京都大原紫葉工房便り

京都洛北・大原の里のしば漬屋から、毎日!情報発信。

戸寺の大桜。

2008-04-12 19:37:41 | 京の石垣。
大原、ほぼ桜が満開です。

居ても経っても居られず・・・
国道沿いを散歩して
戸寺の桜を見に行きました。



古くからの民家の敷地内にある、大きな桜です。



こんな風に、国道367号線に覆いかぶさるトンネル状になっています。
観光バスで通り抜けたら、これは、さぞかし感動モノでしょうね~。

大原自慢の名木です。
(と皆思ってると思うんですけど・・・)



桜も立派だが、石垣も民家も素敵なお宅です。


ここのところ、雨でしたが。

2008-04-11 21:01:29 | 大原の風景
数日前のお散歩風景。



国道沿いは、風が強いためか、タンポポの繁殖がすごいです。

一つ一つは、なんでもない春の草花ですが。
これだけの集合体だと迫力ありますね。





こちらは、いつもの「あんあんさん」です。
昨日今日の雨で、苔が一気に成長したみたいです。
青々と輝いています。



とんびか何かの羽を、あんあんさんにお供えしたところです。

今春の流行りごと。

2008-04-10 10:40:13 | 妻!日記
3月の初めに行った伏見の酒蔵開きで、伏見銘酒組合さんの酒かすを買ってきたのですが・・・

とても白くて、柔らかくて!



正直、酒かすは苦手分野だったのですが。
(一度、粕汁を作ったことがあるのですが、変な味になったので。)
こちらの酒かすを一目見た途端、料理がしたくなりまして・・・

せっかくだから、と、わざわざ、ダシも丁寧にとってから、粕汁を作りました。



具材が柔らかくなってから、仕上げに酒かすを加えるのですが。
市販の酒かすのように硬くないので、刻まなくても、味噌漉しで十分溶けます。

出来た粕汁を飲んでみると・・・
絞りたて酒かすでしたから、香り高いのはもちろん
白くて、すごく優しい味!




突然の粕汁ブームで・・・
その後、二、三回作ったかな?
さすがに、家族も「もういい・・・」とか思ってそうなので。
今度は、甘酒を作ってみました。



粒があらいためか・・・
あまり、アルコールが抜けていない?
熱いせいかと思っていたけど、お腹の中がいつまでもぽかぽかとしていました。

酒かすのアルコール含有量。
平均で6パーセントくらいあるそうです。
子供とかお年寄り、普段飲みなれていない人は、顔が赤くなるかも・・・ですね。

今度は、粕漬けにも挑戦してみたいです。

菜の花畑を見に行きました。

2008-04-08 21:00:51 | 大原の風景
我が家の二階から眺めるに・・・
今、大原では、菜の花が満開です。

大原の里協会さんや、観光関係の方が育成に力を入れられてるようで
あちこちに見受けられます。
眺めていましたら、写真を撮りたくてムズムズしてきましたので
子達と一緒に、お散歩に行ってきました。


(漬物倉庫の横の畑)

どうやら、うちのおじいちゃんが植えたらしい、菜の花畑。
ほんの一角だけなのですが、こうやって撮影すると綺麗です。

歩いていますと・・・
ソメイヨシノ系は、5部咲きほど。
山桜が0~1部咲き。

そして。
我が家の梨の開花状況は・・・


(梨のツボミ)

ツボミも白くなってきて・・・
目の離せないところです。
昨年の投稿を見ましたら、15日には満開になっていましたから。
この一週間で開花しそうです。



そうそう。
大原名物?、戸寺バス停前の民家の古木の桜は、ほぼ満開になっていました。
国道に覆いかぶさる・・・トンネル状になっています。
ここのお宅といい、石垣といい、最高です!

