「二人で一日中黙ってそうやって聴いているのですね」
「まあ、そうです。もっとも大概手は動かしていますよ。網繕ったり鈎結んだり、延縄仕掛け作
ったり、漁師は海の上にいる時だけが仕事じやない。それにラジオもある。だから退屈しないのは
当然なんだ」
「そうなんですか」
千恵の眼がだんだん輝いてくる。
「さて、余りのんびりしていると天気が心配だ。今の内に引き上げるとするか。千恵さん漁師の
生活は今度春に来た時にでも、じっくりと観ていって下さい」
鉄さんは高志をうながして腰を上げた。
赤間親子と別れた後、海の上の鉄さんはどこかぼんやりとしているように見えた。
海の上の鉄さんは、いつも神経のぴんと張った表情をしているのだが、今日はそれが感じられな
い。
高志はふと今の鉄さんは漁師ではないと思った。
そんな鉄さんを見ていたら、自分もまた次第に海の上にいることから、意識が離れていくのを覚
えた。
海を離れた鉄さんの意識は何処に行くのだろう。多分まるで違う世界を彷徨っているに違いない。
自分もまたここに来る前の、いやそれよりもずっと遠くの時間が、甦ってくるのを覚える。
忘れたいと思っている訳でもないのだが、いつか忘れてしまった生活が、時々何かのきっかけで
思い出される。しかし、そこからは何の感慨も湧いてこない。
それなのに時折、ふわっとまるで水底からの泡のように浮かんでくる。
そんな時はただ訳もなく物悲しい。
「まあ、そうです。もっとも大概手は動かしていますよ。網繕ったり鈎結んだり、延縄仕掛け作
ったり、漁師は海の上にいる時だけが仕事じやない。それにラジオもある。だから退屈しないのは
当然なんだ」
「そうなんですか」
千恵の眼がだんだん輝いてくる。
「さて、余りのんびりしていると天気が心配だ。今の内に引き上げるとするか。千恵さん漁師の
生活は今度春に来た時にでも、じっくりと観ていって下さい」
鉄さんは高志をうながして腰を上げた。
赤間親子と別れた後、海の上の鉄さんはどこかぼんやりとしているように見えた。
海の上の鉄さんは、いつも神経のぴんと張った表情をしているのだが、今日はそれが感じられな
い。
高志はふと今の鉄さんは漁師ではないと思った。
そんな鉄さんを見ていたら、自分もまた次第に海の上にいることから、意識が離れていくのを覚
えた。
海を離れた鉄さんの意識は何処に行くのだろう。多分まるで違う世界を彷徨っているに違いない。
自分もまたここに来る前の、いやそれよりもずっと遠くの時間が、甦ってくるのを覚える。
忘れたいと思っている訳でもないのだが、いつか忘れてしまった生活が、時々何かのきっかけで
思い出される。しかし、そこからは何の感慨も湧いてこない。
それなのに時折、ふわっとまるで水底からの泡のように浮かんでくる。
そんな時はただ訳もなく物悲しい。