日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

立場。肩書き

2008年12月21日 | Weblog

立場。肩書き
人間に色をつけるのは、その人がいる立場である。立場にはすでに色つきがなされており、その色の人間として人は判断を下す。
たとえば、僧一は人に説教する立場の人だから不道徳なことはしないと決めてかかっているが、現実はどうか。
お布施で生活ができない僧が窃盗罪で捕まったじゃないか。
警官が泥棒したり、万引きしたりしているではないか。それは僧や警察官は不道徳、反社会的行動をしないと、勝手にこちら側で決めてかかっているだけで、つまり信頼しているだけのことで、実際肩書きをはずせば、神と悪魔が同居する人間のことだから、本来あって当たり前の話である。別に驚くには当たらない。表に出ている色を見て中身まで同一の色だと判断する方が完全に錯覚しているのである。 

五感で感じられないもの

2008年12月20日 | Weblog
「人間の勘 胸騒ぎ 夢 幻覚 予感 などは偶然の一言で片づけられるが、我々の多くはその存在を予感しながらも、それらが強い現実的な力、見えぬものの存在に注意を払うとはしない。」
とある人が言った。
言われてみれば日常生活上の出来事を注意深く観察すると以上のような説を実感することが出来る。
でも普通我々はその原因や現象を深く追求することなく、非科学的の一言で、なぞのまま闇に放り込んでしまう。

これが果たして正しい科学的態度といえるだろうか。自分の見方考え方を含めて、いつも疑問に思うところである。
 科学の光が届かないところは訳のわからない偶然というエアーポケットにほりこまれて、まるで解決したかのような錯覚に陥るのは考え物だ。


外出

2008年12月19日 | Weblog
外出 081219

寒いから、外出が、おっくうになり、引きこもり、の毎日を抜け出て、今日は、非日常性の旅をした。

大阪を午前6時に出発したバスは、午後2時過ぎには、東京につく。

大阪を出発した時は、日の出はなく、あたりは、夜の闇一色だったが、30分ほど経つと、西の方が,もうあっと明るくなって、しばらくすると、太陽が顔を出した。
朝が早かったので、日の出をゆっくり眺めることもなく、うつらうつらして2、3時間を過ごした。

どこをどう通ったのか知らないが、気がつくと、名古屋港に、大きな橋が架かっていて、その上を走っている。これは生まれてはじめての経験で、東名高速というかってのイメージは大きく変わった。

バスはJRが運行していて、2階建てデラックスバスである。1番前の席は大パノラマで、景観を楽しむにはもってこいである。東名高速で、景観を楽しめるところは、清水ィンターを過ぎて、由比、蒲原の海岸線を走るときと、
富士山を真正面に見るときである。

今日は残念ながら、富士山のみが、雲で覆われて、すそ野の広がりしか見えない。非常に残念だった。
しかし、バスから眺める自然の景色や、人工の街は、僕の脳を活性化し、普段思ッテも見ないアイデアが、次々と浮かんだ。

遠くでは、雷がなっているらしく、音はしないが光だけが、届く。そこで考えた。
雷は、どうして光と音を出すだろう。その原理原則は全然分からない。が、光と音という結果は、ちゃんとわかる。

なぜ、光と音が出るのか、ということはもちろん科学的に説明のつく話ではあるが、もともとそういう原理原則については関心がないから、どうでもいいことになる。

他にも、見るもの聞くもの。それがどうして発生するのか、と、疑問に思いそのメカニズムをたずねることもなく、身の回りの事を何の疑いもなく、受け入れてしまっている自分を発見した。

繰り返しになるが、発生メカニズムは、完全に僕の領域ではなく、科学者の領域で、僕は単純に素直にそれを受け入れるだけでよいのだ。ということが、わかった。

東名高速を大阪から東京まで走って、気がついたことは、こんなことだった。































警察のやり方は生ぬるい

2008年12月19日 | Weblog
警察のやり方は生ぬるい081219

僕は捕り物が大好きである。テレビでよく放映される警察もの
例えば、暴走族取り締まりや、麻薬や犯罪の取り締まりなどを映した場面に、吸いつくように、見入っている。

自分の経験を踏まえて、物を言うならば、近ごろの警察の取り締まりは、とても生ぬるい。あれじゃ犯罪の抑止力にはならないだろうと思う。

暴走族の取り締まりを見ていて、全く歯がゆく思う。
パトカーの前を悠々と暴走する暴走族に、声をかけて警告したり、注意したりして、パトカーがあとを追いかけている姿を見ると、どうしてもっと強力に強圧的に取り締まりができないものだろうか
暴走族という無法者を、言葉で諭すというのか、もともと無法者だから、口で言って、聞くわけがない。