あとは、先日投稿した花尻の森の椿。
いい感じの満落ち具合になっています。

それから、八瀬ケーブル駅前の桜並木も最高潮。
市内・川端通りは満開過ぎて・・・散り行く姿が美しいです。

今日は、せっかく車で出かけたのに、カメラ忘れたのが残念でした。


双鳩堂と山つつじ。

2008-04-07 21:48:51 | 京都観光に役立つ?話
先日、長男の耳鼻科受診の帰りに、山ばなの双鳩堂に寄りました。



この後、10時半から、次男同級生の皆と公園に行く約束をしていましたので。
その時間に間に合うように受診。
当然?、朝一番ですから、朝寝して起きてきた長男をそのまま連れていきました。
そのおかげで、二番目に診察してもらい、早くに病院を出ることが出来ました。
(そうそう、花粉症のひどい長男、副鼻腔炎を起こしています)

ご褒美に(誰に?)朝ごはんに、お餅を買ってあげることにしました。
「お餅屋さんと、スーパー・・・どっちのお餅が良い?」
と誘導尋問のような問いかけをし。
双鳩堂に行くことに決定。

長男の選んだのは、よもぎ団子。
公園用に、鳩餅も買いました。



鳩餅。
本当にあっさりしたお餅でした。
見た目のイメージから、ういろうに近いのかと思っていましたが。
もっとモッチリしていて、硬いです。
それでも、「子供菓子」というだけあって、子達が喜んで食べていました。


さて。
子達と子供の楽園に行きました。
この日は、まだ桜はあまり咲いていませんでしたが。
一際目を引いていたのが、こちら。



山つつじです。
園芸用のものより小ぶりで、上品な感じですね。


⑤ やっと最終章です。

2008-04-06 14:30:04 | 風雲児たち!
4月1日。
午前中のうちに、関が原の石田三成戦陣跡を後にした・・・
私達でしたが。
本来の目的である・・・
「公園・アスレチック・サッカー・自転車」をするために
天候の良い太平洋側を目指すことにしました。

旧中山道を大垣方面に進みました。
大垣市街に入り、車が薄々渋滞気味になってきた頃から
すっかり天候は小春日和に・・・
大垣では、桜満開!
(伊吹山では、「ツボミ膨らむ・梅が満開期」でしたから、不思議です・・・)
(10~20キロほどの移動で、この変化です)

目指す公園は、適当な場所が見つかりましたので。
そこを目指して・・・
大垣市街、国道258号線との分岐で、伊勢湾・長島方面に右折しました。
(このへんから、今回の・・・妻!の罠中に入ります

大垣では、大垣城の横を通り過ぎ
ちょっと後ろ髪引かれながら。
(ついでに言うと、国道21号線、そのまま直進すると・・・
 有名な墨俣一夜城の記念館があります

国道258号線、名神道の高架下をくぐってから、しばらくしたところから、右折。
揖斐川を渡って、長良川沿いに、下流方面に向かって移動しました。

着いたところは・・・
海津市にある、国営木曽三川公園センターでした。


(木曽三川公園と、シンボルのタワー)

着いてみると、何の変哲も無い、ふつ~の大きな公園でしたが。
なぜ、私がここに来てみたかったかと言うと・・・
ここここ
漫画「風雲児たち」(みなもと太郎)第3,4巻で・・・
江戸幕府・薩摩藩による木曽川河川改修事業について知り。
そのあまりの残酷さと
過酷な状況でもやり通した・・・事業の意義の深さ
もう、胸の詰まる内容でして。
一度、この地を訪れてみたいと思っていたからでした。

しかし。
着いてみたけど・・・
ほんと、ふつ~の公園で拍子抜け
特に歴史的経過については、触れられていないようでした。
(後から気付きましたが、公園内に輪中農家のモデルハウス?ありました。)

それでは、と思って・・・
(一番何かがありそうな)
長女と一緒に、タワーに登ってみることにしました。
(大人600円)





タワーに上がって、伊勢湾(下流)を望むと・・・


(見えにくいですが、右から、揖斐川・長良川・木曽川です)
(写真・右下角の松林が治水神社、油島提が長細く続いています)

たしかに、木曽三川・・・
揖斐川・長良川・木曽川、三つ並んでいるのだと、分かりました。
(地上に居たら、まっ平らで、全然実感ありません)


(上流方面:奥が木曽川、手前が長良川です)
(間に、なが~い背割提が続いています)

このタワー、すごく眺めが良いけど・・・
本当に木曽三川の眺めを見るためだけのもので、平日閑散期は採算取れているのか、ちょっと心配。
でも、ここに登ると、河川改修の意義を確認できますので
有効利用していってもらいたいものです。

タワーの一階には、パネル展示。
なぜだか、子供向けのテレビゲームみたいなもの・・・
(なまずがでてくるとか、そんなゲーム)
河川改修に関するものは、お堅いイメージで敬遠されているのか。
あまりありませんでした。

