感謝という言葉がある。
〔ありがとう〕という気持ちをあらわす言葉。
以前、ある時、こんなことを考えた、
『感謝という言葉は、ありがとうという気持ちをあらわす言葉なのに、なぜ謝るという言葉が入っているのだろう‥』と。
そんな疑問を抱きながら、これは自論なのだけれど、ある日、長い武道経験の中でフと思ったことがある‥‥
今の科学では、この宇宙に存在する生命を含めたすべてのカタチあるものは、大まかに言うと同じ物質で構成されているという。だから、昔の人は感覚的にそれを知り、そのすべてを命と捉えたのではないかと。
ならば、すべての命が支え合っていると言える中、そんな視点から物事を考察していったら、色々なことが見えてきた。
人が使用するものも、人が毎日のように食べるものも、人が何かのために行動してくれることも、そのすべてが何かの犠牲、【命の犠牲】のうえに成り立っているのだと。
『すべての動物も植物も、もっと生きていたかったのかも知れない‥人間の犠牲になることなく‥』
先人達は昔ながらの生活の中で、きっと我々よりも実感していたからこそ、そんな想いを、そんな言葉に込めたような気もする‥
命の犠牲に対し、
詫びるように食べ‥
詫びるように磨き‥
詫びるように使う‥
詫びながら・・
感謝の謝とは、
ありがとうという気持ちの中に、生命の犠牲に対しての御詫びの精神を、そっと宿したものなのかも知れない。
そういえば昔から、武道の道場では基本、機械に頼った掃除のしかたをしていない。それは自らの手で行うのだ。
床を拭くなら雑巾がけをし、ゴミとりならホウキやチリトリを使う。
でも、それを命に礼をするものだと捉えた時、ボクの考えてきたこととも、なんとなく重なるような気がした‥