警察をなめきった態度を示しながら、取り締まりのパトカーの前をかくれんぼの鬼ごっこをしているような姿で、ジグザグに逃げる暴走族をこわごわパトカーが追いかけている姿は、まるでさまにならない。

それどころか、このテレビ放映の風景は、この程度まで緩んで大丈夫というサンプルを示しているようである。

どうしてもっとピシッと決めないものか。悪をたたくのに
なぜ強圧的な態度がとれないものなのか。取り締まりの中に、
まあまあという部分があるとすれば、そしてそれが、何らかの形で、暴走族の人権にかかわるとするならば、警察が持っている人権感覚は、間違っていると思う。

意識的に法律を犯す連中には、見せしめの意味も込めて、思い切った強い態度が、ぜひ必要だと思う。

憧れや夢の追求

2008年12月14日 | Weblog
憧れや夢の追求
                  

人の真実は心の中にあるもので身分、出自、貧富 社会階級などで判断できるものではない。

唯円が17才のかえでという遊女と夫婦の約束を交わしたのは一重に純愛である。

その純愛がお互い生涯もち続けた場合、ハッピーエンドになるが、純愛を失ったときには、育ち、すなわち遊女と僧に戻り必ずしもハッピーエンドに成るとは限らない。

そして純愛を生涯貫けるかどうか、それは二人の問題であるにもかかわらず、二人にもわからない。




大難を小難に、小難を無難

2008年12月14日 | Weblog
大難を小難に、小難を無難

この世は魂の修行、磨く場なのである。だから試練が有るのは当たり前だ。
宿命、運命、使命を背負い我々はこの世に出てきた。宿命は神の力をもってしても避けられないもの、
宿命は避けることは出来ないが、我々が受けるも諸々の試練という難を神の力を借りて、かえることは出来る。 ちまたでよく使う大難を小難に、小難を無難にという言葉である。ここに神の救いが有ると私は考えて居る。



10--20原理発見を大切に

2008年12月13日 | Weblog
原理を大切に、081213

原理を発見することからすべてが始まる。だから、原理を発見することが1番大切な基本である。

ところがその原理を発見するためには、時間と金がかかる。いわゆる基礎研究というものだ。

この原理を利用して商品づくりをする。これは実用研究というものだが、これで世の実用に供されてはじめて原理発見の意味が生じてくる。また、価値が出てくる。

つまり、基礎研究と実用応用研究が相まって、この世に一つの便利が生まれる。

しかるに、日本は金と時間と頭脳を必要とする基礎研究をなおざりにして、実用研究へと飛びつきそれをうまく金もうけにつなげて行く。

 古来日本はすべて他の国から文明を持ち込んで、それを日本的に消化してきた。日本初世界へというものは数少ない、基礎研究をおろそかにしている証拠である。

大理レポ

2008年12月10日 | Weblog

大理レポ

大理は昆明から約400キロほど西にある。大型観光バスで約12時間掛かった。途中で昼飯、トイレ休憩が30分ほどあって、それ以外は走りづめ。礎雄迄60キロは高速道路、それから先は地道、舗装があったりなかったり、腸捻転をおこしかねない悪路を走る。道は山越えで上ったかおもへば下る。野を越え山越えてひたすら走る。10時間も乗ったら大概嫌になる。大理についたのは日もとっぷり暮れた9時近くだった。街の南の端にシェグアン(下関)があるが、ここはにぎやかであった。近代的なビルが立ち並び通過したどの街よりも立派だった。

大理は宋時代には大理王国として栄えた。今の雲南省(ほぼ日本ぐらいの広さ)は大理国のなかに含まれる。古い街だけに四方に城門があり特に南の城門から北の城門へは歩いて20分も掛からないで通り抜けられる。
その通りが一番にぎやかで、人通りの多い復興路である。
 街の北のはずれに三塔がある。一番高い塔は70メーターの高さがあるが、これが作られたのは今から約1000年ほど前らしい。
 ご苦労さん。千年間お前たちのお陰でどれほど多くの人間がが慰められてきたか。僕は三塔にお礼をいった。大理の観光シンボルとして、これからますます輝きをまして名物になるだろう。

