日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

日本原電の敦賀原発停止

2013年05月16日 | Weblog
日本原電の敦賀原発停止

日本の原子力規制委員会が敦賀原発は活断層の上にあるから、原子力発電の再稼働はは認められない。またもんじゅは点検整備不良でこれも再稼働は遠のいた。という見解を示した。

規制委員会がストップをかけたのは正当な判断だと思っている。

この二施設の再稼働を当て込んでいた企業は猛反対だが、問題のある原子炉を稼働させ福島のような事故を起こしたらどうなるのか。企業倒産で済めば、良い方でまかり間違うとこの国まで破壊してしまう。

その辺に考えは及ばないのであろうか。副社長は規制委員会に抗議文さえ送っている。企業の社会的役割は発電するよりも、安全を最重要視することにあるのは自明の理であるにもかかわらず、平気で事故の立場だけを主張する。僕にはそういう感覚が分からない。

福島事故から何を学んだのか。そこからの出発が大切で、再開を出発点にすべきじゃない。もう少し社会的な責任を感じてほしい。抗議するならその点を踏まえたうえでするべきだ。

橋下発言

2013年05月15日 | Weblog
橋下発言

選挙を目の前にして、印象を悪くするような話題や発言は不適切きわまりない。
従軍慰安婦問題や、風俗利用のすすめなどその根本理屈がどんなに現実的で適切なものであっても人間には感情という物がある。

感情にいやな思いを抱かせる言い換えればイメージを悪くする発言は、選挙前の今は、禁句のハズである。
何を計算して彼がこのような発言をしたのか。理屈は判っても真意は測りかねる。
支持率の低下に歯止めを掛けようとする発言なら、子供の発言である。
政治団体の代表や、市長という立場にあればそれにふさわしい発言でなくてはならない。今回のような内容の発言は、言わずもがな
残念である。

高市発言

2013年05月14日 | Weblog
高市発言

問題となったのは
1,侵略という文言を入れている村山談話はしっくり来ない
2、歴代内閣が東京裁判を受け入れたことについて「国家観歴史観で安倍首相は違った点もある」

火消しに追われたのは菅官房長官である。この発言は迷惑至極な発言だ
政府高官として現在の空気が読めていない。

元々彼女はずっと以前にも、記者団の質問に、近代現代史は学校で習っていなかったから知らないと言い放った。その時僕はこんな程度の人物が国会議員なのかと落胆した。

現在の日本は外交上では日清日露戦争に始まって、15年戦争に入っていく歴史を最低限度として把握しておかないと、歴史的事実を知らないで、韓国や中国との関係に触れることになる。
その場の思いつきで発言する危うさを自分で知っているはずである。
はったりをかましたつもりか、知ったかぶりをしたのか、いずれにせよ歴史に対する 基礎学力がないから、確たる歴史認識の上に立ってものが言えない。
日中、日韓歴史問題がさざ波がたっているときに、歴史も知りもしないくせに、知ったかぶりで物を言うからこういう間違いを犯し 非難されるのである。

東京と大阪

2013年05月13日 | Weblog
東京と大阪

大阪は日本の3大都市の1つである。ところがどうしたことか
東京に関してはコンプレックスがあるように思えてならない。

大阪はどんなに威勢が良くとも、東京から見ればローカルである。
そのことを知ってか知らずか、大阪人は東京に負けたくないという潜在的なコンプレックスがある。そのコンプレックスが浪花根性を生み支える一因になっている 。
大阪人はむき出しの金銭感覚をよしとするが、東京には前面的に文化とか教養とかいうものが出てくる。そこに風土の違いがある。これはどちらがいいとかいう問題ではなく、それぞれの都市の特徴といえばいいかもしれない 。金銭感覚は余りにぎらぎらしすぎると、みっともない。文化や教養を前面に押し出して金銭欲を後ろに引っ込める方がきれいである。

真理の発見と発明

2013年05月12日 | Weblog
真理の発見と発明

空海は密教と言う非釈迦的な世界を確立した。日経は釈迦の思想を包摂してはいるが、しかし他の仏教のように酒を教祖とする事はしなかった
大日と言う宇宙の原理に人間の形を与えて、それを教祖としているのである。

