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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

NHK 朝ドラ べっぴんさん 30話

2016-11-05 23:08:18 | 文化


>土埃が舞う中で、五十八父の演説がはじまった。
>親分のやっていることは、ニッポンの未来にはならない!

同感です。親分政治は、恣意の政治です。それは非民主的で、我が国の進むべき道ではありません。

>親分の闇市での仕切り方が違う!モノ申す。ニッポンの未来にはならない。

同感です。未来が何であるのかを答えること日本人には、難しい。未来とは、未来時制の文章内容のことなのです。脳裏に未来構文があれば、その内容を考えるのはごく自然なこと。相手に、その内容を求めることもごく自然なこと。だが、構文が存在しなければ、内容は雲をつかむようなものになります。

>未来とはなにか?

文法的に考えて、日本人には過去もなければ未来もない。だから、未来の内容を提示するのは難しい。いつもナウな感じでいる。
未来の答えを出すのには、未来時制の文章内容が必要です。だが、日本人には、それができない。その理由は、日本語には時制がないからであります。

>未来は自分から作るもの。それには手と手を取り合うことが大事だと。

同感です。未来社会の建設には、民が手と手をとりあうこと (協力) が必要です。だが、日本人には未来の内容を作るのは難しい。日本人の未来はできるものであって、自ら作るものではない。未来に関する内容は、未来時制の文章内容で表現しなければならない。だが、日本語文法には時制というものがない。団結すべき未来の内容 (大同) を提示することが難しいから、小異 (現在) を捨てて、大同 (未来) につく事も難しい。烏合の衆か。

>今、必要なのは安全!闇市の健全な発展のためには、女が堂々と来られるようにしなければいけない。

同感です。未来社会には安全が必要です。だが、我々は、その未来社会の内容を語ることができないので、積極的に求めることはできません。なるのを待つのか。

>闇市改善案を提供し、今を生きる自分たち、その次の世代へと繋げるための大切さを説く。

同感です。民主的な政治が必要ですね。改善しなければならない。だが、日本人には、未来社会の内容を語ることか難しいので、一人ひとりがバラバラでいる。未来構文が脳裏に存在しないからであります。その次の世代へと繋げるためには、そのはっきりした内容が必要であります。

>未来をつくるのは、今を生きる自分たちから。

同感です。われわれには自主性が必要ですね。意思のあるところに方法がある。(Where there ‘s a will, there’s a way.) ところが、日本人には意思がない。意思は未来時制の文章内容であるが、日本語文法には時制がなく、日本人には意思がない。だから、いくら力んでみても意思が明らかにならず、無駄骨になることが多い。

英語には時制がある。時制のある考え方を習得すれば、我々日本人も正しい (矛盾のない) 考え方ができる。日本語を話しても、英米人は、無哲学・能天気にはならない。それは、いつも英語の考え方を参照して判断しているからである。われわれも英語の考え方をよく学ぼう。



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高学歴

2016-11-02 23:42:28 | 教育

>高学歴の人が就職や特定のコミュニティの中で優遇される風潮は、「学歴差別」としてよく問題視されます。

そうですね。我が国では、高学歴は人間序列の目安になっていますね。

>一方で今の日本では、大学の学部を卒業して修士や博士になると、むしろ就職できないという皮肉な現実がある。

無哲学・能天気な日本人の社会では、どうしようもないことですかね。

>実際、博士号を取っても希望する職に就けず、フリーターになるしかない人はたくさんいます。

同感です。まったく皮肉ですね。猿まねの文教行政の結果ですね。憂国の状態にあります。
日本人は、無哲学・能天気でありますから、人間に欧米の高等教育の必要性など、まったく認めていないといっても過言でありません。欧米流の哲学・教養を学ぶことは、畳水練のようなものになります。
“優れた研究者や高度な専門能力を持った職業人を養成する”ことを目的に米国では、医師や弁護士などをもっぱら医学校 (medical school) や法学校 (law school) と呼ばれる大学院 (graduate school) で養成しています。この養成に抜け道はありません。我が国では、医師や弁護士などの高度の職業人を大学院以外の教育機関 (医学部・法学部) で作っています。大学院の医育機関は我が国には存在しません。高度な職業人を育てる正道が無いといえましょう。それは、日本人に哲学の必要がないからです。私の友人も ‘医者は教養ではなくて、腕が大切なのだ’ と得意げにいっていました。我が国の教育行政は、まさにそのことをやっているのです。これが、我が国の現状です。
米国では、小中学校の教員も、就職後、一定期間内 (ニューヨーク州では5年・オレゴン州では10年) に大学院で修士号を取らないと解雇させられます。これも社会が、教養・哲学ある人間を要求しているためです。米国は、真の学歴社会といえます。無哲学・能天気で長々と働ける我が国は、はたして幸福な国といえるのでしょうか。日本人の・若者に欧米留学が人気を得ないのも、こうした教養に無理解な事情が背景にあると考えられます。








