本日は、終戦記念日です。
以下、平成26年の今日書いたブログの抜粋です。
「私の母方の祖父は、母が5歳の時に台湾沖にて戦死しております。
祖父は、戦前から大坂商船で船の機関長をしていたこともあり、家に帰ってくるのはたまのことであった上に、戦争が勃発し、母は自分の父との思い出が殆どないと語ります。
また、就職時には、片親という理由で、遠回しに断られた企業もあったそうで、「片親になったのは、私の責任じゃない」と、悔しい思いもしたそうです。
当時の日本には、そのような思いをした子どもたちが、どれだけいたことか…
そして、その子どもを想い、妻や家族の身を案じ、家に帰ることを願い続け亡くなった方々の魂。
今日は、我が祖父に、すべての魂に、静に、心を込めて祈ります。
(祖父、勘次郎と、私を育ててくれた祖母タカの、結婚当時の写真です)
戦争で亡くなられた方々の犠牲の元に、今の日本があり、自分が生きています。
私は、戦死を遂げた祖父の命、皆様の命と共に生きるという思いで、たとえ微力であっても日本の平和と発展にこれからも務めたいと思います。」
以上、思いは変わることなく精進してまいります。
以下、平成26年の今日書いたブログの抜粋です。
「私の母方の祖父は、母が5歳の時に台湾沖にて戦死しております。
祖父は、戦前から大坂商船で船の機関長をしていたこともあり、家に帰ってくるのはたまのことであった上に、戦争が勃発し、母は自分の父との思い出が殆どないと語ります。
また、就職時には、片親という理由で、遠回しに断られた企業もあったそうで、「片親になったのは、私の責任じゃない」と、悔しい思いもしたそうです。
当時の日本には、そのような思いをした子どもたちが、どれだけいたことか…
そして、その子どもを想い、妻や家族の身を案じ、家に帰ることを願い続け亡くなった方々の魂。
今日は、我が祖父に、すべての魂に、静に、心を込めて祈ります。
(祖父、勘次郎と、私を育ててくれた祖母タカの、結婚当時の写真です)
戦争で亡くなられた方々の犠牲の元に、今の日本があり、自分が生きています。
私は、戦死を遂げた祖父の命、皆様の命と共に生きるという思いで、たとえ微力であっても日本の平和と発展にこれからも務めたいと思います。」
以上、思いは変わることなく精進してまいります。