>「不戦の思いどこへ」沖縄戦で息絶えた父 “形見”の小石に詰まる酷薄な現実 >2022/8/19 10:30 (JST)8/19 10:51 (JST)updated
>戦死した場所のものとされる石。 >長曽敏雄さんは「どこの石なのか、はっきりしたことは分からない」とつぶやく(京都府南丹市園部町) > 「鉄の暴風」と呼ばれるほど無数の銃弾が飛び交った沖縄戦。>父を亡くした京都府南丹市園部町の男性宅の仏壇には、小さな石が安置されている。 >父が戦闘で倒れたとされる沖縄県宜野湾市で採集されたという。 >石は、遺骨も遺品も家族の手元に戻さないという戦争の酷薄さを静かに伝えている。
遺骨も遺品も家族のもとに戻らないのは、沖縄戦が日本の負け戦であつたことと関係があるのでしょうね。
> 園部町熊崎の長曽佐太郎さんは、1945年4月19日、宜野湾市で亡くなったとされる。 >どんな最期だったのかはもとより、死去の日付さえ、事実かどうかは不確かだという。 >遺骨も遺品も届かず、家にあるのは石だけだ。 >5センチほどの石は黒っぽく、一部が欠けている。>佐太郎さんの長男敏雄さん(85)=同町=は「本当に現地の石なのかどうかも分からない」と声を落とす。
残念ですね。本当に沖縄の石なのですかね。
> 佐太郎さんは44年に出兵。 >幼かった敏雄さんには、住民の見送りを受ける佐太郎さんの後をついて歩いた記憶がおぼろげにあるくらいだという。 > 園部町遺族会会員の敏雄さんによると、佐太郎さんを含め、24人の同町出身者が沖縄戦で命を落とした。 >20代前半が多く、35歳で亡くなった佐太郎さんは同町出身者の中では最年長だった。
軍隊は20代前半の人を好むのでしょうね。
> 敏雄さんは2007年、日本遺族会の事業で、全国各地の遺族と宜野湾市を訪れた。 >詳しい人の案内で、亡くなったと推測される辺りへ足を運んだ。 >かつてのサトウキビ畑はなく、住宅街が広がっていた。 >少しばかりの空き地を見つけ、録音したお経を流して手を合わせた。 >激戦の痕跡は既になく、「この辺りで亡くなったのかな」と思うばかりだったと振り返る。
そうでしようね。2007年は、もう戦後ではありませんからね。
> 沖縄戦では、日米双方で計20万人超が犠牲になった。 >一般住民は推計で約9万4千人を占める。 >「軍人はやむを得ない面があるにせよ、住民が巻き添えで亡くなったのはとても気の毒だ」。
>かつての戦地にたたずみ、敏雄さんは戦争の無残さを感じたという。
ロシアのウクライナ侵攻でも住民が巻き添えになって亡くなっていますね。ロシアの暴挙に沖縄の人は声を上げることはないのですかね。
> 米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設が進む。 >沖縄戦犠牲者の遺骨が混入した土砂が埋め立てに使われる可能性が取りざたされている。
沖縄には遺骨が混入していない土砂もあるでしょうにね。
>敏雄さんは「移設が良いか悪いかという問題は抜きにして、人の尊厳という観点から、遺骨を含んだ土砂を使うべきではない」と強調する。
そうですね。
>佐太郎さんの骨は、沖縄で今も眠っているとみられる。 >敏雄さんは、遺骨を含んだ土砂を埋め立てに用いないよう求める請願の提出に関わり、南丹市議会は21年12月定例会で意見書を可決した。
意見が当局に聞き入れられると良いですね。
> ロシアがウクライナに侵攻し、中国が軍事的圧力を強める台湾問題も緊張の度合いが増す。 >国際情勢を踏まえ、日本では、憲法9条への自衛隊明記や敵基地攻撃能力の保有を求める声が一部で高まる。
不戦の合意に達しない場合でも、十分な抑止力だけは必要ですね。
>「終戦から77年。 >戦争は決してしないという思いが薄れてきている。
戦争は相手国のあることですからね。自分のみならず相手にも不戦の誓いをさせることが平和を実現する必要条件ですね。それが我々の腕のみせどころとなるでしょうね。
>(日露戦争などから)大きなサイクルで大戦へと突入したように、日本が再び同じように頭を突っ込んでいく気がする」。
戦争は自然現象ではありませんね。政治家による人災ですね。相手を殺さなければ自分が殺される立場に人間を立たせて政治問題を解決しようとする方策は人道に反しますね。我々は政治家を注意深く監視する必要がありますね。
>戦争の現実が詰まった石塊(いしくれ)を手に、敏雄さんは目を伏せた。
どのような相手であっても、‘自分が話せばわかる’ と信じたいですね。
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