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西洋崇拝

2016-11-02 01:15:28 | 教育
>「権利」や「自由」という名の自己中がはびこる昨今、「“自由”の履き違え」「行き過ぎた“権利”」などの批判がたびたびなされるが、そもそも「自由」「権利」という概念自体が胡散臭いというか、もともと要求のための言葉だったのではないだろうか。

そうでしょうね。要求の叫びだったのでしょうね。「自由」の要求、「権利」の要求でしょう。

>生きていれば90歳を超える私の祖母が、私が幼い頃、穏やかな声でこんなことを話してくれたことがあった。
>「Tちゃん、“自由”とか“権利”とかいう言葉は使っちゃいかんよ。
>もし、そういう環境にいれるとしたら、それはTちゃんに自由とか権利があるんじゃなくって、そうしてくれる誰かがおるからやでな。
>けど、そういう言葉はそれを見えなくさせる。
>感謝の心を失わせて、してもらえて当たり前とうい傲慢な人間にしてしまうからな」

自由とか権利は、相互に認め合うものでしょう。互恵の念ですね。
‘そうしてくれる誰かがおる’ のは、棚ぼたの期待をしているからにほかなりません。自主的でない。

>私自身まだまだ未熟な人間だが、当時何気なく聞いたその言葉は今でも、自己中を正当化したくて暴走しそうになると心と頭を見つめ直させてくれる。
>日本人は、元来とても穏やかでいつも色んなことに感謝している民族だった。

‘不自由を常と思えば不足なし’ ですね。’ありがたや節’ のようなものですか。

>「己を正当化する言葉」を使うか、「相手に目を向けさせてくれる言葉」を使うかで、人の意識は変わる。

「己を正当化する言葉」を使う場合も、「相手に目を向けさせてくれる言葉」を使う場合も、日本人は相手との対話を考えていませんね。哲学が無いので、世界観がない。自己の世界観をもとにして相手との対話をしなければ未来社会の建設に関する協力は成り立ちませんね。日本人には意思がなくて、恣意がある。恣意では話にならない。だから、日本人には相手との対話はなりたたない。

>己を正当化する言葉を使うと、己自身も周りも、自己中に陥っていると気づけなくなってしまう。

自己中心主義は良くないですね。だが、日本人には意思が無くて、恣意(私意・我がまま・身勝手)がある。だから、自己中心主義にならざるを得ませんね。意思は未来時制の文章であり、文章には意味がある。矛盾もあれば、それを指摘することができる。だから、議論の対象になる。だが、日本語の文法には時制がない。それで、恣意はバラバラな単語であって、文章にならない、意味もなければ、矛盾さえ指摘できない。だから、相手との対話は成り立たず、問答無用になる。’自分さえ善ければ’ と考えざるを得なくなる。すなわち、自己中心主義になる。

>そろそろ、善しと思い込んできた西洋崇拝(近代思想幻想)から脱却すべきときではないだろうか。

西洋崇拝はいけませんね。何よりも、我々には正しい西洋の内容の理解が必要です。



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歴史

2016-11-01 05:14:24 | 教育
>教科書にかいてあるのは、ほとんどが一つの歴史です。
>しかし、見方によって、書き手によって、歴史はいくつもあるのではないでしょうか。

歴史の数は、個人の数ほどあります。また、それ以上のこともあり、それ以下のこともある。
歴史は非現実の内容です。つまり、それは個人の考えの内容だから数が定まりません。その内容は現実のように一つに定まらないのです。

>当たり前(と教えられてきたこと)を疑うことを習慣化したいものです。

当たり前として教示されたことを暗記するばかりの ‘がり勉’ に励むのは良くないですね。

>以下、’日本人が知らないニッポン’ からの引用です。リンク
>歴史をさぐると言っても、学校で習う歴史や一般常識で耳にする歴史は、単なる「ひとつの説」また「ひとつの見方」に過ぎません。
>しかし、歴史上の出来事にはいろいろな見方があります。

その通りですね。

>例をあげると、「明治維新」
>一般には、幕末の侍が、倒幕側と幕府側の敵味方に分かれて戦い、最終的には手を結び、 近代化した今の日本の礎を作ったという美談。壮大なドラマになっています。

美談でなければ、語り継がれることもないでしょう。

>しかし、よく調べてみると、維新の背後には大勢の外国人や外国製武器の存在があります。
>これら外国の存在なしに維新は起きなかった、といえます。

金の力が大きかったのですね。カネなしでは人は動かない。

>「明治維新」は、日本人だけで成し遂げたことでは、なかったのです!

文明開化は、日本人だけではできませんね。目的が外国文化の吸収にあるのですからね。

>どうやら、私たちには、自国の偉人を美化したい気持ちのあまり、自分自身のことが冷静に見えてないところが、あるようです。

日本人は、気分・雰囲気を求めています。そとて、舞い上がる。だから、歴史小説があるのでしょう。

>この時代を舞台にしたドラマが流行り、そのストーリーが真実であるとされがちですが、事実を大局的にとらえるには、あまりにも視野が狭いと感じます。

ドラマチックなものは、大局的な見地が失われますね。話がちいせえのう。

>・・・・・、現実に日本は世界の中ではこんな小さな国にすぎません。

本当に、小さな国ですね。


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