国当局の)根拠を持って人権侵害を認定できるという基礎がなければ、いたずらに外交問題を招きかねない」と述べて、ウイグル問題を理由にした対中制裁に慎重姿勢を見せました。 > 公明党は、「日中友好政党」であっても、政権与党ですから、これは非常に無責任な言い方だと思います。 >国会議員には調査権がありますから、プロジェクトチームでもつくって、在日ウイグル人を調査すればいい。 >あるいは公明党として独自に調査をすればいい。 >その上で「人権侵害はない」と言うのなら、それはそれでいい。 >ところが、山口代表は、何の調査もせずに「証拠不十分」と言っています。 

 

証拠不十分であっても彼は困らないということでしょうね。    

 

>日本は「ジェノサイドの共犯者」になる前に行動を  >ローズ まず第一歩として、欧米各国が「中国は悪い」と非難してくれました。 

 

彼らは良心的ですね。    

 

>日本がそれもしないのは、どうかと思います。  

 

国民が思考を停止している国にはどのような特徴があるでしょうかね。

 'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。' (カレル・ヴァン・ウォルフレン)    

‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’ ( グレゴリー・クラーク)     

 '日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っている。'  (ウスビ・サコ)   

 

>楊 これまで日本は、言わば「見て見ぬふり」をしてきました。 >中国の民族問題は非常に深刻で、悪化していることも分かっていたのに、さまざまな理由から、発言や関与を控えてきたわけです。    

 

日本人には現実しかありません。ですから、あるべき姿という政治哲学がなくて処世術 (損得勘定) ばかりが発達しています。 

フランク・ギブニー氏の著書 <人は城、人は石垣> には、以下のような指摘があります。

日本語は英語のように、キチンとしたアリストテレス的文法に閉じこめられていない。言語として、日本語は「いま、ここ」に根ざしている。判断より気分に興味をもつ。意味より感受性に関心がある。英語を使うのは絶えず理論的な価値判断を行なう言語を使っていることであり、英語が価値判断を行わせる。一方、日本語は論理的、法的ないし哲学的判断を敬遠する。たとえば、日本語には to be に当る適当な動詞がない。”being とか reality のような概念は明治時代、漢字から人工的につくらねばならなかった。「概念」 (concept) でさえ人工的につくらねばならなかった。 (引用終り) 

 

>于田 日本は、イスラーム諸国と良好な関係を保っています。 >今のところ、強く発言してくれたのは欧米諸国ですが、もし日本がウイグルのために発言してくれれば、その声は、これまで以上にイスラーム諸国にも広まると思います。

> また中国と地理的に近い日本がウイグルについて発言するのは、欧米諸国の発言以上に信頼度が高いものとなるはずです。 >ですから、日本が発言してくれることが非常に重要なんです。  

 

そうですね。発言力の無さがわが国の弱点ですね。英米の高等教育に馴染みが薄いですからね。       

 

>楊 ウイグル人への弾圧は、欧米メディアが報じてから、日本でも取り上げられるようになりましたが、そもそも、こういう発言をする我々に対して、日本のメディアは、結構冷淡なところがあります。  

 

そうですね。日本のメディアは人ごとのような取り扱いですね。

言語は伝達の手段であるばかりでなく、思考の重要な手段でもあります。ですから我々の考えの疎かな所は日本語のせいであることもあります。   

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実 (things as they are) の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本人も英米人も子供の時には非現実 (考え) の内容というものがない。だから ‘話を告げる’ (to tell a story) ということは、’作り話をする’ とか ‘嘘を吐く’ という風に受け取られて悪い子供とされている。この判定がわが国では一生涯続く。

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。これは縦並びの比較ということができる。建設的である。進歩が期待できる。希望が持てる。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり、'どっちもどっちだ' がある。無力感に苛まれる。この種の比較は復讐に復讐を重ねる民族同士の争いの原動力にもなっていて進歩が期待できない。

非現実の内容は人様々である。非現実の内容がなければあるのは現実だけで、その正解は一つである。日本人がともすれば異口同音の内容を語るのはこのためである。    

わが国のマスコミも現実の内容をただ垂れ流す。個人の価値判断が抜け落ちている。現実の正解はただ一つであるから、どんぐりの背比べで個性がない。それで、日本人は個人主義が何であるかを理解することが難しい。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、誰からも信頼されない。世界観に基づく協力者が得られないので社会に貢献する度合いが限られる。  

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)        

 

>「反中の右翼に利用されるだけだ」と受け止められてしまうんです。

 

それは言い逃れですね。   

 

>しかし、「ジェノサイド」に右も左もありません。 >とくに「人権擁護」を標榜しているはずのリベラル派が、この問題を黙って見過ごすのは、おかしいと思います。  

 

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官   

 

>于田 日本の大手企業も同様で、ウイグル人の強制労働で作られた製品などを使い続けていたら、「ジェノサイドの共犯者」になってしまいます。 >「自由」と「民主主義」の国で、世界のリーダーの一員である日本の皆さんに、ウイグルの現状を知っていただきたい。 >そして日本政府に対しても、勇気を持って明確な行動を起こしていただきたいと心から願っています。   

 

日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。だから戦時中は、玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。困った時には '他力本願・神頼み' になる。生きる力 (vitality) が不足している。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)

どうやら '指示待ち人間' ができあがったようですね。  

 

>【前編を読む】子供の名前を自由に付けられない、家の中でもウイグル語禁止…中国政府による“ウイグル人弾圧”のヤバい実情  >(于田 ケリム, 海英/文春新書)

 

 

 

.