ヴァイオリンとフルートのRio

ヴァイオリンとフルートに取り組んでいます。

関東大震災にまつわる蛇足

2023年06月15日 20時09分22秒 | その他
埼玉県南の一部に限った話ですが、関東大震災をきっかけに東京から浦和に移住した人がかなり居たそうです。

旧浦和市鹿島台周辺の震災被害がそれほどでもなかったと聞いたからのようで、鹿島台は現在のさいたま市浦和区高砂や仲町あたり。

埼玉県南部は概ね平野で北から南に向かって河川が流れ、大宮、浦和の中心部は「大宮台地」と呼ばれていて比較的地盤が良いと言われています。

鹿島台がなぜ注目されたのかは分かりませんが、埼玉県庁などの公的建造物が多かったため、被災状況が知られやすかったからではないかと思います。


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関東大震災の記憶?

2023年06月15日 05時33分08秒 | その他
NHKで最近、関東大震災について触れる事が有ります。関東大震災が起きたのは大正12年=1923年、なので100年前。

直接的に知っている事は有りませんが、父親に聞いた断片的な話を。

大正5年生まれの父親は当時小学生でした。住んでいた土蔵造りの店舗兼住宅の塗り壁が破損したので防火の用をなさず、その後全焼。上野公園に家族、店員共々避難しました。昼食用に炊き上がった米飯、蒸した芋などを運び、近所で大量に購入したパンを配布したそうです。火事が迫るまでの間に家財を運び出せたようです。その後は廃材でバラックを建て、しばらくしのいだとか。

東京の下町の状況は悲惨で、火事で旋風が起きるなどして、有名な被服廠(陸軍の軍服を作る官営工場=現在は横網町公園)では逃れて来た多数の人が焼死し、また火から逃れるために隅田川に飛び込んで水死した人も多かったと聞きました。

母親はその年の2月に生まれていましたが、もちろん当時の様子を知る筈はありません。住んでいた東京の下町で被災し、その後、郷里に移住したようです。盛り場の外れに有った母親の親戚のお店は全焼し、金庫だけが焼け残ったと聞きました。

関東大震災と言うと東京の首都直下と思いますが、横浜方面の被害もひどく、また東海道線の根府川駅がホーム、列車もろとも海に落下したと聞きました。今でもホームが海底に残っているそうです。


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