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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

衆院政治改革  

2024-04-27 03:01:12 | 文化

>日刊ゲンダイDIGITAL   >自民はやっぱり反省ゼロ「衆院政治改革特別委員会」 ついに初開催も野党も呆れるグダグダぶり   >日刊ゲンダイDIGITALによるストーリー・   >10時間   

>「政治家の言い訳を二度とさせない」「法令順守の意識の徹底が必要」――。   

>自民党派閥の政治資金パーティーを巡る裏金事件を受けて設置された「衆院政治改革特別委員会」が26日、初めて開催された。   

>今国会の焦点の一つでもある政治資金規正法改正について自民、立憲民主両党などが意見表明した。   

>「今国会中に制度改正を必ず実現する。   

>政治家の言い逃れを二度とさせないためにいわゆる連座制の導入が必要だ」   

>同委員会で自民党の大野敬太郎議員(55)はこう声を張り上げていたが、野党議員は冷ややか。   

>それはそうだろう。   

>野党案がそろって議員本人の責任を明確化するための「連座制」導入を主張しているのに対し、自民案は収支報告書が適正に作成されたことを示す「確認書」の提出を議員に義務付け、会計責任者が処罰され、議員の確認が不十分と判断した場合は刑罰を科し、公民権を停止するという内容だからだ。   

>「連座(制)もどき」「なんちゃって連座制」「全くヤル気が感じられない」——。   

>野党議員が呆れるのも無理はない。   

>大野氏は「政治家の言い逃れを二度とさせない」と言っていたが、今の状況を見る限り、自民党が本気で裏金事件を反省しているとは思えない。   

 

日本人には意思がない。意思の無い人間には加害者意識がない。罪の意識もない。だから深刻な反省には至らない。蛙の面に小便であろうか。   

マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。  

‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて )  

マ元帥の発言はどの駐日大使のものよりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。 

 

>■派閥の解散届を出したのは1団体のみ   

>「宏池政策研究会、志師会、清和政策研究会、近未来政治研究会、平成研究会について、確認を致しましたところ、昨日、423日現在で政治団体の解散届けは提出されておりません」   

 

日本人には哲学がない。だから、政治家には政治哲学がない。ノンポリ・政治音痴ではどうにもならない。    

わが国は数合わせの論理で政治を動かすしかない。派閥はその為の手段である。だから派閥は解散できない。   

 

24日の参院予算委員会。   

>総務省担当者の答弁は、岸田文雄首相(66)が1月下旬に表明した党派閥の「解散」が全く進んでいないことを明らかにした。   

>最大派閥「安倍派」(清和政策研究会)や二階派(志師会)などの派閥を舞台に繰り広げられた裏金作り。   

>岸田首相は唐突に「派閥解消」を打ち出し、自身の岸田派(宏池政策研究会)の解散を表明。   

>以降、安倍、二階、森山、茂木の各派閥もこれに続いた。   

>政治資金規正法では、政治団体を解散した場合、代表者および会計責任者であった者は、解散の日から30日以内に解散や解散年月日を届け出る必要があるが、岸田首相が解散を打ち出してからすでに3カ月経つのに、いまだに解散届すら出ていないわけだ。   

26日になって、近未来政治研究会(森山派)がようやく東京都選挙管理委員会に解散届を郵送したというのだが、遅すぎると指摘せざるを得ない。   

 

日本人には意思がない。だから意思をまとめる努力が見られない。何事にも’Too slow, too late’ である。     

 

>《泥棒が何をエラソーに再発防止策なんて言っているの》   

>《この期に及んでも抜け穴を探している自民案に意味あるのか》   

>《このまま派閥も解散せず、ほとぼりが冷めたら復活する。今は死んだふり》   

 

全ては漫画の世界の出来事ですね。お陰様で、我が国は漫画・アニメの大国になりました。       

 

>カネの流れを透明化し、違法、脱法行為を犯したら刑事罰を処す――こんな当然で簡単な事を決めるのに一体どれだけ時間をかけているのだろうか。   

 

日本人には毛が三本足りない。    

英米流の高等教育は子供を大人にする為の教育である。思春期の到来とともに発達する言語能力を待ってこの教育は行われる。英文法の中の時制を活用して非現実の内容を文章に表現する訓練である。子供には現実 (事実) ばかりがあって非現実(哲学・考え) がない。英米流の高等教育は子供から大人に変わる人間に哲学を獲得させようとする仕組みである。すると浅薄な人間が思慮深い人間に変身する。だからどこの国でも英語の高等教育に力を入れることになる。

