>ダイヤモンド・オンライン >在日ロシア人排斥、ウィル・スミス擁護…日本にはびこる「正しい暴力」の幻想 > 窪田順生 2022/04/21 06:00
(略)
>ロシア人への「正義ある暴力」は悪くないと考える日本人 >「ロシア」への怒りを爆発させる「正義の日本人」が増えている。
予想される出来事ですね。
>例えば、読売テレビが4月15日に報じたところによれば、日本が好きになってロシアから7年前に来日して、大阪府内に住んでいる女性ユーチューバーの元には、こんなコメントが多く寄せられているという。 >「ロシア人は詫びて死んでブタの餌になればいい」 >「ロシア人全員が悪い!在日ロシア人は外出気をつけろ!」 >こういう話を聞くと必ず「こんなアホは日本人の中でもほんのひと握り」と言い訳をする人がいるが、この女性のSNSには毎日のように誹謗中傷が投稿され、これまで300人以上をブロックしてきたという。
日本人には自粛が必要ですね。
>事実、「ひと握りのアホ」では説明できないほど多くのヘイトクライムが報告されているのだ。 >あるロシア食品店では看板が破壊された。 >またあるロシア料理店では「死ね」「ボケ」などの脅迫電話もかけられている。 >ネットやSNSをのぞけば、「ロシア人を皆殺しにしろ」なんてドキッとするような文言もある。 >戦争の長期化によって、「ロシア人狩り」が起きそうなムードなのだ。
‘坊主憎けりゃ袈裟まで憎い’ ですね。昔からあることですね。太平洋戦争の時にはアメリカの日系市民は政府主導のいじめにあいましたね。
>そこで、4月19日に自民党の佐藤正久外交部会長は「日本の品格も問われる」と自制を訴えた。 >さらに、林芳正外務大臣も次のような異例の呼びかけを行った。 >「日本に住む一般のロシア人を、ロシア人であるというだけで排斥したり、誹謗中傷することは行わないように」
我が国にも良識派は存在しますね。
>ただ、現実的にこれは難しいのではないかと思っている。>日本社会には、「相手に非がある場合の暴力は正当化される」という伝統的な価値観があるからだ。
罪刑法定主義の精神は行き届いていませんね。
>つまり、「戦争犯罪人」のプーチンを選んで増長させたロシア国民にも一定の責任があると考えるような日本人にとって、在日ロシア人への排斥や誹謗中傷は「正しい暴力」なのだ。 >政府にちょっと注意されたくらいでやめるとは思えない。
そうですね。陋習の根は深いですね。
>「日本人は暴力を正当化などしていない!いい加減なことを言うな反日ライターめ!」とキレる人もたくさんいるだろうが、この価値観をこれ以上ないほどわかりやすく浮かび上がらせた出来事があった。 >それが、ウィル・スミスさんビンタ騒動である。 >ウィル・スミスさんを擁護する日本人の「正しい暴力」とは >3月に米アカデミー賞の会場で、ウィル・スミスさんが妻の脱毛症をジョークのネタにされ、コメディアンに平手打ちを喰らわせた。 >アメリカでは「口で抗議をせずに手を出した」として、ウィル・スミスさんを厳しく批判するメディアや著名人が多く、アカデミー会員を退会することになった。
実情を公に訴えることも無く浅野内匠頭が吉良上野介を切りつけたようなものですね。
>しかし、日本では真逆の反応となっている。
日本人は感情的な国民ですからね。口で言うより手の方が早い。これは我々の最大の欠点ですね。
>「侮辱された奥さんのために批判覚悟で手をあげるって超かっこいい!」「暴力は悪いことだが、相手が先に言葉の暴力を仕掛けたわけだからしょうがない部分もある」という感じで、ウィル・スミスさんを擁護・支持する声が多いのだ。
そうですね。日本人の視点はリーズン (理性・理由・適当) の方には向けられないですね。リーズンの表明が当たり前でない国では、ウィル・スミスさんは言われっぱなしになりますね。
>中には、ウクライナのゼレンスキー大統領と並べて、「口でいろいろ綺麗事を並べて何もしない人よりも、命がけで国や家族を守る男らしさが世界の潮流になってきた」なんて喜んでいる人もいらっしゃる。>「暴力は悪いことだけれど、家族を守る暴力はギリギリセーフ」という価値観を持つ日本人がかなりいらっしゃるのだ。
‘俺の目をみろ 何にも云うな’ といったところですね。これなら日本人の好きな歌になる。
>アメリカでは「どういう事情があっても暴力はダメ」という風潮なのに、なぜ日本では「世の中には正しい暴力もある」という人も多いのか。
‘東は東、西は西’ ですからね。日本の常識は、世界の非常識。
>「子どもへの体罰は時に正しい」と考える人が依然として多い >いろいろな考察があるが、ひとつには、日本人の「体罰は時に正しい」という伝統的な価値観が影響していると考えられる。
そうですね。修行の場では上の者は下の者を叩きますね。これは序列社会の習慣でしょうね。わが国は序列社会ですからね。
