昨日の水曜日が最終話の配信(12話)だったアマゾン・プライムオリジナルドラマ「ハピマリ」
とても楽しめたドラマだったけれど、
途中から「?」が多くなった
同じ脚本家とは思えないようなイージーでドラマだとしても設定が~になってしまった。
北斗役のディーン様のカッコよさと千和ちゃん役の子が可愛いから最後まで見たけどね。
しかし、このドラマで最大の収穫は藤原紀香だ
苦手だった紀香の登場を待っている自分に気が付く
このドラマを知る前に自分が藤原紀香を熱望するようになるだろと、
全能であらせられる神様、仏さまだって想像だにしなかっただろう。
コミカルな役で彼女は新境地を得たと言っても過言ではない
NHKの朝ドラは大地真央のピカピカおばあちゃんを突っ込みながらまでは見ていたけれど、
大地真央退出でリタイア・・・
主人公が創刊した雑誌への熱意や必然性があまりにも希薄で何を描きたいのか分からないもんね
しりすぼみになった「ハピマリ」と朝ドラだったけれど、メチャクチャ面白いドラマがあった。
色々な世界に於いてトップの座にある者、それもそんじょそこらのトップじゃないトップ
トップは孤独であるとか、言われるけどさショボいトップにもなった事のない私のような
人間には想像は出来るけれど想像でしかないわけよね。
トップになったらそれ以上はないわけで、凄いトップのそれ以上の前人未到のトップを求める人、
今の地位を必死で守ろうという人まあ、いろいろなんだろう。
それはそれは凡人いやそれ相当の人でも、そういう特殊な人が当然持っている弱さを
知る事はなかなか難しい。
その弱さを志とか類まれなる意思を持ってねじ伏せていくのだろうけれど、
人間だもの~悩みもするわけで、その才能の大きさゆえに凡人には考えられない方法などで
平凡に言えばストレスなどの対処をするんだろうな~
だからね、私はタイガーはしょうがないと思うんだ。
あら?唐突???
タイガー・ウッズと言えばゴルフを知らない方もご存じのゴルフ界のいやスポーツ界の
スーパースター。
長らくスポーツ選手の収入でダントツの1位を保持していたんだよね
まあさ、私はそのタイガー・ウッズのプレーを見てからというものゴルフにハマっちゃたんだけどさ。
凄いのよ、その強さが
タイガーがゴルフをアスリートのスポーツに変えたんだよ、しかしその結果、色々な部位に怪我をし
手術も複数回・・・今は開店休業状態。
ジャック・ニクラス等の記録を抜けると考えられていたけれど、40歳を前にこの状態では難しいかもね~
しかしタイガーがダントツに強い史上最強のゴルファーであると私は信じているの。
そのタイガーが北欧の金髪美人と結婚しながらも、セックス依存症とか言われてスキャンダルがゾロゾロと出て
ゴルフも一時期、休業し離婚もしたわけね。
「自分は意思が弱くセックス依存症でした」ってタイガーの謝罪会見は衝撃的だったものな
でもね~マルコ・ポーロ シリーズ2を見ていたら、タイガーくらいの人間はしょうがないね~
異常性癖もっちゃってもさ、凡人と違うよ。
そのくらいの異常さを持たなければ、精神は持たないんじゃないかな~人間だもの。
異常性癖といっても犯罪じゃないんだからね、そこはお間違えの無いように・・・
その位トップを維持し続けるっていうのは大変な心の葛藤があるのだろうと思うよ。
そう言えばあの頃アメリカに住んでいる叔母が「あんなにお金を稼いで来る男なんだから奥さんが
間違ってるよ!!!私なら、そんな女遊び見て見ぬ振りするわその位の男よタイガーは
それにタイガーはセクシーでしょ?」って言ってたもんな~
と、まあタイガーの話になっちゃいましたが、ネットフリックスの「マルコ・ポーロ シーズン2」が
面白い事、面白い事。
シーズン1でフビライという一見アンパンマンのようなモンゴリアンがだんだんカッコよく見えてくるという
マジックにかかり野望を持ち、今の時代の私等からすると残虐この上ない手法で国を大きくし
しかし、その揺るぎない信念が見るものを圧倒し・・という展開で楽しめたドラマだった。
このシーズン2もスケールの大きさではシーズン1をも上回るドラマとしては異例な映像で
アメリカ制作ドラマでありながら、当時の中国、モンゴルの文化、衣装などはタイムマシンで
その時代に戻ったのか?と思わせるほどの凝りようでもある。
シリーズ1がチンギス・ハーンの孫にあたるフビライがモンゴルに留まらず中国をも
手中に収めようと、その野望で突き進む物語なら、シリーズ2は中国、当時の宋を
落とし元と定め統一中国の初代皇帝になりながらも、モンゴル国内で起こる反乱を