湖の西にある山脈をツアンシャン(蒼山)という。19の山々でなっており高いところでは4000メーターある。3000から4000メーターの山々の頂には雪が積もって白く輝いているが、街を行く人は半袖を着ている。僕はこの峰峰のうちで中和山と呼ばれる山の中腹までリフトで上った。
 そこから見る市街の景色は、山と湖と点在する村々と、ほぼ正方形に見える古城都市の家並みなどでのすばらしさは何と表現したら良いのか。古ぼけてはいるが美しい。
 これはこれは。僕は思わす歓声をあげた。勿論眼下に三塔が見える。心なしか傾いているようだが、これは建てられて相当の年月が経っている年代物だ。建造年月日は判らないが、南紹の末期つまり大理になる前らしい。それ以後何回か修理はされてはいる。
 蒼山、湖、三塔、城門のある街、それだけで絵になる。鉄道はまだ敷かれてないがいづれシャグアン迄は来るのだからこれからは観光化が始まり俗化が加速する。
中国仏教協会会長の趙撲初先生の額がかかっていた。もう故人になったけど、僕は先生に、法隆寺でお目にかかったことがある。鄧小平氏のように、どちらかと言えば小柄な方だった。鑑真和上の里帰りの時だったと思うが、日本に来られて高野山、や法隆寺や東大寺を訪問されたときのことである。先生に関係ある詩に作曲して差し上げたら謝謝となんどもお礼を言われたのと未だに覚えている。先生は高野山金剛峯寺の大師教会の横にある「生かせいのち」の碑文に墨跡を残しておられる。宗教はアヘンだと言って行われた共産主義革命の中にあって、よくぞ仏教を守られたことだとつくづく先生の偉大さに感銘を受けた。
その先生の額をこの大理で見つけたのである。とてもなつかしい気がした。
昆明に着いたときに、華亭寺の羅漢さんを見て、中国に仏教が存在することを嬉しく思った


遠藤実先生をしのんで

2008年12月08日 | Weblog
遠藤実先生をしのんで

たった1回だけ逢った081208

大理(ダーリー)は、雲南省・省都昆明から、高速バスで、8時間程かかる。大理は、昔、城郭都市であった。四方に高い塀を巡らせて、入り口には、大きな城門がある。

この地方の中心都市らしく、本通りは大勢の人で賑わっていた。僕はこの大理を楊君に案内してもらった。彼は鹿児島大学の農学部に留学して、日本語が堪能であった。
夜には、お礼の意味を込めて、カラオケで、歌を歌うことにした。中国のカラオケと言うのは、ここ大理では日本で言うところのキャバレーである。
歌う番が回ってきて僕は「北国の春、」をオーダーした。

北国の春、の映像は、熱帯のヤシの葉が茂っている海岸風景で、思わず笑ってしまった。日本でいう北国も、春も、全然感じられない。
熱帯のヤシの葉がそよぐ海岸とは、歌詞の意味と、似ても似つかぬものである。違和感を感じながら、僕は全曲を歌い上げた。

偉大なる作曲家、遠藤実先生は、逝った。先生ほど、心にしみる名曲を遺した作曲家も又数少ない。
今すぐ鼻歌で歌える先生の名曲といえば、「北国の春」を筆頭に、
「せんせい からたち日記 お暇ならきてね。高校3年生 
星影のワルツ 、クチナシの花 隙間風 道連れ、、、、、」
演歌に疎いぼくでさえも10曲以上は口ずさんでいる。

先生が生涯に作られた歌は、5000曲を超えるそうだ。
その中でも名曲と言われるという曲は、五分で、できると先生はおっしゃる。さっと浮かんできて、サッと消えて行く。それが名曲だそうな。これは自分でも体験することだから、実感を伴ってよく理解できる。

先生は、独学で作曲をされたそうだ。その勉強の仕方は、やはりなんといっても、演歌であったろう。お客さんのいかなる注文にもこたえなければならない演歌の流しは、ギターの練習と、演歌の真髄を教えてくれたことだろう。

楽器はギター1本で十分だ。和声学はコード進行を繰り返すうちに、血肉化されてしまっている。おそらく、メロディーも、リズムも、イントロも、エンディングも皆、流しをすることによって意識的に学ばれたことであろう。

これだけ勉強できるのであれば、独学であろうと、師匠につこうと、全く問題はない。
作曲の要蹄は、すべてこの中に含まれているからだ。もし困ることがあるとすれば合唱曲のアレンジくらい、つまりパート譜を作るときくらいだろう。

「困っちゃうなぁ」「高校3年生」「クチナシの花」「道連れ」なんでも作れる作曲家だ。

奈良の薬師寺の売店には、先生が作曲された
「般若心経」つまりお経にメロディーをつけて、歌詞を合唱にした作品が、売られている。
そんな先生に、僕はたった1回だけお出会いしたことがある。
ぼくが日本作曲家協会の会員であったとき、先生は理事をされていた。会長は吉田正せんせいだったと記憶している。

