先日、ある子が、このような事情でクラブを卒業した。
ある種のプレッシャ-になってはいけないので名前は明かさないが、それは医者になるために、より多くの時間を勉学に注ぐというもの。
その子が医者になりたいと考えるようになったのは、幼稚園の頃、病気と闘う祖母を見てきたから。
その想いは小5になった今もブレずにいて、夢の実現に向かうという。
そのような志があり、空手も数年間を一生懸命になって取り組んできた。
シッカリと目標を持って歩きだす彼を、いったい誰が止めようか。
そして、その子のお父さんが言う‥
『先生、この子のノ-トの隅に【先生は、いつだってボクを応援してくれている】と書いてあったんです。この子のために、この色紙になにか言葉を頂けませんか‥』
ボクは想った‥
子供は解ってくれているんだと。
届いているんだと。
だから、ささやかながらも、こんな言葉を贈った‥
【生かされて生きる】
この宇宙にあるものは大まかに言うと、すべて原子という物質で出来ていて、それは物も人間も、存在するものすべては同じものと捉えることが出来るという。
そう、それらは関係性の中にあり、そして自分が生きているという現実がある。
ならば、どんなポジションにあろうとも、自らが成すべきことはあり、誰もが、それぞれのポジションにあろうとも、成すべきことにも同じと言える、そんな共通性は出てくるのだろう。
そう、それが、ひとつの生命として存在する、我々の生き方となる。
それは大自然も含め、今も受けている恩恵に対し、少しでも返して行くということに繋がって行く‥
日々の流れの中で、そんな精神性は少しずつ、我が道場にも広がりをみせている。
それは白脇道場の小2、ユイトの言葉。
ソフトなサッカーボールから破れ出た、白い綿を拾い集め、それをまた再利用するのだと言う。
確率的にみても再利用の率は低いのだけれど、そこに繋がるかは別として、彼が物を大切にしなければならないという意識が芽生えてきたことを、ただ嬉しく思った。
そして、そんなユイトがボクに言った‥
『だって、命だから‥』