僕が学んだ知識によると、お釈迦様は宇宙の真理を発見した人である。
それでは宇宙の真理を作った人は誰なのか。という疑問はいつも頭の中にあった。

もし空海のように考えるならば、大日如来こそ宇宙の真理の創造者あるいは真理そのものと言うのではないだろうか。その宇宙の真理を初めて発見したのがお釈迦様なのだろうか。
大日如来とはと言うと、人間の姿を取らない法身と言うことになろう
すなわち大日如来こそ真理であるということなのだろうか。

どなたか教えてほしい。7

詐欺

2013年05月10日 | Weblog
詐欺

人を疑わないのは相手を信用するからだ。相手が詐欺犯人がどうか確かめることもなく、大金を渡してしまう。こういう例は何十回と前例があるにもかかわらず、大金をだまし取られると、
騙す奴より騙される人の方が悪いと腹が立ってくる。

日本だからこの程度だが、これがインドならばどうなるのだろうか。お人好しにつけ込んで丸裸どころか、ケツの毛までに抜かれるだろう。

これだけ頻発すれば懲りなければ詐欺防止は出来ない。
加えて配当利回りが異常に高い商品を買わせる。1%の金利でも利回りは良いと思うのに、5%や8%になるといって騙す。その人数たるや何人ではなくて何百何千と言うから、あきれて物が言えない・

そういう条件の良い物はごろごろ転がっているわけはないし、あったとしたら、大手が手を出しているだろう。完全に欲の皮の厚さにつけ込まれている。
奪い取られて歯がゆく悔しくはないか。
この世の中には常識以上に条件のよい話があろうはずはないと考えるのが常識だろう。

自民党川口委員長解任問題

2013年05月09日 | Weblog
自民党川口委員長解任問題

日中関係は現在異常である。どんな小さなチャンスをとらえてももつれた糸をほどいていかなければならない状況下で、川口氏がチャンスをとらえようと奮戦して、会議をおくらせた事は時局から見て許容できる物である。しかし彼女は解任された。国会のルールが大切か、国益が大切か鼎の軽重を問われれば、答えは即答できるはずである。国益か国会のルールか。
野党に問いたい。どちらを向いて政治をしているのか。愚かしい判断は夏の選挙に良い結果を生むはずがない。

ふるさと

2013年05月08日 | Weblog
ふるさと

ウサギ追いしかの山、小鮒釣りしかの川
夢へ今も巡りて 忘れがたき ふるさと
作詞 高野辰之  作曲 岡野貞一

日本人なら誰でも知っていて歌う名曲である。
ウサギを捕まえた里山は失われ、小鮒をつった川の上には鉄板が敷かれ駐車場になってしまった。高度成長期が過ぎた日本の姿である。
古き良き時代のふるさとはどこへ行ったのだろうか。
ふるさとって一体何だろう。
幼少期を過ごした自然豊かな地域を指すのではなかろうか。
それでは銀座のど真ん中で生まれた人のふるさとは銀座の喧噪の中にふるさとあるのだろうか。
思いようようだがふるさととは、地域風景になじむのが一番であるが、銀座のど真ん中で生まれた人がふるさとは銀座と言うであろうか。東京だと言う事はあっても、新宿歌舞伎町だの、渋谷道玄坂だの大阪道頓堀などとと言う事はあるまい。
何故だろうか?
ふるさとは静かでのんびりした雰囲気のあるところをさすのではなかろうか。感覚的にネオンきらきらの歓楽街を指すことはまずないだろう。
誰かが言ったが、ふるさとは遠くにいて思うもので、そこは心を休めるノスタルジャがいっぱいつまったところだろう。

イギリスの諺

2013年05月07日 | Weblog
イギリスの諺  

食べるために 生きるな 生きるために食べよ    イギリスの諺 
よーく考えてご覧。食べるにも事欠く人がごまんといる中で、このような高邁な生き方を説いてみたところで何になる?飢えている人のために例え一切れのパンを与える方がどれだけ現実的で有効か
。答えはおのずと出てくる。このことわざは大英帝国が世界の富を収奪した帝国主義時代に、はやった物ではないか

週刊誌

2013年05月06日 | Weblog
週刊誌

たまには週刊誌を読むのもいいものだ
。他人の業績や功績を妬み妬みのマイナス感情からアプローチして、読者に溜飲を下げさせる手法をとるのが売りだからめったによまないが、、、
し記事の発想そのものを健全だとは思っていない。したがって電車の中のつり革をの広告や新聞紙の広告の見出しぐらいでおさめておく。