が。
パネルシアター?室があって、定時放映がありました。
江戸時代と明治時代の・・・河川改修、1部と2部がありましたが。
あいにく、放映を見るには、若干時間が余っていて・・・
長女の退屈は避けられないので、泣く泣くあきらめました。


家に帰ってから。
ネット検索で、にわか勉強しましたよ。


(見えにくいですが・・・
 濃い青色の線が、木曽三川
 ちょうど3つが交わるところに、三川公園があります)


(その1)

まず、中央に位置するのが、木曽川(一番右側の青線)
木曽山脈から流れ込む、暴れ川です。
何度となく、下流域の人は水害に悩まされてきました。

そこで、水害から尾張を守ろうと奮起したのが、豊臣秀吉です。
見てのとおり、木曽川に沿って、ぐるっと尾張(愛知県)を囲った・・・
御囲提(おかこいつつみ:ピンク線)が作られました。

飛騨川と木曽川が合流して、河口に向けて大きく蛇行する愛知県犬山市から
河口部の弥富まで、御囲堤が作られています。
江戸幕府では、他藩から尾張藩を警護するための意味合いもあったため
手厚く保護されてきました。


(その2)

しかしながら、御囲堤が出来たことによって。
木曽川の増水時には、美濃(岐阜県)側に水があふれ、前にも増して、水害に苦しめられるようになりました。
これは、木曽川よりも、長良川・揖斐川の方が海抜が低いことにも起因します。

ですから、長良川・揖斐川流域にも、より強固な堤を作る必要性が出てきました。
しかし、「木曽川よりも高い堤を作ってはいけない」という不文律も存在していたようで。
住民は、輪中集落を形成することで、水害に備えるしかありませんでした。

その間にも、何度となく幕府への陳情が続けられ・・・
それがようやく認められて行われたのが
薩摩藩による河川改修:宝暦治水でした。
(なぜに地縁のない薩摩が美濃へ?と疑問を持たれた方、是非リンクをお読みください!)

その第4期目で最大の難工事だった・・・
油島千本松締切提。
写真の赤線、木曽三川公園の麓の治水神社から河口に向けて、長細く続いています。


(その3)

私達が車で大垣市から公園まで移動してくる途中・・・
長良川の東側にずっと続いていたのが、背割提(せわりてい)。
(羽島市から長島町まで:黄色線)
いったい、いつ作られたのだろう?と思い、気になっていました。
宝暦治水には出てこないし、御囲堤とも違うし・・・
なかなか、背割提の地名を思い出せずに苦労しました

やっとこさ、地名を思い出して、検索にかけ、判明しました。

宝暦年間の治水工事が完了したものの。
根本的な水害の歯止めにはならず、その後も、度々水害がおこった濃尾地方。
明治時代になって、ようやく、近代的土木技術を生かした治水事業が行われました。

政府は、オランダ人のヨハネス・デレーケを招き、明治20年から25年かけて、工事を完了しました。
デレーケは・・・
・水害多発の原因は、木曽三川をはじめとする諸川の流出する土砂の堆積にある
・それは、河川流域における樹木の伐採によって引き起こされている
と述べ、「川を治めるにはまず山を治めるべし」という言葉を残しています。






さて。
私と長女は、タワーを出てから。
油島千本松締切提の始まりに位置する・・・
治水神社に行ってみました。


(治水神社全景)

すると、思ったとおり
まる印に十字マークの、薩摩藩の家紋と思しきマークが!
あちこちに見受けられました。
(瓦も、このマーク入り)

宝暦治水事業の経緯を説明する看板や、銅像などありました。
治水事業下の過酷な状況で病死された藩士
幕府のひどい仕打ちに抗議して亡くなった者
幕府側でも、薩摩藩に同情して、幕府に抗議・自害した者
治水に貢献された方々に感謝し、手厚く祀り、防水を祈願するための神社とお見受けしました。
(そろそろ、長女の機嫌が悪くなり、ゆっくり出来ませんでした)


(中には鶏、外には野良猫、動物の多い神社でした)




超!不機嫌の長女。(魔の二歳児)
「じゃあ、帰る?」
「いや~」
「じゃあ、まだ居る?」
「いや~」
「じゃあ、どうするの?」
「いやいや~」

魔の二歳児、炸裂していました。

その後、ご希望通り、公園に行ってひと遊び。
長男と一緒に遊んでました。

入れ違いにタワーに行った、次男と若!
いつまでも帰ってこないと思ったら・・・
タワー頂上から階段で降りてきて。
一階でずーっとお絵かき(なまずの絵)をしていたんだそうです。

それはそれで、良い思い出が出来て良かったね。



今回は、なんだか、私の行きたいところばかり行ってもらい・・・
感謝!感謝!でした。

ますます、家族奉仕に精を出さなきゃーね!