>実はアメリカでもウィル・スミスさんの騒動に関しては多種多様な意見があって、そのバラつきはその人のバックグラウンドによって左右されることが、世論調査会社ブルー・ローズ・リサーチによって明らかになっている。 >例えば、低所得者になればなるほど、ウィル・スミスさんは悪くないという考えをする人が増えていく。 >また、高齢者ほどウィル・スミスさんが悪いと考えるような傾向があるという。
‘貧すれば鈍する’ ということでしようかね。’衣食足りて礼節を知る’ ということか。
>その中で注目すべきは、「子どもに対する体罰を肯定するか否か」である。 >なんと、子どもへの体罰を強く支持する人は、コメディアン側が悪いと考える割合が圧倒的に多いのだ。 >これは日本人にもピッタリとあてはまる。 >実は日本は「子どもに暴力を振るってはいけない」という先進国での常識に、かたくなに背を向けている国なのだ。
‘俺の目を見ろ 何にも云うな’ ですね。わが国はリーズンの表明には遠く及ばない世界ですね。人はリーズナブルでありたいものですね。
>表向きは、親の体罰を禁じた改正児童虐待防止法が20年4月に施行され、世界で59番目の「体罰全面禁止」を支持する国になった。 >しかし、これは完全に形骸化していて、施行後の20年度の全国の児童相談所が受けた児童虐待相談は、なんと20万5044件と過去最多だ。 >その中でも身体的虐待は4分の1を占める約5万件もある。
単なるおまじないだけでは中身は変わりませんね。
>なぜこんな典型的な「ザル法」になってしまったかというと、一部の日本人にとって体罰とは「正しい暴力」だからだ。
メンタリティ (考え方) の問題を無視していては問題を解決できませんね。
>2021年7月、国際NGOであるセーブ・ザ・チルドレン・ジャパンが全国約2万人を対象に、体罰を容認するかと調査をしたところ、容認派がなんと41.3%もいた。 >2017年の56.7%よりも減ったとはいえ、「体罰全面禁止」という法律をガン無視する形で4割も体罰を支持しているのだ。 >子どもへの体罰というのは「正しい暴力」であって、「法律」などで規制されるような類のものではない、人として当たり前のことだと考えている日本人がかなりいるということだ。
そうですね。日本人はリーズンの表明に疎い民族ですからね。手を出す以外に方法がありません。’口で言うより手の方が早い’ という事か。
>これこそ筆者が、在日ロシア人への誹謗中傷や嫌がらせが、この先もなくならないと考える根拠のひとつだ。 >在日ロシア人を「死ね」「ロシアへ帰れ」などと攻撃する人たちの頭の中で、これはプーチンを追いつめるための「正しい暴力」である。 >ウクライナを取り戻し、国際社会の秩序を守るためにやらなくてはいけない…という人として当たり前のアクションなのだ。 >だから、政府や他人から注意されても馬の耳に念仏である。
正に ‘ふるはあの娘のなみだ雨’ か。
>「体罰は正しい」と信じ、ウィル・スミスをヒーローと称賛する一部の日本人にとって、これはヘイトクライムなどではなく、「正義の戦い」なのだ。>さて、そこで次に気になるのは、なぜ我々日本人は「暴力は良くないけど正しい暴力もある」というダブルスタンダード的な価値観が当たり前になったのか。
日本人はリーズンに抜ける道がないので暴力に解決法を求めますね。
>元々、日本人は「キレやすい」という国民性がある
日本人は爆発しますね。カラ竹割ですか。
>これにもいろいろな意見があるだろうが、筆者は日本人の「キレやすい」という国民性が大きく影響をしているのではないかと考えている。
そうですね。日本人にはリーズンを詮索する余地が残されていませんからね。思考停止のあわれですね。
>親の虐待死事件やスポーツの体罰事件などを調べていくと、頭にカッと血がのぼって手を上げて、気がついたらグッタリして死んでいましたというケースが少なくない。 >教師の体罰も「感情になってしまった」という理由が多いという調査結果がある。
そうでしょうね。日本人は感情的な民族ですね。
>すぐに手を上げるのは、すぐにキレてしまうからなのだ。>と聞くと、「日本人ほど温厚で気の長い国民はいないぞ、中国人などと違って、行列などにもちゃんと真面目に並ぶじゃないか」と反論される人も多いだろう。
そうですね。日本人は意思がない。だから、受動があって能動のない生活を送っています。日本人は自然の中に溶け込んでいます。
日本人には意思 (will) がない。つまり、無心である。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。
意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がなく仕方がないので無為無策でいる。おとなしい。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。だから戦時中は、玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。困った時には '他力本願・神頼み' になる。思考停止に陥っていて生きる力 (vitality) が不足している。
' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)
どうやら '指示待ち人間' ができあがったようですね。
>しかし、日本人がそういうセルフイメージを抱くようになったのは、せいぜいこの20〜30年前からの話だ。 >バブル期や高度経済成長期などは、日本人といえば、「せっかち」で「キレやすい」というイメージの方が一般的だった。
得意になっている時は切れやすいですね。
>「カミナリ親父」という言葉があったように、キレたら手がつけられないほど厳しく叱責するような大人がそこらじゅうにいたのである。 >そっちの方が伝統的な日本人の姿だった。 >実際、戦前の日本人は自他共に認める「短気な国民」だった。
そうですね。意気と度胸の人生でしたね。
>例えば、1918年に出版された石橋朝花氏の『紅き血の渦巻』(別所万善堂)のなかには、日本が大好きだというある外国人のこんな言葉が掲載されている。
>「されど悲しい哉、日本人に一の欠点あり、それは短気なる事なり、日本人は短気な国民なり」
そうですね。日本人は思考を停止していますから短気ですね。考える余裕がありませんから。
>また、1938年に出版された『青年将校と共に国家を語る』(赤松寛美/春陽堂)には、「勤勉」「忍耐」「正直」といった日本人の美点が並べた最後にこう結んでいる。
>「我国民は、斯の如き幾多の美質を有するのであるが、若し其欠点を挙げれば、即ち短気なことである」
日本人は思索の時間は不要ですから、つい短気になりますね。
>こういう日本人の「短気」については、科学的にも説明できるかもしれない。 >「不安遺伝子」だ(参照)。 >人が不安を感じることに影響を及ぼす、セロトニンという神経伝達物質がある。 >この分泌量を左右するのが、「セロトニントランスポーター遺伝子」で、これが「不安遺伝子」と呼ばれるものだ。 >セロトニン分泌量の少ない「S型」と、分泌量の多い「L型」の2種類があって、これらを組み合わせた「SS型」「SL型」「LL型」という形で分類される。 >「SS型」の遺伝子が多いと不安を感じやすいと言われており、LL型の遺伝子が多いと楽観的になって、SL型はちょうどその中間である。 >この不安遺伝子を調べたところ、なんと日本人の遺伝子はSS型が65%と圧倒的に多かったという結果が出ている。 >SL型は32%で、楽観的なLL型はたった3.2%しかいなかった。 >ちなみに、アメリカ人の場合はSS型が19%で、SL型が49%、LL型が32%だったという。 >このような結果から、脳科学者の中野信子氏もこう仰っている。 >「セロトニン・トランスポーターの数は遺伝的に決まっているのですが、この数が少ない人の割合が日本人は約97%と、世界的に見ても非常に高い。 >つまり、世界で一番不安になりやすい民族なのです」 >(お金のキャンパス 2019年3月22日)
運命論ですね。あまり信じたくありませんね。
>「弱い犬ほどよく吠える」という言葉があるが、怒りっぽい人というのは実は何かに怯えていたり、不安を抱えていたりして、その弱さをごまかすために過度に攻撃的になっているケースが多々ある。 >ということは、日本人が暴力的でキレやすいというのは、「世界一不安になりやすい民族」ということも関係している可能性もゼロではないのではないか。
そうかもしれませんね。日本人は一寸先が闇ですからね。不安です。手先・目先の事しかわからない。
>恐怖の絶頂にいる日本人、不安の代わりに誰かを叩きたい? >「世界一不安になりやすい民族」である日本人にとって、この2年間はパニックになるほどの不安の連続だっただろう。 >コロナ禍で毎日、マスコミから死の恐怖を突きつけられた。 >それがようやく少し落ち着いてきたと思ったら、今度はウクライナ侵攻が始まってしまう。 >評論家やコメンテーターはこぞって「次は北海道も侵攻されるぞ!」「いや、尖閣も狙われるぞ!」と恐怖をあおっている。 >そんな調子で精神的にかなり追い込まれた時、「世界一不安になりやすい民族」であり、なおかつ「短気な国民」である日本人はどうなってしまうだろうか。 >これはあくまで筆者の勝手な想像で、科学的根拠もないが、攻撃的になってしまう人もいるのではないか。
そうでしょうかね。攻撃は最大の防御ですからね。
>わかりやすいのが、「コロナ差別」だ。 >コロナ感染拡大した当初、医療従事者やコロナ患者は露骨に差別されて、職員が感染した金融機関が投石されるようなこともあった。 >コロナへの極度の不安が、コロナ患者に対して過剰に攻撃的な人たちを生んだのである。
コロナ コロナ クルナ コロナ
>それとまったく同じことが、「ロシア」というものに対しても起きているのではないか。>ウクライナ戦争によってもたらされた極度の不安が、在日ロシア人に対して過剰に攻撃的な日本人をつくっているのではないか。 >もし本当に日本人が「世界一不安になりやすい民族」だとすると、中国やロシアと尖閣諸島や北方領土をめぐって新たな緊張関係ができた場合、どんな集団パニックが起きるのか想像するだけでも怖い。>「ロシア人はスパイだ」と叫ぶ人も出てくる。