哲学は非現実 (考え) の内容であるから、思考を停止している日本人には縁がない。日本語は現実の内容だけを表す言語である。日本式の判断だと、見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。だから現実の言葉 (日本語) を話す人が非現実を語る学習をすると常に失敗する。嘘ばかり (きれいごと) を語っては学習に力が入らない。だから思考停止になっている。日本人は相変わらず無哲学・能天気の民となっている。わが国は英米流の高等教育の導入に失敗した。何処の国も日本に我が子の高等教育の成果を期待する者はいない。  

今の地球はアングロ・サクソンの支配体制にある。哲学が相手を引き付けて人々の尊敬を得る。アフリカ系米国人はアメリカの大統領になった。インド系英国人は英国の首相になっている。これらは高等教育の賜物である。

当の日本人の若者はいまなお国内の序列競争にうつつを抜かしていて、教育内容の吟味などする余地はない。難関出身者が序列社会で優位に立つ話ばかりで持切りである。注意力不足で井の中の蛙になっている。国際取引で印欧語族の知識人を相手にして苦戦を強いられることになる。  

 

 

 

 

 

 

 


大学院修了者  

2024-04-27 01:42:43 | 文化

>キャリコネニュース   >「高学歴とは大学院修了者をいう。偏差値の高い大学であるかは無関係」院卒の男性がそう思う理由とは……   >キャリコネニュースの意見・   >18時間   

>今の時代、学歴は必要なのだろうか。   

 

そうですね。わが国の学歴は特に序列の言い換えにすぎませんからね。その内容に問題がありますね。          

 

>兵庫県の60代前半の男性(教育・保育/年収1000万円)は、「必要」と答えたうちの一人だ。   

>男性は神戸大学のの大学院を出たというが、こう自身を分析している。   

>(文:長田コウ)   

>「物事を深く掘り下げ理解し、論理的に説明できるために『考える』ということを数多く行ってきたので、日常生活で見る出来事(現象)の変化(目先のこと)に右往左往することが学歴のない人と比較して少ないように思う」   

 

そうですね。    

わが国は資源小国である。天然資源は不足しているが、人口は一億以上ある。決して小国ではない。この人口の頭脳を活用すれば、わが国は衰退途上国から脱することができる。

我が国には人手不足はあるが、頭脳不足の話はない。日本人は思考を停止しているが、それが当たり前のことになっていて頭脳不足とは考えられていない。

わが国は、無哲学・能天気の国である。だから、国民は歌詠みになる。バラバラな単語ばかりの歌詞には意味がない。だから議論がない。ただ、気分・雰囲気・感情を伝えることにより満足している。 

日本語は写生画の言葉である。現実 (事実) は見ればわかる。Seeing is believing. 現実の正解は一つしかない。問答無用である。だから、日本語はご唱和の内容になる。

非現実 (考え) の内容は見ることができない。だが英語の文法により文になる。だからその内容は理解できる。文にならないものは考えではない。日本語の内容では考え (非現実) にならない。  

矛盾を含まない文は、全て正しい考えを表している。考えは、一人一人違っているから、正解は無数にある。考えの優劣を競い合う議論も可能になる。    

 

>トレーニングを受けた期間の違いで「能力の『差』が生じている」   

 

そうですね。    

 

>一方で、自身の学歴について「少なくとも満足感はない」と本音を明かした。   

>また、男性の考える高学歴について、次のように書いている。   

>「高学歴とは大学院修了者をいう。   

>偏差値の高い大学であるか否かとは無関連に、短大卒、学部卒、修士課程修了、後期課程修了とは学習歴に長短がある。   

 

我が国は序列社会で世間は偏差値狂ですね。わが国の学歴は単なる序列の言い換えに過ぎないものになっていますね。      

 

>つまり、トレーニングを受けてきた期間が異なるため、それぞれの能力の『差』が生じているはずだからである」   

>加えて、「その『差』を活用できるか否かは、また別の問題である」と持論をつづり、投稿を結んだ。   

 

大学などの高等教育機関で論文作りに励めば学士・修士・博士などの称号が得られる。博士は普通 '哲学博士' (Doctor of Philosophy: Ph. D.) と呼ばれる。