④ ふたたび関が原!

2008-04-05 09:00:40 | 風雲児たち!
4月1日午前中。
天候の思わしくない伊吹山麓から移動することにしました。

国道365号線を通って、関が原方面。
岐阜方面は「晴れ」の予報でしたから。
そちら方面の大きな公園に行くことにしたのです。
(子達の期待は裏切れないから・・・)

残り飯で作ったおにぎり8つを持って、出発。
(関東では「おにぎり」、関西では「おむすび」だったかな。
 東西分け目の関が原です

そのうち半分は、三島池で雨宿りしているうちに食べてしまった・・・
残りは、車の中で。
これだけ人気があると、作り手としては嬉しかったです

道中、関が原に入っても、まだ雨がパラパラ・・・
あ~、仕方が無いね。
諦めムードでしたが。
国道沿いに、「関が原古戦場」の標識を見つけたら、やはりムズムズ。
とりあえず、車の中からだけでも見ていこうかということになりました。


(笹尾山・石田三成戦陣跡の入り口)

戦後400年記念祭もあったようで、旗がヒラヒラ。
駐車場完備で、お客もチラホラの石田三成陣跡でした。

「お母さん、写真だけ撮ってくるし」
そう言って、外に出たのですが。
次男・長女もついてきて、外に出てウロウロし始めました。
着いてしばらくは、雨がパラパラしていましたが。
次第に晴れ間が見えてきて、雨も上がった・・・
まんざらではない。


(馬よけ?の柵)

次男は行く気マンマンで
「早く行こうよ。」と言うている・・・
それに続く長女は、遊歩道の段差が高くて苦戦
う~う~、うっとうしい声を上げている・・・
「あ~、じゃあ、やめとこうよ」
そう言うと、長女「いや~」と怒ったので、行きたいらしい・・・

調子の悪い?長男は、若!にまかせて。
下の子ふたりと登ってみることにしました。
(結局、長女は抱っこで・・・)

次男、えらい調子が良くて・・・
(こいつ、かなりムラがあります
長女も抱っこでしたので、5~10分ほどで戦陣跡に着きました。


(笹尾山・山頂付近)

テーブルセットがあり、ゆっくりくつろげるようになってました。
狭くて地味な大谷吉継戦陣跡を思い出し、胸が熱くなる・・・


(みなもと太郎「風雲児たち」:本当にこのような会談があったのか?)

まさに、マンガと同じ景色!です。


(盆地奥・一番手前の小山が、敵の家康陣があった桃配山)

とても見晴らしの良い場所でした。
こんなに見晴らしが良かったら、具合が悪いのでは・・・と思ったりするのですが。
(相手にも丸見えでしょう。)
でも、見えてても良いのか・・・
ん~、もっと本を読んで勉強しよう。


(大谷陣まで、馬でどのくらいかかったのだろうか?)
(石田・笹尾山~大谷・陣、その隣の小早川・陣あたりまでが西軍です。)

帰ってから、あらためて、漫画「風雲児たち」(みなもと太郎)を読んでみました。
自分が行った、まさにその場所で起こった出来事、と思うと、これ以上ない読み応えがありました。

「風雲児たち」は、何度読み返しても面白いです。
各家庭に一冊ずつ揃えておくべきだと思う・・・
(あくまで私の主観ですが)

さて。
大谷吉継公墓所のまわりの、かたくりの花も美しかったですが
こちらでも、たくさん花が咲いていました。



なんという花でしょうか?
初めて見ました。
この時期に山に入れてラッキー
思わぬお土産を頂きました。




 ~ まだまだ、つづく ~

③ グリーンパーク山東と三島池。

2008-04-04 10:10:32 | 妻!日記
今回の旅行では、伊吹山の麓に近い・・・
グリーンパーク山東に宿泊しました。
確か、かんぽの宿系の滞在施設で、旅館やログハウス、キャンプ場をはじめ、テニスやゴルフ、アスレチックなど充実していました。

