旅行中、Eメールがブロックされ、いっさいメール送信受信が出来なくなりました。これを解除するにハッカーから10万円が要求されました。こちらに戻ってから色々試したり、新しいメールアドレスを作ってもどうすることも出来ません。全てを消して再稼働することにしました。もし私にメールを送った方がいらしゃれば(数人ですが)しばらくお待ちください。今日の午後、お世話になってるお店に行きます。
昨日、ケベックに戻りました。
2週間の不在の間、庭は春の花が開花し始め、甘い匂いがお帰りと迎えてくれました。
さて、ウイーン最後はシェーンブルン宮殿観光の後、市内をぶらぶら散策予定。小さなモーツアルトが演奏した広間を見学したかった。が、宮殿に入るに待ち時間3時間、その間周辺の庭園を散歩して時間を潰してくださいとの説明。でも、あまりの広大さに気持ちが萎えてしまった。バラ園のみを観光し他は諦めた。この壮大な宮殿を眺めながら、音楽家や画家なんて貴族から見たら彼らを楽しませる役割を仰せつかった太鼓持ち芸人のようなものだったんだなと思う。親しくなっても超えることのできない厳然とした階級の壁があった。宮殿や貴族の館に比してモーツアルトやベートーヴェンの住まいはウサギ小屋に見えた。
午後にウイーン空港すぐそばのホテルに移動して一泊。出発の朝の朝食ビュッフェで初めて日本人団体観光客を目にしました。
プラハも、ウイーンも、ブタペストもほとんどと言っていいほど日本人にはお目にかかりませんでした。韓国人ツーリストが一番多かったです。ウイーンのホップオンステップオフの解説オーデイオから日本語が消えていました。韓国語と中国語はありました。円安は痛い。
旅から帰って3日休み仕事に戻ります。試験の結果が出てるだろうとドキドキしながら大学の個人サイトに行ったらまだでした。落第しませんように。
ブタペストもザルツブルグも汽車で2時間半の距離。どちらも日帰り旅行です。
ブタペスト訪問は変な日だった。予定は世界一美しいニューヨークカフェでお茶、夫婦でタイマッサージ、ヨーロッパで一番美しいと言われるユダヤ人シナゴーグと国立歌劇場見学。
10時半到着なのにニューヨークカフェは行列ができており入るに1時間かかった。カフェから出てきた方に、どうでしたかとたづねると、一言 「おったまげー」とのこと。そして頼むならアップルパイだよと教えてくださった。
このカフェのお客様は観光客だけと思う。と言うのもカフェとデザートのみで日本円だったら5000円ぐらいかな。でも後悔しなかった。眼福とはこのこと、ゴージャスでした。ただし有名なアップルパイは午前10時半だったのに売り切れでクレープを頼みました。
タイマッサージはネットでは好評だったが、マッサージ資格証明のデイプロムが飾られていなくて、なんていうか素人を養成し安くこき使い、マッサージ嬢が搾取されてるような雰囲気を感じました。マッサージ受けながらタイでの日本人観光客が激減し仕事も激減と教えられました。夫と二人でチップを弾むと顔を輝かせました。きっと狭いアパートに数人で住み、お金をタイの家族に送ってるんじゃないかしら。一人はブタペストに来て1週間とのことでした。もう仕事してる。私たちは恵まれていると感謝あるのみです。
シナゴーグにゆくに道に迷ってタクシーに乗り、噂通りぼられました。シナゴーグはイスラエルのガザ侵攻で爆発予告を受けているとかで閉鎖、警官による厳重警戒態勢でした。外からのみの写真。
1日観光で1万円もあれば十分とのことで両替を最小限におさめていたため金欠になりました。それで一日フリーパス乗車券を使ってトラムでぐるぐる市内見物。
ブタペスト市内中心部は高層建築が少なく広々としていますが、市の外れにゆくに従ってアパートが建ち並び、全体的に古びており質素な暮らしがうかがわれ都会の華やかさはなかったです。