私は日本のインテリから ‘哲学とは何ですか’ と何度も聞かれた。外国人からは、このような質問を受けたことはない。日本人は大学で、自己の哲学を作ることを学んでこなかった。だから彼らは退屈男・退屈女となって大学在学中の4年間を遊んで暮らさなければならなかった。       

政治に関する考えは政治哲学になる。宗教に関する考えは宗教哲学になる。科学に関する考えは科学哲学になる。人生に関する考えは人生哲学になる。などなど。  

我が国の政治家には政治哲学がなく、わが国の宗教家には宗教哲学がない。わが国の科学者には科学哲学がなく、わが国の著述家には人生哲学がない。などなど。   

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官)    

 

TBSブリタニカとブリタニカ国際大百科事典を作ったフランク・ギブニー氏は、自著 <人は城、人は石垣> の中で、我が国の作家について次の様な感想を述べています。

孤立は日本式スタイルを誇る詩人、随筆家はいうに及ばず、小説家において最も顕著である。これは外国人にとっては判断をはばかられる主観的な領域である。しかし文学界で最も尊重される文章が意味を省略し、あいまいさに富み、漢字をうまく使って読ませ、文法分析家を意気揚々と悩ます一種の「気分の流れ」であることは一般に真実である (私の思考パターンは取り返しのつかぬほど西洋的なので、私は自分がスラスラ読めるような日本語の散文は深刻なまでに文学的優雅さに欠けているにちがいない、という大ざっぱなルールをとっている)(引用終り)  

 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で、言葉 (ロゴス) について以下のように語っています。

、、、、、 母親が子供に「チャント・オッシャイ」という場合、明晰かつ透明 (英語ならクリヤー) に言えということでなく、発声・挙止・態度が模範通りであれ、ということである。だが、クリアーということは、原則的にいえば、その人間が頭脳の中に組み立てている言葉のことで、発声や態度、挙止とは全く関係ないのである。、、、、、日本では、「その言い方は何だ」「その態度は何だ」と、すぐそれが問題にされるが、言っている言葉 (ロゴス) そのものは言い方や態度に関係がない。従がって厳然たる口調と断固たる態度で言おうと寝ころがって言おうと言葉は同じだなどとは、だれも考えない。従って純然たる会話や演説の訓練はなく、その際の態度と語調と挙止だけの訓練となるから、強く訴えようとすれば「十字架委員長の金切声」という形にならざるをえない。(引用終り)     

 

日下公人氏は、<よく考えてみると、日本の未来はこうなります。> の中で、日本人に関するW.チャーチルの感想を以下のごとく紹介しています。

日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。しかし、これでは困る。反論する相手をねじ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。

 それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。すると議会は、今まで以上の要求をしろと言う。無理を承知で要求してみると、今度は笑みを浮かべていた日本人が全く別人の顔になって、「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことを言うとは、あなたは話のわからない人だ。ここに至っては、刺し違えるしかない」と言って突っかかってくる。

 英国はその後マレー半島沖で戦艦プリンスオブウェールズとレパルスを日本軍に撃沈され、シンガポールを失った。日本にこれほどの力があったなら、もっと早く発言して欲しかった。日本人は外交を知らない。(引用終り)     

 

宮本政於の著書〈お役所の掟〉には、官僚絶対主義のことが出ている。以下は、著者(宮)と厚生省幹部(幹)との会話である。

宮「憲法に三権分立がうたわれているのは、権力が集中すると幣害がおきるから、との認識に基づいているのでしょう。今の日本のように、官僚組織にこれだけ権力が集中すると幣害もでてきますよね」、幹「ただ、日本はこれまで現状の組織でうまく機能してきたのだ。それによく考えてみろ。いまの政治家たちに法律を作ることをまかせられると思うのか。そんなことをしたら日本がつぶれる」、「日本の立法組織にそれほど造詣(ぞうけい)が深くないのですが、私も認めざるをえません」、「そうだろう。『やくざ』とたいしてかわらないのもいるぞ」、「私もテレビ中継を見て、これが日本を代表する国会議員か、と驚いたことがなん度かあります。とくに、アメリカとか英国とは違い、知性という部分から評価しようとすると、程遠い人たちが多いですね。でも中には優秀な人がいるんですがね」、「政治は数だから。いくら優秀なのがひとりふたりいてもしようがない。ある程度の政治家たちしかいないとなれば、役人が日本をしょって立つ以外ないのだ」(引用終り)