日々雑感

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木の中に鎭ります仏6-43

2014年01月21日 | Weblog

木の中に鎭ります仏

神戸の六甲山の西側に再度山がある。その山中に大龍寺というお寺がある。この寺でお不動様を新しく彫刻されて、安置され慶賛法要が営まれた。
法要も何とか無事に済んで、大広間で宴会にたった時、運良く僕は仏師と隣り合わせになった。彼は僕に説明した。

この不動様を彫像するのに、朝4時に起き、般若心経を100回以上唱えながら、井戸水を何百回か被り、その行がすんでから彫刻に取り掛かると言う。
そーゆー修行を何日か続けているうちに、大きさが直径約2mの大木の中に鎮まっておられるこの不動尊のお姿が、木の中に見えてくる。
その見ている像を木から取り出したものだという。
見えている姿に合わせて、余分な気を削り取れば、中からお不動さんがお出ましになる。それをここまで運んで、今日は台座に座っていただいた。まぁざっとこんな話 だった。

木の中にお不動様が鎮座され、その姿に合わせて、余分な木を取り除くと像になるという話。恐らく一般人には分からないだろう説明で、おそらく実感としては受け入れがたい話だと思う。

ところが昨日図書館で借りた西岡常一さんの(木の心仏の心)に出てくる松久仏師も 木の中に仏様があり、それが見えるので、余分な木を削り取れば仏様が現れると書いてあるのを読んで、究極の職人は心眼でものを見るのだと納得した。仏師のみならず、特別な職人魂で、物を見ながら仕事を完成させるのだと感心した。

昨今はすべてコンピューターに頼り、同じようなものを短時間で簡単に作り上げるシステムが一般的だが、同じものを作っても、人間の魂がこもっているものと、機械が作る物とでは魂がコモッテいるか、いないかの違いがでてくる。

職人魂から生まれたものには命が宿っている。西岡さんが言いたかった事はこういうことではなかろうか。
近頃にない感動を覚えながら「木の心仏の心」を味読した。