【野老澤雛物語】所沢町なか雛祭り
岩槻や鴻巣と並び、所沢がひな人形の産地とは知らなかった。
また、「所沢」の地名は、野老(トコロ・ヤマノイモ科の植物)が群生する
湿地の意味ともいわれ、古くは「野老澤(ところさわ)」と称した。
これも初めて知った。
町の中心部に「野老澤町造商店」があり、江戸後期から現代にいたる
までの、お雛様や市松人形が並ぶ、江戸時代の「おきあげ」や百徳着物が
飾られている、初めて見るものが多い、ご婦人方が親切に説明してくれた。
江戸時代の雛飾りだが、お妃様(お姫様)がお歯黒というのは珍しいそうだ。
明治時代のお雛様
大正時代のお雛様
江戸時代「おきあげ」・・・説明書きには、端切れを生かして立体的に仕立てた押絵で、
参勤交代の土産に持ち帰られて、士族の婦人の手内職として伝わり、やがて婦女子
のたしなみとして広く親しまれるようになった、と珍しいものだ。
江戸時代のお人形さん
百徳着物(ひゃくとくきもの)・・・5歳までに3人に1人以上が命を落としていた時代
・・・生まれた子供のために、ご近所の子育ちの良い家や、子孫が多い長寿のお年寄り
たちから貰い受けた着物の端布を集めそれを縫い合わせて着物を作った。
その着物を子供に着せたり、お寺さんに奉納すると「丈夫に育つ強い力」が生まれると
信じられていた。
この着物を再現したご婦人の説明だと、古い端切れを200枚ほど集め縫い合わせた
そうだ、完成まで半年かかった・・・大変な労力で2度と出来ないと音をあげていた。
昔の母親は、子供のために大変な労力を使っていたのだなと頭が下がる。
「国策雛」・・・昭和19年の戦時中、贅沢の出来ない時代のお雛様だ。
当時の印刷物にこのお雛様
一寸五分小一級 キメ風彩色人形 一体1円68銭
日本玩具統制協会と記されていた。
市内お茶の「井筒園」の店頭にに飾られていた。