主要国道も近いし、比較的市街地の中なので、スーパー・コンビニ・ホームセンターも近くにあり・・・
子供づれには安心の施設でした。

それに、何より、春休みだというのに、人がほとんど居なくて・・・
最高でした。
(最高なのか?)
まあ、寒いイメージがあるからでしょうか?
ゴールデンウイークは賑わってるみたいです。


(今回宿泊したトレーラーハウス:同型が5つほど並んでます。)

もっと見た目豪華なログハウスもありましたが。
5人ですから、そんなに広い部屋も必要でなく。
こちらの方が、室料が5000円安かったので・・・

中に入ると・・・


(トレーラーハウスの内装)

折りたたみ机・座布団が安っぽい印象を与えますが。
天井にはファンが付いているし、備品は比較的新しい!

何より、子供たちはロフト(中二階)に喜んで・・・
階段上がったり、降りたり、子供たちだけでゴソゴソ遊んでいました。
「今日は、ここで寝る~」
臆病者のお兄ちゃんが言うてました。

で。
トレーラーハウスそのものは、舶来製の仕様なのか・・・
なかなか洒落た洗面所・キッチンにバスタブ。
(あの・・・水道の取っ手がお洒落なんです)
デジカメのデータ容量が小さいので節約、内部撮影がじっくり出来なかったんですけど。
主婦には、夢のような誂えでした。!
(旅館に大浴場あったけど、私一人、ハウスのバスタブで優雅感に浸りました。)

安っぽい机も。
布団を敷く段になって、効果発揮!
なにより軽いから、移動が自由自在。
お洒落な折りたたみ机があれば、最高ですけどね。

庭には、バーベキュー台がありましたが。
天候が思わしくないのと、面倒くさいのとで・・・
室内のグリルで、焼き鳥に簡略化!しました。
(アウトドア好きですが、バーベキューはあまりしなかった若!&妻!)
(合宿では、ご飯・味噌汁または鍋が定番でしたし、いつもそれ。)

夜、長男の申告どおり・・・
長男・次男は、怖がりもせず、ロフトで寝るつもりにしてました。
そうなると、今度はこちらの方が気を揉みました。
(だって、絶対「やっぱり怖いから、お母さんと寝る」と言うと思ったので。)

電気を消した途端、怖がって降りてくるんじゃないか・・・
(面倒くさい)
寝ぼけて、階段から落ちたりしないか。
ねずみにかじられたりしないか。
ロフトで何かあったらどうしよう・・・

若!も、薄々そんなことを思ったのか。
結局、長男・次男と若!が一緒にロフトで寝ることになりました。

電気消したら、長男はすぐに爆睡していきましたが。
「なんだか寝られないよう」とウダウダしていた次男は、結局私の所に来て、寝て行きました。

長男、甘ちゃんのようでも、年齢と共に、自立してきたのだなあと思った出来事でした。


さて。
グリーンパーク山東は、三島池という比較的大きな池のそばに建っています。


(伊吹山と三島池)

いまいち天候不順で、小雨が降ったり止んだり・・・
本来の目的であった、アスレチックや大滑り台に行くのは止めましたが。

私が、夕方ご飯の用意をしている最中・・・
若!と子達三人で、池の周りをサイクリング?してきました。


(鴨やカイツブリの飛来地です)

ここの鳥達は、よほど人間慣れしているのか、全然怖がりませんでしたね。
鳥と戯れて、喜ぶ子供たち。

特に、長女の執着はすごい・・・
たぶん、コイツは、ペット屋に行ったら、
「私が全部お世話するから、飼っても良い?」
とか聞いてくるんでしょうね。


(何ガモさん?、きれいです!)

結局、宿泊日の夜じゅう、大雨が降り。
朝明けたら、伊吹山はますますの雪化粧で・・・
天候も、晴れ~小雨~晴れ~ポツポツの繰り返し。
らちが明かないので、すこし池の周りを散策した後、岐阜県方面に移動することにしました。


(池畔にある三島神社)

どのような由緒があるのか分かりませんでしたが。
なかなか立派な社でした。


(彫り物の凝った社でした)

② 関が原・大谷吉継公の墓所と戦陣跡。

2008-04-03 17:01:14 | 風雲児たち!
大谷吉継公の墓所に行くには、二つのルートがあるようでした。
一つは、中山道(国道21号線)沿いにある神社から登る道。
もう一つは、関が原鍾乳洞や胡麻の郷がある県道229号線から中山道に抜ける道・・・から登っていく道でした。

