浜松市の子ども空手道場☆浜松スポーツ少年団【武道禅空手 流拳會-Rukenkai-】

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5月25日 ◆道場長日記‥【拳流院 雷禅のヒトリゴト - 命への礼 -】

2016年05月25日 | 教室の出来事
感謝という言葉がある。

〔ありがとう〕という気持ちをあらわす言葉。

以前、ある時、こんなことを考えた、

『感謝という言葉は、ありがとうという気持ちをあらわす言葉なのに、なぜ謝るという言葉が入っているのだろう‥』と。

そんな疑問を抱きながら、これは自論なのだけれど、ある日、長い武道経験の中でフと思ったことがある‥‥


今の科学では、この宇宙に存在する生命を含めたすべてのカタチあるものは、大まかに言うと同じ物質で構成されているという。だから、昔の人は感覚的にそれを知り、そのすべてを命と捉えたのではないかと。

ならば、すべての命が支え合っていると言える中、そんな視点から物事を考察していったら、色々なことが見えてきた。

人が使用するものも、人が毎日のように食べるものも、人が何かのために行動してくれることも、そのすべてが何かの犠牲、【命の犠牲】のうえに成り立っているのだと。


『すべての動物も植物も、もっと生きていたかったのかも知れない‥人間の犠牲になることなく‥』


先人達は昔ながらの生活の中で、きっと我々よりも実感していたからこそ、そんな想いを、そんな言葉に込めたような気もする‥


命の犠牲に対し、

詫びるように食べ‥

詫びるように磨き‥

詫びるように使う‥


詫びながら・・


感謝の謝とは、

ありがとうという気持ちの中に、生命の犠牲に対しての御詫びの精神を、そっと宿したものなのかも知れない。


そういえば昔から、武道の道場では基本、機械に頼った掃除のしかたをしていない。それは自らの手で行うのだ。

床を拭くなら雑巾がけをし、ゴミとりならホウキやチリトリを使う。


でも、それを命に礼をするものだと捉えた時、ボクの考えてきたこととも、なんとなく重なるような気がした‥