ケベックリタイヤ日記

ケベックでリタイア暮らし。ながらえば憂しとみた世も今は忘れた。毎日悦びの種をみつけてぽりぽりかじりたい。

アリゾナで桜見たかと問うてみる

2022-03-30 17:42:51 | 暮す

30年も前になろうか 義妹の家にホームステイしていたコスタリカ人のアナという女子大生がいた。お互いに大学のインターナショナルスクールでフランス語を学んでいたということもあり外人同士気が合いお付き合いしていた。音信が途絶えすっかり忘れていたがひょんなことから1年前ぐらいだろうか義妹を通じて連絡がありメールでのお付き合いがはじまった。

現在はトロント暮らし ご主人もコスタリカ人で二人の息子さんも大きくなり老後は故郷で暮らしたいと話している。3月初旬からお国に里帰り中で青空にはえる大きなサボテンの写真など送ってくれた。ニカラグアを経てただいまアリゾナで仕事を兼ね滞在中。ロサンゼルスに近い故もしかして桜を目にしたかとメール送った。

さて 本の断捨離しながらふと手に取った森茉莉の( マリアの気まぐれ書き)を読み 久々に読書の喜びを堪能した。何度読み返しても面白く楽しく読むごとに新鮮な発見がある本というのは読書量が少ないゆえ数えるほど。森茉莉は 虚飾の一切ないそれでいて豊穣で奔放で愉快でゴム毬があちこちにぶつかりしなやかにポンポンポーンと飛び跳ねてるよう 読後の爽快さよ。天賦の才能で自由自在に言葉を操ってるように見えるが言葉のみで構築する世界がいかに要求が高いか知ってる森茉莉はそれに応えるべく努力を見せないだけ。創作という頭脳労働に比べたら私がしてる肉体労働って低賃金だけど楽チーン。おまけに人生観も単純になりこれも楽チーン。

今回 森茉莉が政治に関しても 特に中国について かなりな見識を抱いてたことを発見した。1995年発行だが現在の中国を既に予見していることに驚かさせる。

今日は午後1時に難聴の検査 子供の時に中耳炎を繰り返したことと耳管狭窄故。義母も実母も周りがいくら補聴器を勧めても( 聴こえてます)と拒絶するけどわたしゃやだね。聴こえた方が良いもん。