ネットでいろいろ調べてみたら。
どうも、中山道沿いの神社から行く方が楽なようでしたから。
半分その気になっていたのですが。
よく読んでみると・・・
神社の参道の途中、JR東海道線の線路が横切っているそうで。
そこは、踏み切りが無くて、見通しの悪い・・・
魔の踏み切り?のようでした。
(貨物列車も多いし)
大人だけならともかく、足元おぼつかない子供を連れてますので。
やっぱり止めておきました。

それで。
今回、二つ目に紹介したルートから墓所を目指すことにしました。
このルート、地図だけ見たら、林道のような表示で、墓所に向かう遊歩道に近い部分は点線になっていて、車では行けない様な感じでした。
でも、ぶっつけ本番で行ってみたら、遊歩道の入り口まで入れました。
(最近補修したのか、結局中山道まで抜けれるようでした。)
(オヤジ様も、このルートを通られたのですね。)


(遊歩道で城山?方面に向かいました)

この遊歩道の反対方面には、天満山があり、そちらには、宇喜多秀家の陣跡があります。
ハイキングルートとして整備されているのか、周りには梅の花が咲いていたり、なかなか綺麗でしたよ。

大原を出る時は小雨がぱらつき。
滋賀県も、くもり時々小雨のような天気でしたが。
こちら関が原は晴天。

勝手な思い上がりですが。
「大谷公に呼ばれてる~」と思いました。
こういうのも運と縁だから・・・
縁がなかったら、きっと行けなかったよね。
縁があって、良かった!


(入り口から100メートルほど、階段を上がりました。)

急峻な坂道を登りきると、あとは比較的平坦な山道が続きました。
数百メートル程で到着。
遊歩道入り口から、大人で5~10分ほどと書いてありましたが。
子供連れてると、丁度良いハイキングになりました。

一番身軽な長男は、どんどん先に行くのが嬉しいようで。
それに負けじと追いかける次男。
(追いつけないので、カンシャク起こしていましたが。)
やっぱり男の子、元気です。
(長女は、まだ山道が怖い年頃です。)

山道を進んでいくと、大谷公戦陣跡との分岐点があり。
もう、そこからは、見慣れた旗がヒラヒラと・・・



念願の大谷公のお墓の前に到着しました。


(大谷吉継と家臣の湯浅五助のお墓)

やっとお会いできましたね。
と、心の中でつぶやく・・・

子達は、お決まりのあんあんさんをする。

数々のブログで、お墓にはいつもお花が供えられている、と見ましたが。
確かに、今日もシキミかサカキが飾ってあり。
しかも、きれいに水掃除した後のようでした。

そういえば・・・
遊歩道から山道に上がる途中。
40代くらいの、葉っぱ(シキミかサカキ)を持った男性とすれ違いました。
その人は、自転車かバイクで帰って行きましたが。
ああ、あの人だったのね。
家の墓守だけでも大変なのに、わざわざ山の中に入ってのお世話・・・
ご苦労様です。
(観光協会から委託されてるのか、それとも個人でされていることなのか?)


(背後から: 主君から退いた位置にある湯浅五助の墓)

さて。
主君・大谷吉継公の隣で眠っている・・・
家臣の湯浅五助。
逸話の多い主君に負けず劣らずの伝承が残っているようです。
(これは、帰ってきてから調べて分かりました。)

主君から厚く慕われて、信頼を得ていたらしい湯浅五助・・・
諸説ありますが。
「この首を敵に渡すな!」との命を受け。
切腹後の大谷吉継公の介錯(首を取る事)をして、その首を持って逃走を計りました。


(みなもと太郎「風雲児たち」より)

ところが!です。
五助が、追っ手から逃れ、主君の首を葬っているところを・・・
あと一歩というところで、敵の藤堂高虎方に見つかってしまいました。

藤堂方も、姿を見て、ピーンと来た!
「さては、主君の首を埋めておるのじゃろう」
湯浅五助、ひるむも。
「首を渡すなとの主君の仰せ。
 私の首を差し出すかわりに、主君の首は探さないでほしい。」と懇願。
その姿に打たれた藤堂方も追及はせず、五助の首を持ち帰った・・・