何かの用事でジャスラックの会館を、訪ねた時、偶然に、廊下で出会った。僕は高名な遠藤先生を知っていたが、先生は僕が誰だか知らなかったはずである。僕が立って挨拶をすると先生は、合掌されて、僕にお辞儀された。
 僕が手を合わせて、先生に向かってお辞儀をするのは分かるけれども、先生が僕に手を合わせられお辞儀をされたのには、僕は恥ずかしい思いをした。この構図は逆だからである。
 大成される今日まで、先生は悠々と生きてこられたわけでは決してない。東京から新潟へ疎開されて、筆舌にに尽くしがたい苦労をしながら、ご自身で音楽を、作曲を勉強されたわけである。
しかも先生は、片腕と頼んだ奥様を15年も前に、なくしておられる。どれほどの苦労があったか。想像に難くない。

 苦労人で、優しくて、暖かいお人柄から生まれた名曲の数々は、これからもますます輝きを増して行くことだろう。






































仏教歌曲

2008年12月07日 | Weblog
仏教歌曲 081207

1、聞く人の心に安らぎとさわやかさ。人心の純化をもたらすものであること。
  
2,祈りに通じるような深さ、人の心の底に達する神聖さを持つ。

3,その感情の高まりの結果、宗教的境地にまで、境地が高められるもの。

人生を共有する

2008年12月07日 | Weblog
人生を共有する 081207

素晴らしいことだ。これが実現できたら、人生につきまとう孤独の影は消え去るだろう。時々刻々、移り変わる人の思い、感情の流れというものは、その人にしかわからない

私にしかわからない思い。それを共有できる人がいたら、私の孤独はだいぶ癒される
共有できるのはいったい誰か
1,共通体験したをした人
2、恋人
3、妻や子供たち
4,友人たち。   まだほかにもあるが。

どこにもない

2008年12月06日 | Weblog
どこにもない

周りの人々との意思疎通は十分出来ている。お互いに反発したり、争論するような状況は少しもない。
さしあたり生活の不安も緊張もない。
なのに私の心には孤独の風が吹く。それはいつでも、どこでもつきまとう影の一部。
だからわたしはもうそれを愛し始めてすらいる。癒そう、消そうなんて思わない。
影を消すことが出来ないのと同様に、孤独の寂しさを消すことは不可能だから。
心の底から 暖まる家庭においてすら、孤独(心の空白)を消せないでこの地上で、どこにそんな場所をもとめられるのか?
、、、、、、ない。 どこにもない

本の売れ行きの傾向

2008年12月05日 | Weblog
本の売れ行きの傾向

今年のほんの売れ行きで上位をしめたのは、自己啓発と人生を考える事について書いた本の類である。

これが人々の己自身のことや、生きていることの意味や、よりよく生きるにはどうぢたらよいのか、言うところに関心が向けられているのだとすれば、それは喜ばしいことである。

 この世に生存を許されるのが、たかだか80年くらいならば、この短い人生を精一杯自分なりに生きて、満足してこの世を去っていくというのは生まれてきた意味を問う点からいっても、真面目な生き方だと僕は考えるからだ。

ところでこういうテーマは自分の身近にありながら、実は深遠な哲学につながっている。
生きると言うことはいのちにつながっており、それは対極には死ともつながっている。
つまり究極的には、生死の問題に関わっている。
そしてこの世でもっとも生死に関係のあるのは、宗教である。宗教は信をとおして、あるときは慰め、あるときは励まし勇気つけ、又あるときには、価値観に入り込んで勇気をバックアップしたり、自制を掛ける働きもする。
上手に活用すれば宗教は生きることにずいぶんと役に立つ。
 
 ただ現実場面で仏教が生活の足しになっているか、悩める人々に直接良いアドバイスを与え、救済に役立っているかと言えば必ずしも役立っているとは思えない。

それは仏教が形骸化していると言うことと同時に仏教の知恵を使って、現代人の心の悩みを救済しようという具体的な取り組みもない。有るのは宗派、教派の宗祖の賛嘆とその教えへの直接的間接的な強制である。あるいは集団への囲い込みである。
 
 なにがしかの御利益はあるのだろうが、いわゆる根本的な救済にはなっていないから、人心は離れていっている。この点は宗教に心を寄せる者から見ると悔しいことである。現状を深く認識して心の悩みの救済という声に耳を傾けて、旧態依然の姿、有り様から出来るだけ早く脱皮してもらいたいものである。

使命感

2008年12月04日 | Weblog
使命感081204

高邁な理想を語るとき、胸が熱くなる。そして、胸がジーンとしてとして熱いものが頬をつたう

足をつけた大地から宙に舞い上がり天馬が宙を天がけるように、精神の高揚があって欲しい。

そのために、命を、この命を真実捧げることすらいとわない。

そんな使命感が、心の底から、わいてこないものだろうか