京都大原紫葉工房便り

京都洛北・大原の里のしば漬屋から、毎日!情報発信。

うれしいな!石垣です。

2007-06-10 20:43:54 | 近江の石垣。
 久しぶりの石垣投稿です。
 今日(日曜日)は、若!の休暇日だったので、高島市に出かけました。

《一日の流れ》
 午前中出発、一時間程で、高島市に到着。
 雨が降っていたので、安曇川の平和堂にて、傘購入。
 再び、高島に引き返し、「びれっじ」にて、昼食、散策。
 乙女が池に移動。
 大溝城跡の散策。
 池で、ザリガニ釣り。
 帰りに、ホームセンターに寄り・・・
 米プラザで遊んで、帰宅。
 
 まず、高島市とは・・・
 JRだと、大津から湖西線に乗り換え、北陸方面に30分ほど行ったところ。
 つまり、大津市の隣にあり、琵琶湖の北西方向に位置し、北陸への入り口にあたる・・・ところです。

 戦国時代の情勢からすると、ちょうど安土城の対岸にあたり、また北陸への監視の意味からも、大変重要な地であったことは、想像に難くありません。


 (池の入り口にあった、絵地図です。)

 乙女が池は、琵琶湖の内湖。
 琵琶湖は、地図の下のほうに位置します。
 見えにくいですが、地図の右上角に、今回目指した大溝城跡があります。

 大溝城跡は、琵琶湖と内湖(乙女が池)の地形を巧みに生かした水城であったそうです。
 もともとの城主は、地の支配者であったそうですが、織田の圧力に耐え切れなかったのか、出奔。
 その跡地に、信長の弟の長男(おい)の織田信澄が城主として迎えられました。

 信澄は、明智光秀の娘と結婚していたようです。
 その縁からか、城の設計も、光秀によるものであると伝承されているそうです。
 どうりで・・・
 光秀の坂本城も、安土城に勝るとも劣らない立派な水城であったそうですし。
 なるほど、うなずけます。
 (坂本城跡も、見に行きたい城の一つ。もちろん、今はほとんど史跡は残っていませんが、数少ない石垣を眺めて、天下の名城を想像するだけでも、楽しげな作業です。)

 ここらで。
 皆さん、薄々お感じになってるでしょうが。
 御想像の通り?
 本能寺の変で、明智光秀が謀反を起こした後・・・
 同勢力とみなされてしまった信澄も、また、本能寺の変に加担した嫌疑を受け、大阪城内にて自害して果てることとなりました。

 よって。
 城も解体されてしまい、今はただ石垣を残すのみ。
 国家権力によって保護され、豪華絢爛を極める名城も良いですが。
 このような寂れた城跡を散策するのも、またいいものです。

 では、御覧ください。



 乙女が池方面からの全景。
 バックは、大きな公立病院。
 ほとんど忘れ去られた感のある城跡です。
 ええ感じです。

 
 (目の良い方は御覧ください。)



 あとから設置したのかな。
 上に上がる階段がありました。


 (石垣の上からの眺めです。アマチュア?プロ?、写真家の方が、着物の女性をモデルに撮影してはりました。???)


 
 やっぱり、石垣は大好きです。
 大きな石を使った石垣でした。

 家に帰ってから・・・寝る前。
 「今日は、お城に行ったよね。(父)」
 「え? どこ?(次男)」
 「ザリガニ釣りの前に行ったやんか? 石垣のとこ。」
 「ああ、行ったなあ。けど、お城は行ってへん。」
 ・・・・・

 気持ちはよ~く分かります。
 しばらくは、母!の趣味にお付き合いくださいませ。