>「意識機能」と「言葉」の関係について「想い」と「思い」を通して説明します。
よろしくお願いいたします。
>「空想」「妄想」「幻想」はビジュアル、映像の「想い」です。
そのようですね。
>普段意識しているのが「思い」です。「想い」は言葉以前の事です。
そうかもしれませんね。思いは言語、想いは非言語ということですね。
>「思い」は言葉になった瞬間の働き作用です。「六根」にある「意」とは「思い」を言います。
六根は、眼根(視覚)、耳根(聴覚)、鼻根(嗅覚)、舌根(味覚)、身根(触覚)、意根(意識)ですね。
>「想い」とは「六根」をもたらせている意識現象の働きを言うのです。
そうかもしれませんね。
>私たちの感覚は常に「和合」して作用しています。わかりやすく伝えるという事で感覚を機能別「六根」により示しているのです。
いろいろな感覚が同時に入ってきますね。
>「想い」とは「イメージ」の事でもあります。自然に浮かんでは消えていく生滅現象です。生滅現象は「振動」により現象化されているものです。
夢・幻の様なものですね。非言語は、疾く風化して、脳裏に残りませんね。
>「意識機能」の働きは「言葉」にする働きがあります。「言葉」は単語の連続により「物語」「ストーリー」になっています。文章は単語による連続でできています。
言の葉 (和歌) のようなものですね。
>「生命現象」が音声記号の「言葉」文字記号の「文章」に変換されると「意味」が限定され固定化・定着化されてしまいます。
生命現象の意味が固定化されますね。
>そこに「思い込み」「信じ込み」「上書き」が生じているのです。
それは文章の正しい理解ではありませんね。文にならない単語 (こごと・片言・独り言) を忖度 (推察) することにより生ずるもので、自分勝手な解釈です。
>「思考・概念」は現象化されることにより「言葉」「文章」により「固定化」「定着化」されたものなのです。
すべての考えは、文章になります。文章にならないものは考えではありません。
エネルギー変換によりもたらされている現象なのです。
わかりにくい説明ですね。思考・概念は、時制のある「言葉」「文章」により「固定化」「定着化」された内容になるのですね。時制が無ければ、実況放送・現状報告の内容になるでしょう。
我が民族は、バラバラな単語を並べて、気分・雰囲気を伝える方法を発達させていますね。意味の固定化が出来ていませんね。英語の詩・歌詞は、文章になります。
(略)
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