静定するために骨肉の争いを繰り広げるという展開。
シリーズ1で父親と共にモンゴルに辿り着いたマルコ・ポーロが人質として
フビライに差し出され、マルコの状況を瞬時に正しく分析する能力を認められ
フビライに重用され、マルコ自身もフビライの揺ぎのない信念と遂行する強さに
見せられ忠誠心を持つにいたるって流れだったわけ。
実の父親に置き去りにされた不信感が揺るがないフビライに父には無い強さを
感じたのだと思うのだけれど、
このシリーズ2では「父と子」というのも大きな意味を持っているように思う。
それは父と子だけではなく血縁・・・夫婦・・・または縁あって親子の様になった者など
の意味というか。
そして何よりも感じたのは偉大な者も持つ人間としての平凡な心持ち。
弱さとは違う、いや弱さなのだろうか
平凡には戻れない、平凡には生まれついていない者の心の葛藤が描かれているように思う。
フビライが子供同然に育てた財務長官アラブ人のアフマドにそそのかされ南宋のラストエンペラー恭帝を
その腕の中で殺害するのだけれど、
恭帝は5歳で皇帝となり直後にフビライによって宋は滅び、ドラマではかくまわれていた恭帝を見つけ出し
フビライのもとへと連れてこられた(史実は恭帝の7歳以降の真実は不明だそうです)
フビライは当初、この幼い皇帝を捕虜として生かすつもりだったし、皇后も修道院での暮らしを望んでいた。
密かにフビライの失脚を狙うアフマドがフビライをそそのかし恭帝は殺害されるのだけれど、
その事がフビライに心の動揺を引き起こす。
幼い皇帝はフビライの腕の中で窒息死させられる直前に泣きじゃくりながらこう問うたのだ。
「殺された人達は泣いてたの?僕は悪い人が殺されるのを何度も見たけれど、
僕も悪い事をしたから殺されるの?」
悪夢にうなされ「永遠の王はいない」と弱気になったフビライに恭帝殺害に絶対に反対であった皇后が非難めいた事を言う。
するとフビライは賢婦と認めている皇后を初めてののしり始めた。
「お前はいつ骨が折れる困難な決断をしたのか
胃の痛む事をした事があるか
弟をその手で殺したことはあるか
全て余がした事だ。
余が決断をし実行した事だ」と。
場面は皇太子の寝室に移る。
皇太子が妃に問う「皇帝として一番大切な事は何だろう?」
悲劇の妃は答えた「決断し、他の選択肢を忘れる事」
野望だろうか?信念だろうか?人民の為だろうか?自分の家の為だろうか?
そのどれにしても世界の殆どを手に入れようとする皇帝は決断した事を後悔してはならないのだ。
その目的の為、綺麗ごとでは済むわけもなく良心がメチャクチャになろうと、
想像を絶する非難を受けようとやるべき事をやらなくてはいけないのだ。
全ての最終決断と責任を一身に背負って。
非人道的だ、もっと方法があっただろう・・・というのは傍観者の意見でしかないものな~
責任を伴わない者は理想的な策を考えるものなのだな~
このシーンを見ていて初めて、どの世界でもトップにいる者の苦悩とそれに打ち勝たなければならない
血のにじむような心のありようを知ったような気がしたし、
また助言という一見、親切めいた事しかできない周りには常に血のにじむような責任は伴っていないという事
で助言を受け入れたとしても、そのどの様な責任も助言を受けた方が負わなければならないんだもんね。
と、このダラダラしたとりとめのない感想を喜徳にも読んでいただいた方はこう思うのではないだろうか
「あれ?マルコ・ポーロは???」
まあマルコ・ポーロはあれだな・・・このプロデューサーは「フビライ・ハン」という題名に
したかったんじゃないかな?
しかし、それではアメリカ作品、広くはアジア系以外の人々に受け入れられないだろうと。
マルコ・ポーロが主人公ではなく明らかにフビライハンが主人公なのだけれど。
百の目と呼ばれる本来は中国側の道教の僧を演じる、作中でも重要な役割を果たす
人物はトム・ウーという役者さんなのだけど、このカンフー?中国武術のアクションが凄い
その百の目と同じ部族のやはり武術の達人に007などにも出演したミッシェル・ヨー。
まったく、どこを取っても見ごたえ十分で、脚本力のあり方を考えさせられる。
国境が流動的だった他国と異なり、欧米から見れば極東にあたる四方を海に囲まれた小国は
花鳥風月に親しみ稲穂の垂れるさまを眺め、内観していれば良かったのだろう。
常に山の向こう、砂漠の向こう、海の向こうを望み不気味な存在が急襲してくるかもしれないという
環境から育つ大きな大きな視野と世界観。
この広すぎる世界観をこのドラマは見事に描き切っている。
これはどうもシリーズ3に続くのだろうな???