首実検。(誰が誰の首を取ったか明らかにすること)
徳川家康の前に、湯浅五助の首が出された。
「五助ほどの家臣ならば、主君の首のありかも知っていたはず。
 なぜ、生かして追求しなかったのか?」
と家康に詰め寄られた藤堂方の家臣。
「それを申すくらいなら、褒美・命も惜しくない」
と、頑として譲らなかった。

その姿に、家康も心を打たれ。
「いや、あっぱれじゃ」と言ったかどうかはわからないが。
働き以上の功賞を取らせ、褒め称えたと言います。

よくでけた話といえば、話ですが。
きっと、それほどの魅力ある人物だったからこそ、これらの逸話が伝えられてきたんでしょうね。

この、大谷公・湯浅五助の墓所も・・・
後になって、藤堂家が建立したと言います。

話には、諸説異話もあり・・・
いや、そうではない、大谷公の首は五助が埋めたんじゃなくて。
戦陣の混乱の中、五助が大谷公の介錯をして、落ちた首を誰それが受け取り・・・
それを甥っ子の誰それが布にくるんで、逃走し、米原の山中に埋めたとの・・・
説もあって、米原には大谷公の首塚があるそうです。
あ~マニアック。

まあ、どっちでもいい。
どっちにしろ、この地で関が原の戦いが行われたのだ・・・
あ~、本当にあったんだ。
大谷公という、逸話あふれる魅力的な人物も、確かにこの世に存在したのだ。


(かたくりの花?がアチコチに咲いていました。)

かたくり、という花が、こんなにも普通に自生しているものかどうかは知らないが。
たくさんのかたくりが咲いていました。
まるで、数々の御霊を弔うかのように・・・
不思議な光景でした。





さて。
さきほどの分岐点から、今度は戦陣跡の方に向かいました。
行かなくても良いと思ったが(お墓だけで満足だし)
ここは、それほど遠くないので、ついでに行くことにしました。

子供たちも文句言いません。
ただ、長女の抱っこをしている若!が可哀想でした。
(平坦なところは、私もしましたがね。)

すぐに到着しましたが。
道中は、ぐちゃぐちゃのぬかるみ道もあり、靴が


(関が原の盆地に面する、大谷吉継の戦陣あと)

急峻な場所で、それほどの陣が作れそうもありません。
大谷公は、死ぬ覚悟で来た事、小部隊であったこともあり・・・
かなり簡素なものだったのかもしれません。
(まあ、そういうところにまた惹かれるんですよね。)


(JR東海道線・中山道沿いにある若宮八幡神社の裏山でした。)

もうすぐそこが東海道線の線路のようで、電車の音が聞こえました。



彼が、この戦陣で、何を見、何を思ったか・・・
思いをはせるほど、それは、歴史ロマンですね・・・

まあ、戦場は凄惨極まりないものだったでしょうが。
それを礎に、今の私達があるんですね。
そう思うと、何とも不思議。



ちなみに。
駆け引き上手の家康。
毛利方内部の裏切りと、小早川秀秋の寝返りが決定打となって、戦の勝敗が決定したと言われています。
それが無かったら、もしかしたら、石田光成・西軍方が勝ち、家康・東軍方が負けたのか・・・
とかモンモンと考えたりもしますが。
やはり、あれだけの家康だったからこそ、江戸幕府を築くことが出来・・・
今「篤姫」やら「大奥」でやってるような~
スレスレの内部事情の中でも存続することができるような、強固な政治機構を構築することが出来たのだろうと思います。
やっぱり、たいした器です、家康は。

ま~。
やっぱり、私は、大谷公が好きですけどね。

① 関が原に到着!

2008-04-02 19:40:39 | 風雲児たち!
3月31日(月曜日)、天候の思わしくない中、お出かけしました。

興奮して?3時半に目が覚めてしまった私。
再三の用意を完了して、9時ごろの出発。

滋賀県伊吹山方面、高速は使わずに、湖岸道路を通って出かけました。
(いつものことですが)30分も車を走らせると、退屈してくる子供たち。
何回か休憩を取りながら・・・

本日の最初の目的である、関が原鍾乳洞には、お昼には着きそうでした。
遊びが先か?ごはんが先か?
迷いましたが、子達は朝ごはん少なかったので(吐いたら困るし)
先に済ますことにしました。

「お昼ごはんは、うどん?ラーメン?お蕎麦?何にする?」
と聞くと・・・
「お蕎麦~」という次男の元気いい返事。
うどん、ラーメンなら関が原だったのですが。
お蕎麦なので、伊吹方面に決定!

