ケベックリタイヤ日記

ケベックでリタイア暮らし。ながらえば憂しとみた世も今は忘れた。毎日悦びの種をみつけてぽりぽりかじりたい。

プラハ

2019-12-24 15:26:45 | 旅する

 今夜はクリスマスイヴ、私の担当はチキンのプチパンオフレ36個とカットフルーツ盛り合わせ。24人分。作りながらモーツアルトの交響曲「プラハ」を聴く。何故プラハかというと、実はあれよあれよという間に、ここ3日間で義妹と二人5月末から6月にかけて東欧3か国を旅行することが決まりました。今日の午後1時に飛行機の切符買いました。電光石火のごとく決まりました。

 来年も母に会いに行こうと思ってたのですが、里帰りの折、60歳過ぎの近親者や知人たちが、病気や思いがけない事情などでいろんなこと諦めてる。それで、ふと、「いつかね」というその「いつの日か」は年齢的にあまりないと気が付き夫にこう漏らした。モーツアルトが生まれ育ったザルツブルグや彼がお仕事してたウイーンやプラハに行ってみたい。来年はベートーベン生誕250年記念の年でもあるし。すると夫から日本人経営宿に泊まるという条件でOKでました。空港からは迎えに来ていただくことも約束。何しろ風船頭のピーマン頭だから、いろいろ心配すんのよ。3日前、旅行会社に相談にアポをとったすぐそのあとに用事で義妹から電話があり何してるのときくから、これから旅行会社に東欧一人旅の相談に行くけどもしよかったら一緒に行くと気軽に声かけると、びっくり、OKの返事。貧乏学生みたいな旅行よ、へとへとになるまで歩き回る旅行よ(自称フーテンの野良猫)、お昼なんかスーパーでサンドイッチ買って公園で食べる旅行よ、裏道などふらふら目的もなくほっつきまわる旅行よ、それでもOKだって。あれよあれよという間に手元には飛行機の切符が。

 今年はCDあんまり買わなかったしコンサートにも行かなかった。でも、音楽の聴き方に変化があった年。今日もプラハを聴きながら、ああ自分の耳に変化が起きたなと思った。それは、これまで作曲家に男だの女だのが頭になかったが、変な話だが、モーツアルトにもヴェートーベンにも、マーラーにも男を感じるようになった。女は男の愛の深さや、秘めた哀しみを知らないなと思うようになった。プラハを聴いても、モーツアルトも男だったんだなと、男のもつ激しさ、心の乱れなど感じた。

 こんな風にとんとん拍子に決まって、これはきっと行きなさいという印ねと勝手に解釈。夫が心配するのは義妹が私の風船頭についてゆけるか否かという事。お前のピーマン頭についてゆくのは大変だぜと。夫は学生時代にヨーロッパを回っており全く興味なし。行く気がしないと拒否。初めての義妹との二人旅。準備にたっぷり時間があるのでワクワクしてます。

これからフルーツカットして、6時パーテイーに出発。