最近こんな調子で見るともなく見ていると「恥をかかない関西デビュー」 という笑える記事が載っていた。紹介すると
大阪人は列を作って電車を待つが、客が完全に降りてしまう前に、乗り込んでくる。
実際にそうである。駅について一番最後から降りようものなら乗り込んでくる人波に押されて阿波踊りをせねばならない。これは言い得て妙である。いいところを見ているなーと感心した 。

感情表現

2013年05月05日 | Weblog
感情表現

「あー美味しかった」
彼は感動的表情をこめてそういった 。僕はこれぐらいのことでおいしいと思うのかと訝ってた。
考えてみるとこのような感情表現は人ぞれによって大いに異なる。
嬉しいとか、悲しいとか、おいしいとか、いたいとか、こういう気持ちの表現の深度は人さまざまで。発信する人の気持ちにどれほど伝わるかを言うと、まず言える事は深度は正確には伝えられないという事だ。
だいたい、嬉しいと言う一言で言っても、それらを無限の広がりを持つ。それが全部受信者に伝わるわけがない。こういうことを考えると言葉のラリーだけでは本当の気持ちとを伝えるには限度があるということはわかる

京都のぶぶ漬け

2013年05月04日 | Weblog
京都のぶぶ漬け
1,
「ぶぶ漬けを食べておかえり」 と言われると「腰が重すぎる。早く帰ってください」と言う意味らしい 。
そう言われたかもしれないが、ぼくはそんな京都言葉の奥深い意味など全く知らない田舎者であるから、これらの言葉通り受け取り、ぶぶ漬けが出てくるまで待つだろう。
しかしこのことを知ったので、京都人の嫌味に復讐してやろうと考えた。
ぶぶ漬けの話が出たら「ぶぶ漬けまだですか」と逆襲をする 。
不意打ちを食らって、呆れ果てた表情を見るのが面白い。これは腹の底から笑える。

「こないだの戦争で」といえば常識的には太平洋戦争を指すと思う。ところがこれが違うらしい。なんとなんと応仁の乱の事らしい。
100歩譲っても、「鳥羽伏見の戦い」である。それをノーノーと言うところが京都の独りよがりの嫌な点である。
これは、もう逆襲ではなくて 軽蔑の域に達する。

歴史の跡を尋ねたら

2013年05月02日 | Weblog
歴史の跡を尋ねたら

大抵の場合、そこには悲劇が埋もれている。歴史というのは勝者が敗者をさばいて勝者を正当化したところが出発するというのが通例である。
この小さな島国日本においても、政治権力の戦いとその状況や結果が示されている。
ある集団とある集団との闘争史が日本史の中核をなす。
時間の流れによってどのように、うつりかわり、それが社会にどのような影響を与え、また広がりを見せたか。それで時代を区切ってゆくのが時代区分である。
そして大局を俯瞰すると小さい集団のぶつかり合いから規模、がどんどん大きくなり、国を2分するような規模になり、やがて統一されて1つの国にまとまった。それまでには2000年の時を要した。と同時に多くの人命が犠牲になった。

石造りの記念碑はただ1つぽつんと建っているが、その陰にはいったいどれだけ多くの人間の血が流れたことか。
悲劇を悲劇とも思わないで、次の悲劇を繰り返したのが歴史であった。

収入が1ドル増えることで

2013年05月01日 | Weblog

収入が1ドル増えることで

感じられる幸福感は、金持ちよりも貧乏人の方が大きいが、飽和水準は存在しない」と指摘した。これは収入が増えれば、貧乏人も金持ちもより幸福に感じることと、そして、金持ちの幸福感を増大させるにはより多くのカネが必要なことを意味する。

これは富裕国と貧困国の両方に当てはまり、そういった国々の富裕な個人と貧しい個人の両方に当てはまることが証明されたという。

学者は「貧困国における幸福感と所得の関係は、富裕国でもほぼ同等に言える」ことを突き止めた。

 ウォルファーズ氏は、この研究論文の意図は因果関係を示すのではなく、相関関係を示すに過ぎないと指摘する。

より多い所得がより大きな幸せをもたらすかは不明瞭だ。
人々は自分の所得が増えるのを見ると、より幸せに感じると言う傾向にあるにすぎないという

そこで一言。
やっぱりこの世の中はかねがないとはじまりませんな。というのが大多数の凡俗が思うことである。金はあった方が幸福感が増すというのは当たりですね