一度は言ってみたかった、伊吹山の麓・・・
「伊吹野そば」に決定!
開店直後に行ったので、20食限定・特選ざる蕎麦を食べれて満足しました。
(う~ん、正直、特選と普通の違いが分からなかったけど。)

お店を出ても、まだ12時前。
早起きは三文の得、とは、こういうことですね。

国道365号線を関が原方面に走らせていくと。
伊吹山ドライブウエイの手前に、目的の関が原鍾乳洞の看板があり。
指示通り、右折して行きました。

しばらくすると、県道229号線と交わる交差点に出るのですが。
この交差点で右折(滋賀県方面)すると、鍾乳洞。
直進すると、なんと!
大谷吉継の墓所、の表示が出ているではありませんか!

もちろん、リサーチしていましたし。
吉継公のお墓にも行きたいと思ってはいましたが。
この道、きっと車は通れないのだろうと、諦めていましたから・・・
なんと、うれしいこと!
(最近改修したところなのか、立派な道でした。)

天候も、滋賀県方面は曇っているのですが。
関が原は晴れてましたから。
絶好のハイキング日和!
「鍾乳洞のあと、行ってほしいな~」
と、若!にお願いしたら、良い返事。

なんと、うれしいこと!

若!が神様に見えました。
(そうそう、私、大谷吉継のファンですから!)
(オヤジ様、山内一豊戦陣跡に行きませんでした。
 すっかり忘れてました





と、その前に、鍾乳洞。


(関が原鍾乳洞の入り口)

次男、あまり行きたくなさそうだったのですが。
洞窟の中には、ニジマスやアカハラが居る、と行った途端、大喜びして、早く行きたい!と。


(このような感じで、地下トンネルが続いていました。)

鍾乳洞的には、お子様向け?でしたが。
まったく高低差も無いし、楽ちんで良かったです。
ベビーカーでも行けるそうですよ。
(ただ、入場料700円が高いか安いかは、その人次第・・・)

暗くて、探検気分が味わえるのが良かったみたいで、子達は大喜び。
妻!が長女と売店でウダウダしている間に、3人で洞窟内をもう一周していました。
(良かったのだろうか?)

売店は、昭和の雰囲気たっぷりのところでしたが。
御影石の敷石(直径30センチくらい)が100円で売ってあって、買おうかどうしようか迷いました。
(結局、重たいので止めておきました。)

子達は、元気いっぱい。
まだまだエネルギー有り余ってるようでしたので。
大谷吉継公の墓所までハイキングすることにしました。
(雨だったら、絶対行かなかっただろうし、本とラッキーでした。)


       ~ つづく ~

とっても良かった!

2008-04-01 21:34:45 | 妻!日記
前回投稿の通り、若!の休暇にお出かけしてきました。
滋賀県伊吹山のふもとにある、グリーンパーク山東で一泊。

天気予報では、あまり思わしくないようで・・・
山東町のある滋賀県側は、曇り時々雨。
県境挟んで・・・
岐阜県関が原は、晴れ!
いったい、どうなってるのか?
どちらを見たら良いのだろうか、迷いましたが。
まあ、悪い方を予想しておく方が無難。
ど~せ、若!との旅行の時は、ほとんどが雨だから!腹も立たない・・・
万全の用意をして、出かけてきました。

たいてい、子達の粗相を予想して・・・
余分の着替えを入れておくのですが。
それに加え、悪天候での汚れも考えられるし。
そうなると、靴の代えも要るし。
雨がきつくなった時のための傘。
トレーラーハウスでの自炊道具。
自転車、サッカーボール。
すごい量の荷物でした。

予定では、まず、山東を通り越して、関が原の鍾乳洞を見学。
そして、お昼。
それから、グリーンパーク山東で遊びがてら、晩飯用意。
一泊の後、翌日は、一日グリーンパーク山東で過ごす予定でした。

が。
意外にも、早め早めの行動が多かったことと・・・
予想以上に、グリーンパーク山東の天候回復が遅かったことで。
大幅に予定が変更されました。

・・・・・・

続きは明日に。
でもね~。
この計画変更が功を奏して、すごく良い旅行に!
(少なくとも私にとってはね。)
もはや行けるとは思ってなかった場所や、全く行く予定の無かった所に行くことが出来まして。
それはそれはもう、幸せ!

明日からゆっくり、一週間くらいかけて?お話していきます。