久しぶりの石垣投稿です。
今日(日曜日)は、若!の休暇日だったので、高島市に出かけました。
《一日の流れ》
午前中出発、一時間程で、高島市に到着。
雨が降っていたので、安曇川の平和堂にて、傘購入。
再び、高島に引き返し、「びれっじ」にて、昼食、散策。
乙女が池に移動。
大溝城跡の散策。
池で、ザリガニ釣り。
帰りに、ホームセンターに寄り・・・
米プラザで遊んで、帰宅。
まず、高島市とは・・・
JRだと、大津から湖西線に乗り換え、北陸方面に30分ほど行ったところ。
つまり、大津市の隣にあり、琵琶湖の北西方向に位置し、北陸への入り口にあたる・・・ところです。
戦国時代の情勢からすると、ちょうど安土城の対岸にあたり、また北陸への監視の意味からも、大変重要な地であったことは、想像に難くありません。
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(池の入り口にあった、絵地図です。)
乙女が池は、琵琶湖の内湖。
琵琶湖は、地図の下のほうに位置します。
見えにくいですが、地図の右上角に、今回目指した大溝城跡があります。
大溝城跡は、琵琶湖と内湖(乙女が池)の地形を巧みに生かした水城であったそうです。
もともとの城主は、地の支配者であったそうですが、織田の圧力に耐え切れなかったのか、出奔。
その跡地に、信長の弟の長男(おい)の織田信澄が城主として迎えられました。
信澄は、明智光秀の娘と結婚していたようです。
その縁からか、城の設計も、光秀によるものであると伝承されているそうです。
どうりで・・・
光秀の坂本城も、安土城に勝るとも劣らない立派な水城であったそうですし。
なるほど、うなずけます。
(坂本城跡も、見に行きたい城の一つ。もちろん、今はほとんど史跡は残っていませんが、数少ない石垣を眺めて、天下の名城を想像するだけでも、楽しげな作業です。)
ここらで。
皆さん、薄々お感じになってるでしょうが。
御想像の通り?
本能寺の変で、明智光秀が謀反を起こした後・・・
同勢力とみなされてしまった信澄も、また、本能寺の変に加担した嫌疑を受け、大阪城内にて自害して果てることとなりました。
よって。
城も解体されてしまい、今はただ石垣を残すのみ。
国家権力によって保護され、豪華絢爛を極める名城も良いですが。
このような寂れた城跡を散策するのも、またいいものです。
では、御覧ください。
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乙女が池方面からの全景。
バックは、大きな公立病院。
ほとんど忘れ去られた感のある城跡です。
ええ感じです。
(目の良い方は御覧ください。)
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あとから設置したのかな。
上に上がる階段がありました。
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(石垣の上からの眺めです。アマチュア?プロ?、写真家の方が、着物の女性をモデルに撮影してはりました。???)
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やっぱり、石垣は大好きです。
大きな石を使った石垣でした。
家に帰ってから・・・寝る前。
「今日は、お城に行ったよね。(父)」
「え? どこ?(次男)」
「ザリガニ釣りの前に行ったやんか? 石垣のとこ。」
「ああ、行ったなあ。けど、お城は行ってへん。」
・・・・・
気持ちはよ~く分かります。
しばらくは、母!の趣味にお付き合いくださいませ。
今日(日曜日)は、若!の休暇日だったので、高島市に出かけました。
《一日の流れ》
午前中出発、一時間程で、高島市に到着。
雨が降っていたので、安曇川の平和堂にて、傘購入。
再び、高島に引き返し、「びれっじ」にて、昼食、散策。
乙女が池に移動。
大溝城跡の散策。
池で、ザリガニ釣り。
帰りに、ホームセンターに寄り・・・
米プラザで遊んで、帰宅。
まず、高島市とは・・・
JRだと、大津から湖西線に乗り換え、北陸方面に30分ほど行ったところ。
つまり、大津市の隣にあり、琵琶湖の北西方向に位置し、北陸への入り口にあたる・・・ところです。
戦国時代の情勢からすると、ちょうど安土城の対岸にあたり、また北陸への監視の意味からも、大変重要な地であったことは、想像に難くありません。
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(池の入り口にあった、絵地図です。)
乙女が池は、琵琶湖の内湖。
琵琶湖は、地図の下のほうに位置します。
見えにくいですが、地図の右上角に、今回目指した大溝城跡があります。
大溝城跡は、琵琶湖と内湖(乙女が池)の地形を巧みに生かした水城であったそうです。
もともとの城主は、地の支配者であったそうですが、織田の圧力に耐え切れなかったのか、出奔。
その跡地に、信長の弟の長男(おい)の織田信澄が城主として迎えられました。
信澄は、明智光秀の娘と結婚していたようです。
その縁からか、城の設計も、光秀によるものであると伝承されているそうです。
どうりで・・・
光秀の坂本城も、安土城に勝るとも劣らない立派な水城であったそうですし。
なるほど、うなずけます。
(坂本城跡も、見に行きたい城の一つ。もちろん、今はほとんど史跡は残っていませんが、数少ない石垣を眺めて、天下の名城を想像するだけでも、楽しげな作業です。)
ここらで。
皆さん、薄々お感じになってるでしょうが。
御想像の通り?
本能寺の変で、明智光秀が謀反を起こした後・・・
同勢力とみなされてしまった信澄も、また、本能寺の変に加担した嫌疑を受け、大阪城内にて自害して果てることとなりました。
よって。
城も解体されてしまい、今はただ石垣を残すのみ。
国家権力によって保護され、豪華絢爛を極める名城も良いですが。
このような寂れた城跡を散策するのも、またいいものです。
では、御覧ください。
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乙女が池方面からの全景。
バックは、大きな公立病院。
ほとんど忘れ去られた感のある城跡です。
ええ感じです。
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(目の良い方は御覧ください。)
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あとから設置したのかな。
上に上がる階段がありました。
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(石垣の上からの眺めです。アマチュア?プロ?、写真家の方が、着物の女性をモデルに撮影してはりました。???)
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やっぱり、石垣は大好きです。
大きな石を使った石垣でした。
家に帰ってから・・・寝る前。
「今日は、お城に行ったよね。(父)」
「え? どこ?(次男)」
「ザリガニ釣りの前に行ったやんか? 石垣のとこ。」
「ああ、行ったなあ。けど、お城は行ってへん。」
・・・・・
気持ちはよ~く分かります。
しばらくは、母!の趣味にお付き合いくださいませ。