「いやあ、変な話しだが分からんのだ。ここを出て行ってから、一度も帰って来ていないし連絡
もない。留守番をしているつもりはないが、結構ここが気に入っているのでね。まあ、何と言うか
振り出しに戻ったってところだなあ」
「振り出し?」
「ほら、峠の吹雪の中を一人で歩いていた人間だ、もともと一人暮らしなのさ、身に付いている。
同じ峠族でもあんたはまだ若いから、わしの二代目とは言ったが、振り出しはずっと先の話しだ。
もちろんわしとは違うだろう。追い出す訳じゃないけれど、こんな所に居着いちゃ駄目だ。春に
なったら出て行くんだな」
今度もまた高志は、なかなか返事が見つからない。
いろいろと慮(おもんばか)っている訳ではないが、言葉が見つからないのだ。
こういう時は深く考えずに言うことにしているのだが、今度も結局そうなった。
「実はすっかり気に入っています。このごろは、このまま居着いてしまうような気がしています。
でも、僕はそう言うことが出来ない人間なのです。
だから居着いてしまいたいというのは願望です。いつだって願望とは違うことをやっています。
理由は自分でも分かりません。
街も人も自然も、何もかもが素晴らしくて気に入っているのに、ある日突然去ってしまうのです。
だから多分、鉄さんをやきもきさせることはないと思います。私はいずれおいとまします。私の
ことを心配してくれて、とても嬉しく思います。
今はこんないい所は世界中探しても無いと思っています。ここは本当に素晴らしい所です」
「そうかい、あんたはそうゆう生き方をして行く人か。それならばわしが余計なことを言うこと
もない。まあとにかく、そう言うことなら気が済むまでいてくれ。わしは助かる」