発展なしの代わりに時代を感じさせる建築物がたくさん残っており、異国なのに懐かしいような郷愁を覚えました。
駅もみすぼらしかったです。汽車の時間も迫り、国立歌劇場はパスしました。
ただいまウイーン空港前のホテル。明日ケベックに戻る。
ウイーンには6日滞在で、ウイーンは4日、日帰りでザルツブルグとブタペストを各一日づつ観光した。老いると若い時のようにあちこち駆け巡るパワー無し。旅のテーマを決めて二箇所を拠点に観光したい場所を絞り、後は時間が許せばということで諦めることにした。
ウイーン2日目はヴェートーヴェンの旅。
ウイーンは東京にいるようだった。電車から見えたある風景など、中央線の窓から眺める神田川沿いの景色とだぶった。建物も人種も違うのに東京にいる気がするのは何故だろう。
ヴェートヴェン遺書の家として知られるハイリゲンシュタット訪問が目的。グーグルマップで十分行き方を調べてあったのに、たどり着くに時間がかかった。地下鉄が工事中でトラムを勧められて乗ったは良いが迷ってしまいタクシーを使うことにした。運転手さんがヴェートーヴェンミュゼは直ぐそこだよと言って連れて行かれたのは何とヴェートヴェンが晩年住んでいて亡くなったアパートメント。ハイリゲンシュタットは郊外なので新しいミュゼでもできたのかしらと不審に思ったが、おかげでこんなところに住んでたんだなと思いがけない発見だった。
旅の面白さは、どうしても現地の人たちの助けを借りなければならない。その現地の方々も知らない場所があり、スマホで調べてくださり、どれだけたくさんの方々のおせわになったことか。
ハイリゲンシュタットは、トラム、バスを乗り換えやっとこさ辿り着いた。ヴェートヴェンも通った往時のままのレストランで昼食をとった。とても美味しかった。ヴェートヴェンも描かれている絵がレストランに飾ってあった。
モーツアルトの住居もそうだったが、ハイリゲンシュタットの住居も小さな小部屋が多く、音楽が生まれた場所と、壮大な音楽の世界のコントラストは物質的現実と抽象的創造のコントラストそのものだった。
ミュゼはどこもお金がないんだろうなと思った。世界的、歴史的に知られた作曲家ゆかりの建造物でさえ、実に慎ましい展示。
ウイーンから日帰りでザルツブルグ観光。
モーツアルト生家と直ぐそばにある引越し後の家を訪問。
一生の半分を旅で暮らしたとはいえザルツブルグはモーツアルトが生まれ育った街。
散歩しながら何故か森鴎外の故郷、津和野を思い出した。街の醸し出す雰囲気や身体が感じる空気感が同じだった。街中を流れる川、小高い山、街路樹、五月晴れで空は青く木々の緑が映え、そよ風が心地良かった。貴族ではないけれどザルツブルグではよく知られ尊敬された一家。小さな街ゆえモーツアルトは路地の隅々まで知り尽くしていただろうし家の直ぐそばの川も毎日目にしていたと思うと、姉ナンネルが語るところの一生子供だったモーツアルトの子供時代は幸福だったと思われる。
おぼろな記憶だけれど、モーツアルトは父に対して、音楽のことはなんでも教えてくれたけれど生活費管理については何一つ教えてくれなかったと嘆いている。お金が入れば入っただけ放蕩し放題だった。晩年の借金依頼の手紙の数々は胸が痛む。彼は妻と子供もいる一家の主人でもあったのだ。
音楽の力は凄い。日本の田舎育ちの庶民の心を捉えザルツブルグまで足を運ばせる。この日のために来たような旅1番の贈り物だった。
各部屋に置かれた不思議なオブジェ。なんだろうと良く見るとどうも暖房設備みたい。凝ってるねー。
生家の渡り廊下、モーツアルトもここを歩いた。
旅の後、モーツアルトの手紙を再読しよう。