昨夜ハノイより戻りました~
浅草のベトナム料理店「オーセンティック」が松戸に移転し(今現在、浅草店のディナータイムも週に何度かあり)
美味しいフォーが食べられなくなるので、それならば本場のフォーを食べようという事がきっかけだったわけ。
ベトナムの文化に興味とかではなく、単純にフォー
日本人観光客は断然、ホーチミンの方が多いらしいけれど、フォーの本場はハノイなのだ。
それにハノイはフランス文化との融合都市でベトナムの政治文化の中心地。
面白そうじゃない?と思ったのだ。
ホーチミンは南に位置しベトナム第一の都市で経済の中枢でもある。
ハノイは北に位置しベトナム第二位の都市。
そのハノイは7世紀にベトナムの中心となりそれ以降、中国の影響を受け続け、
「東京」と呼ばれたこともあったらしい。
19世紀にはフランス領インドシナの中心地となった。
第二次世界大戦の期間は日本の統治を受け、その後はあの有名なベトナム戦争が起こり、
現在は社会主義共和国となっている・・・というザクッとしたハノイの歴史。
2月8日は旧正月の元旦。
なので訪れた時期はテト(旧正月)休みの真っただ中でした。
国旗を掲揚している通りも多かったです。
市内の至る所にある寺院には初詣客も多く、お正月には欠かせない桃の花や金柑が飾られていました。
どうも見るところ、寺院もお店も民家も金柑派と桃派に分かれているようでした
ハノイの建物はオレンジがかった黄色が多く、とても特徴的です。
これはフレンチ・コロニアル様式の影響らしく、フランスでは「黄色」=南を意味し、
フランスでも南部は黄色の建物が多いですよね。
ベトナムといえばバイク
TVで見てはいたけれど、想像の上を行っていた
疲れた・・・道路を歩くだけで、渡るなんて言うのは言わずものがな・・・怖い、怖い
ハノイの繁華街にある大通りなんて渡る時は緊張する~タイミングでどーっと車とバイクが来るので
間合いを見計らって恐怖にかられながらわたりました。
横断歩道ってほとんどないの
たまーに、信号機があっても違反するのが当たり前のようにバイクは突進してきます!
あちらの方は慣れたもので、お年寄りもそんな中をゆったり渡っていますけれど
何か所も道路の脇に花束が置かれていたのを目にしたのも事実なのだ
驚く事に、1台のバイクに小さい子供を含め家族全員が同乗している・・・
大きな幹線道路でトラックがいようがバスと接触しそうな距離だろうがお構いなし。
その為に、常にクラクションがけたたましい。正直、うるさ過ぎる
イタリアの運転は怖いけれど、これは車だけの問題で、ある種、まだ安心感のあるスリルだったのだと
ハノイに来て思った。
発展途上国の人々の逞しさを見た思いがした。
今やベトナムでも日本企業もたくさん進出しているでしょ?
家族は大変だろうね~慣れるのかな~
ウエストレイク周辺は外人や日本人も多く住む高級住宅街だけれど、
少し行くともうカオスなんだから~
フレンチ・コロニアル風の可愛いお家も多い。
商業地はそのフレンチ風と東南アジアが混とんと混じりあいエキゾチック。
建物は間口が狭く奥行きのある建築がほとんど。
古い建物は、積み木のように、上へ上へと継ぎ足している感じ
このバイクの排気ガスの影響か朝は青空が見えない。遠くはモヤがかかったように見える。
まだバイクの騒音やクラクションが静かな早朝、小鳥の可愛い声が聴こえる。
こんな混とんとした街に小鳥?等と思ったら・・・
この様に小鳥を飼っているお家が多く見受けられる。
でも~排気ガス大丈夫なんだろうか・・・
そして鶏も多い・・・これは・・・フォーのお出汁用だろうか???
「コケッコッコー」で夜が明けたと分かる。
お婆さんは、こうして家の前の道路に座っている。
いつまでも座っている。
お婆さんだけではなく、お爺さんも、いや、オバサン、オジサン騒音の中、座っている。
排気ガスと騒音が酷くても、お家の中より過ごしやすいのだろうか
今まで経験した事のない文化!ハノイのイメージそのままの、デカプリオが怪しい通りを
果物かごや台車を蹴散らせながら逃走するシーンに出てきそうな、
面白い街ハノイ。
次回からはそのハノイ旅行記を始めたいと思います