戦時中、日本に在住する外国人は苦労したそうですからね。
>中国への制裁を強化せよとなって、対中ビジネスをしている日本企業も売国奴と叩かれる。 >もしそこで首都直下型地震や南海トラフなどが重なって、「災害に乗じて不良外国人が」という、いつものデマが流れて暴行事件でも起きれば、本格的な民族対立にもつながっていく。 >なぜこういう事態を心配するのかというと、人権的なこともさることながら、頭に血がのぼって過度に攻撃的になるのは、日本の負けパターンだからだ。
短絡的行動に出て、我々日本人は失敗しますね。
>太平洋戦争もそうだ。 >真珠湾攻撃は、日本がABCD包囲網で追いつめられたため致し方がなかったということになっている。 >長期戦では勝ち目ゼロだが、奇襲をかけて短期決戦に持ち込めば勝機があるという軍部の判断もあった。
軍部に和平交渉ができるのですかね。
>しかし、少し見方を変えれば、アメリカの「挑発」にまんまと乗ってしまったとも取れる。
北朝鮮の金正恩ならアメリカの挑発に乗りませんね。
>中国からの段階的な撤退や、連合国が嫌がるドイツとの同盟をめぐる交渉をすべて放り出して、「日本を侮辱するな」といきなり先制パンチを浴びせてしまった。
国民の溜飲を下げるための先制パンチですね。
>「短気ですぐに手が出る」という日本人の性格がモロに出ている。 >日本としては、あの奇襲は「正義」だが、米国内では80年経過した今も「卑劣なテロ」という扱いで批判の対象だ。 >そういう意味では、ウィル・スミスのビンタとまったく同じだ。
両者共に残念な勲章ですね。
>カッとなって始めた戦争が、どれだけ悲惨な結末になったのかは説明の必要はないだろう。
戦争指導者としては、’後は野となれ山となれ’ ですね。
>戦争というのは、感情的になった方が負ける。 >真顔で平気でうそがつけるような狡猾さも必要だ。
ナディア・シャドロー氏は、抑止戦略上、一定の「曖昧さ」も不可欠だと強調した。「これはしない、あれはしない、ということで、選択肢を限定するだけでなく、こちらの境界線は何かを相手に明確に伝えてしまうことになる」と述べた。 シャドロー氏は、米国が抑止力を弱めてしまった例として、①侵攻が「小規模」であれば制裁もそれに応じて軽いものとなるとバイデン大統領が1月の記者会見で示唆した②12月初めの段階で、いかなる状況でもウクライナに米軍が展開することはないと軍事介入を否定した③ウクライナに供与する兵器の種類を防衛目的か攻撃目的かで線引きした-ことなどを指摘した。「プーチン露大統領は侵攻する際に西側の選択肢は根本的に限定されたものになるという強い意識を持ったと思う」との見解を示した。相手に曖昧な表現をするということは、自分の考え自体が曖昧であるということはまったく違いますね。
>だから本来、「世界一不安になりやすくて短気な民族」である日本人はあまり戦争に向いていない。
さうですね。子供の戦争ですね。日本人は浅はかそのものですね。
>これから選挙を控えて、「命をかけて国を守れ」「ゼレンスキー大統領とウクライナ国民を見習え」「中国やロシアに負けるな」などと威勢のいい叫びがたくさん出てくるだろう。 >一緒になって叫べば不安も少なからず解消されるかもしれない。>ただ、過去の負けパターンに学べばあまり頭に血が上るのは危ない。
<日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。
私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)
>熱狂の時こそ少し落ち着くべきだ。>中国やロシアに屈しないためにも、まずは「挑発」に乗らない冷静さが必要なのではないか。
なにしろ日本人の行動には能動が無くて受動ばかりですからね。乗せるが無くて乗せられるばかりです。日本人は主導権がとれない。
>(ノンフィクションライター 窪田順生)
我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。
『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)
我が国の ‘かな漢字’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。
国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語のかな漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。だから表記法の改革も進まない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。
為せば成る。為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり。 (上杉鷹山)
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