日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

10-43神頼みしたことがありますか

2014年01月04日 | Weblog
神頼みしたことがありますか

今日の新聞には次のようなことが載っていたので、コメント書いておきます
いいえと言う人の理由は

1,もともと信心けがない

毎日自分の身に起こってくることを丁寧にその原因や結果を調べてみると必ず自分以外の大きな力の存在を知ることになると思いますよ

2,運命に逆らえない

僕は違うのです。人の運命は宿命と運命と言うものに分類し、運命は神の力によってつまり信心することによって変えられるが、宿命だけは神の力によっても変えることができないものである。と、考えているのです。

3,信心はあるがご利益は求めない

凄く立派なことだと思いますが、人間はすべて欲とふたりづれではないでしょうか。僕なんか欲と道連れでないと信仰はしませんよ。あくまで現世御利益主義者です

4人生の行く末は努力次第

確かにこういう一面はあります。けれども努力次第で全てが解決されるようなところにわれわれは住んでいるとは思えません。この世ではいくら努力してもどうにも成らないことが多いのではありませんか。

,5,願いがかなったためしがない
そういう思いもありますよね。しかしどれだけ必死になったかということが大いに問題になります。戦国武将、例えば上杉謙信などは毘沙門天を一心不乱に祈り、戦いを勝ち抜いたのです。元日は初詣するが、年末にその年の安寧にお礼参りしないようでは、願いは叶いますまい。

6,人生は今満ち足りてる

確かに今は満ち足りておられていても、それが永久不変に続くわけがないでしょう。人生の吉凶交互に全てきちっと現れるものだと僕は思います。

> 7,あてにできる神様がわからない

う~ん難しい。 おっしゃるとおりで、当てにできる神様と言うのは本当に探すことが難しい。ただし探し当てた人もいますよ。自分でこれだと決めて信仰することだと思います。

8,結果が不首尾だと落ち込む

どんなに信心していてもこーゆーことがよくあります。僕もよく実感するところです。しかしその時に悪い方の結果が後々では良い結果になると言うことも考えられますし、実体験することもあります。友人で僕と同じ学力で、僕は運良く合格したが、彼は落ちた。しかし彼は方向を変えて今では筑波大学の名誉教授です。人生はあざなえる縄じゃないですか。
不首尾が実は次の成功の土台になっていることだって経験することですよ。
9,その他
神を見いだすひと、途中で見失う人 はなから探そうとしない人、始めから拒否している人、どれも当人にとっては正解です。この種の問題では甲乙はないのです。つけがたいのです。
ただし信仰を持っている人の方が信用出来そうな気がします。