>ダイヤモンド・オンライン >【対談:入山教授&白坂教授】日本企業の停滞を招いた「経路依存性」と脱却法 > ダイヤモンド社 ヴァーティカルメディア編集部 2022/10/12 06:00
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>※本記事は、2022年7月1日に開催されたオンラインイベント「イノベーションが起こる組織の条件」の内容を基に再編集したものです。 >答えのない時代に ビジネスパーソンに求められるもの >――これからの時代は、異なる産業間がつながることで、個人やひとつの組織内の学習のみでは立ち行かなくなること、そして、ルーティーンを改善していく「シングル・ループ学習」と、その上流にある前提条件の変化を学ぶ「ダブル・ループ学習」に加えて、取り巻く環境を皆で学ぶ「トリプル・ループ学習」が必須である旨を、前回、白坂先生がお話くださいました。
>変化の激しい時代に突入している中、入山先生はビジネスパーソンに求められるものは何だと思われますか?
>入山章栄(以下、入山) 白坂先生にこれからの社会がどうなるかの話をしていただいて、すごくインスパイアされました。
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> でも、ビジネスパーソンに求められるものはあります。 >それは何かというと、「意思決定」する力です。 >正解がないのに、決めなくてはならない。 >これがものすごく重要なポイントで、私の理解では、日本のビジネス界における最大の課題は、この「決められる」人材が少ないことです。
そうですね。日本人には意思がない。だから、意思決定ができない。 過去の内容は変えることができないが、未来の内容は変えることができる。しかし、それには無為無策のその日暮らしでは望み無しである。未来の内容を自己の意思として示すことが必要である。
ところが日本人には意思 (will) がない。つまり、無心である。意思は英語の未来時制の文の内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。
意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がないので仕方なく無為無策でいる。それで、おとなしい。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。困った時には '他力本願・神頼み' になる。生きる力 (vitality) が不足している。だから戦時中は、玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。
' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)
どうやら '指示待ち人間' が育成されたようです。この暮らしぶりで成功すると、受け売りと後追いの専門家になりますね。しかし、未来を先取りしない人は指導者としては適当でないでしょう。
自己の意思を示せば、当事者・関係者となる。示さなければ傍観者にとどまる。日本人には意思がないので、常に傍観者にとどまっている。序列関係のない場合には深刻な事態であっても高みの見物をしている。わが国は世界の中にあって、世界に属していない。
> 多くの大手企業の人事関係のかたたちとお付き合いがありますが、彼らの共通の悩みは、次の社長候補がいないことなんですね。 >社長の仕事というのは、つまるところは「決めること」です。 >正解がないけれど腹をくくって決める。
>決めたら従業員とステークホルダー [stakeholder: 投資者] に説明する。 >そしてそれをやり抜く。 >企業はそういう「決められる」人材を育ててこなかった。
そうですね。指導者・責任者には決める力が必要ですね。
> 大手企業というのは、仕組みがしっかりとできていて、上から降ってきたことをこなしていれば業務が回るようになっている。 >そのため、20代、30代、40代は、「自分で決める」という場面も機会も与えられてこなかった。 > それで50代となり執行役になってから、「(答えはないけれど)決めてください」と言われても、決められるはずはないですよね。 >意思決定力を向上させるには、「場数」しかないのです。
それには英米流の高等教育が必要ですね。
日本語は写生画の言葉である。現実 (事実) は見ればわかる。Seeing is believing. 現実の正解は一つしかない。問答無用である。だから、日本語はご唱和の内容になる。
非現実 (考え) の内容は見ることができない。だが文になる。文にならないものは考えではない。
矛盾を含まない文は、全て正しい考えを表している。考えは、一人一人違っている。だから、正解は無数にある。考えの優劣を競い合う議論も可能になる。
体系的な考えは哲学になる。各人に哲学は必要である。 Everyone needs a philosophy. 日本人には自己の考え (非現実) がない。だから、わが国のインテリは受け売り専門の人になる。思考を停止している人は、つかみどころのない人間になる。
イザヤ・ベンダサンは、自著<ユダヤ人と日本人>の中で、我が国の評論家に関して下の段落のように述べています。
評論家といわれる人びとが、日本ほど多い国は、まずあるまい。本職評論家はもとより、大学教授から落語家まで (失礼! 落語家から大学教授までかも知れない) 、いわゆる評論的活動をしている人びとの総数を考えれば、まさに「浜の真砂」である。もちろん英米にも評論家はいる。しかし英語圏という、実に広大で多種多様の文化を包含するさまざまな読者層を対象としていることを考えるとき、日本語圏のみを対象として、これだけ多くの人が、一本のペンで二本の箸を動かすどころか、高級車まで動かしていることは、やはり非常に特異な現象であって、日本を考える場合、見逃しえない一面である。 (引用終り)
大学などの高等教育機関で論文作りに励めば学士・修士・博士などの称号が得られる。博士は普通 '哲学博士' (Doctor of Philosophy: Ph. D.) と呼ばれる。
私は日本のインテリから ‘哲学とは何ですか’ と何度も聞かれた。外国人からは、このような質問を受けたことはない。日本人は大学で、自己の哲学を作ることを学んでこなかった。だから彼らは退屈男・退屈女となって大学在学中の4年間を遊んで暮らさなければならなかった。
政治に関する考えは政治哲学になる。宗教に関する考えは宗教哲学になる。科学に関する考えは科学哲学になる。人生に関する考えは人生哲学になる。などなど。
我が国の政治家には政治哲学がなく、わが国の宗教家には宗教哲学がない。わが国の科学者には科学哲学がなく、わが国の著述家には人生哲学がない。などなど。
‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官)
TBSブリタニカとブリタニカ国際大百科事典を作ったフランク・ギブニー氏は、自著 <人は城、人は石垣> の中で、我が国の作家について次の様な感想を述べています。
孤立は日本式スタイルを誇る詩人、随筆家はいうに及ばず、小説家において最も顕著である。これは外国人にとっては判断をはばかられる主観的な領域である。しかし文学界で最も尊重される文章が意味を省略し、あいまいさに富み、漢字をうまく使って読ませ、文法分析家を意気揚々と悩ます一種の「気分の流れ」であることは一般に真実である (私の思考パターンは取り返しのつかぬほど西洋的なので、私は自分がスラスラ読めるような日本語の散文は深刻なまでに文学的優雅さに欠けているにちがいない、という大ざっぱなルールをとっている)。(引用終り)
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>日本の経営者は意思決定の経験が少ない >白坂成功(以下、白坂) その通りですね。 >日本で今、そのような変化を実践している企業はどこが思い浮かびますか?
>入山 実は結構ありまして、一番わかりやすいのはソニーですね。
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> 賛否あるのですが、 日本とアメリカの経営者の大きな違いのひとつは、「経営者が他の会社の経験があるかどうか」なんです。 >アメリカの経営者の7〜8割は、複数社の経営を経験しています。
他国を渡り歩いて武者修行をする武士のようなものですね。
>でも日本の経営者は、内部昇進の生え抜きがほとんどですよね。
日本人には序列順位昇進の夢がありますからね。序列外には出られない。
>意思決定の経験が少ないので、遠くを見ようとせず、あるいは見えておらず、「知の探索」をしてきませんでした。
日本人には意思がない。だから意思決定も難しい。ドライに割り切ると周囲から恨まれる。
>近日公開の対談第4回もぜひご覧ください。
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