>zakzak >日本の危機 「緊急事態」を想定していない日本国憲法 特措法を制定して乗り切ろうとする「泥縄式の発想」 国民の生命と生活を守る体制整備を [濱口和久] > 2022/01/31 06:30
(略)
>戦後の日本人は、「最悪の事態」を考えることを放棄してきたと言っても過言ではない。 >別の言い方をすれば「『最悪の事態』拒否症」とも言えるだろう。
そうですね。最悪の事態を考えることは日本人にとって縁起でもないことですね。だから、拒否症になっている。
>そのため、日本では「最悪の事態」が起きたときに、「平時」から「緊急時」へスムーズな切り替えができる体制を整備せずに放置してきた。
そうですね。平時は現実の内容ですが、緊急時は非現実 (考え) の内容ですからね。非現実の内容を考えることに日本人にとって言語的に難しいことですね。
>その結果、新型コロナウイルス感染症対策では諸外国に比べて大きな後れを取った。
そうですね。日本人の脳裏には平時はあるが、緊急時の内容は想定外になっていますね。
>「平時」の象徴が、1947年5月3日に施行されてから一度も改正されたことのない日本国憲法だろう。>日本国憲法は「緊急時」が起こることを想定していない珍しい憲法である。
そうですね。日本人の頭の中はお花畑になっているからでしょう。日本人の国民性は、日本語の言語特性と考えることもできますね。
言語は伝達の手段であるばかりでなく、思考の重要な手段でもあります。ですから我々の考えの疎かな所は日本語のせいであることもあります。
非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。
世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。
自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実 (things as they are) の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本人も英米人も子供の時には非現実 (考え) の内容というものがない。だから ‘話を告げる’ (to tell a story) ということは、’作り話をする’ とか ‘嘘を吐く’ という風に受け取られて悪い子供とされている。この判定だけがわが国では一生涯続く。
日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。
意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。これは縦並びの比較ということができる。建設的である。進歩が期待できる。希望が持てる。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' 対 '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり、'どっちもどっちだ' がある。無力感に苛まれる。この種の比較は復讐に復讐を重ねる民族同士の争いの原動力にもなっていて進歩が期待できない。
>日本側の憲法問題調査会が、GHQ(連合国軍総司令部)に提出した当初の試案では、国会閉会中に緊急事態が起きた場合に備え、大日本帝国憲法下の「緊急勅令や緊急財政処分など」に代わる新たな緊急事態条項が盛り込まれていた。
>ところが、GHQは日本国憲法に緊急事態条項の明記を認めず、緊急事態が起きた場合には、「内閣のエマージェンシー・パワーで対応すればいい」と考えていた。>その後、両者が協議を重ねた結果、衆院解散時の緊急事態に備えて、「参議院の緊急集会」のみが盛り込まれた。>だが、「参議院の緊急集会」さえもが開催できないほどの、国難的事態が起きない保証はどこにもない。
そうですね。’治に居て乱を忘れず’ の心構えが大切ですね。GHQの考えはGHQの考え、日本人の考えは日本人の考えである。日本人の考えはGHQがいなくなってから法文化すればよいですね。
>「憲法にわざわざ明記しなくても、法律の運用で緊急事態に対応すればいい」とする意見もある。 >これこそが、特措法を制定して乗り切ろうとする、従来の「泥縄式の発想」であり、「後追い主義」の最たるものだ。 >危機管理の体制としては最も悪いパターンである。
そうですね。慌てふためいてことを処理すると碌なことはありませんね。これは浅はかな人のすることですね.
泥縄式の発想法も、後追い主義も、現実を見てからでないと発想できませんね。これが日本人の発想法の欠点ですね。
政治には時代の先取り (未来の内容) が必要ですね。後追いばかりではわが国は政治音痴になります。
>国難はいつ訪れるか分からない。>ほとんどの国の憲法に緊急事態条項が明記されていることを考えれば、日本国憲法に緊急事態条項が明記されていないことの方が異常な状態なのだ。
そうですね。日本人には現実しかありませんからね。非現実 (考え) の内容を練る作業が等閑視されていますね。結果としての行き当たりばったりの態度は、日本人の国民性を良く表していますね。
>昨年6月、感染症と自然災害に強い社会を目指す「ニューレジリエンスフォーラム」が設立された。 >当フォーラムは、国民の生命と生活を守るため、「緊急時」についての関係法規の見直し、「平時」から「緊急時」へのルールの切り替え要件の整備を掲げる。>それらの根拠規定としての「日本国憲法への緊急事態条項明記」に向けて、医療界、経済界、防災関係、自治体関係をはじめとする、多くの人々と力を合わせて幅広い国民運動を推進する団体である。
国民運動は希望の持てる大切な運動の第一歩ですね。
>同年9月には、加藤勝信官房長官(当時)に「『緊急時』の医療提供体制と法制度の整備を」というテーマで、第1次提言書を手交した。 >今年の春までに第2次提言を取りまとめて、政府に提言する予定である。 >筆者も事務局長として当フォーラムの活動に参画している。
これは我が国の政治の進歩の兆しですね。
>日本は今後間違いなく、国難的事態に立ち向かわなければならないときが必ず来る。>場当たり的な対応では国民の生命と生活を守ることはできない。
そうですね。我が国民は旅行傷害保険の約款の内容のような周到な配慮の内容を備えることが必要ですね。旅行中の障害 (非常時) はいつ起こるかわからない。だから、我々は日ごろから障害に対する備えをおろそかにすることはできませんね。
>「備えあれば憂いなし」の体制を早急に整備すべきである。
そうですね。我が国の文化をもう一度根底から見直してみる必要がありますね。
我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。
『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)
我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。
国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語のかな漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。
>=おわり
>■濱口和久(はまぐち・かずひさ) 1968年、熊本県生まれ。
>防衛大学校材料物性工学卒、日本大学大学院総合社会情報研究科修了。
>防衛庁陸上自衛隊、栃木市首席政策監などを経て、現在は拓殖大学大学院特任教授、同大学防災教育研究センター長、ニューレジリエンスフォーラム事務局長などを務める。
>著書・共著に『戦国の城と59人の姫たち』(並木書房)、『日本版 民間防衛』(青林堂)など。
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