10 高層住宅と図書館
一時わが国は「建った」と言うと教会ということだった。しかし、その言葉ももはや光が薄れてしまった。その位置には今まさにホテルと高層住宅がにょきにょきと付きあがってきている。ホテルは最近押し寄せる外国観光客の事態で、いわゆるうれしい悲鳴を上げているが、外貨獲得にあがいている国家政策面から見ると大いに歓迎することだ。その外貨の威力の前に体と心をどのようにでも転がす同胞の体面とかプライドを捨てることがなければ、だ。
庶民の住宅難を解消するために積極奨励されている建築様式が高層住宅であることは言うまでもない。しかしその高層住宅が本来の建築目的にそぐわないまま豪華版に傾いていることはどうしたものか。それだけではなく一軒、2千万ウォンまで物があるとは。それも破格的な価格とのこと、庶民にはそれこそ破格的である衝撃を受けないではいられない。いまだにソウルをはじめとする大都市の住宅不足率は40パーセントの線を上回っており歯がゆい状況だ。
このような事情を誰よりもよく知っている高層住宅建築関係者であっても、豪華版にだけ関心を向けているのだ。豪華版であればあるほど入居者が殺到するせいか。豪華高層住宅は大家族が一部屋に集まって睦ましく暮らすためでないのはもちろん、虚栄心を煽ぐ一部余裕資金の不動産投機対象になっていることもあるということだ。だから、庶民は恩恵の外で雨風にさらされる。
貧しい庶民の名前ではじめられたことが、金を多く持っている者が占領しているということだ。しかし、この高層住宅の勢いが、建設する場所を選ばずどこでもにょきにょきと出てくるから私たちは抵抗感を感じる。
ソウル大学本部の跡に高層住宅が建つという噂を聞いたとき、心から残念で複雑な心境だった。その大学が私にとっては母校だとかなんだとかいう訳ではないが、由緒ある大学の地が学問の殿堂として保存されず、たかがそのような高層住宅となるのかと思ったからだ。そうでなくても大学の歴史が長くないわが国を見ると、その地は一坪いくらの単純な地面としては考えられない。その空間とか雰囲気までもが大学の歴史と共に保存されなければならない。
最近、私は本当に心温まる噂を聞いた。それは涙が出るほどに殊勝であり、ありがたいことだった。ソウル大学本部のキャンパスに国立図書館を建て、キャンパスを学問の殿堂として保存しようとする運動が大学の同窓である家庭の主婦の間に起こっていると言う噂。17億ウォンを投入してヨイドに建てる国立図書館をソウル大学の跡地に建てたら、そのキャンパスは学問の殿堂として保存されるといる意見はすべての市民が大きく共感するところだ。そして国民の税金で建てる国立図書館ならば国民の誰もが便利に出入りするところに建設しなければならないと言う点からもそのキャンパスは最適であると思う。ヨイドには国会図書館あるのに一箇所に二つも建てる必要がない。それに都心に高層住宅を建てることは都市の人口分散政策にも逆行することだ。
いまや市民は関係当局の知恵のある配慮を期待している。高層住宅か、図書館かは民族の知恵を図ることのできる尺度になると言うことだ。私たちがその家の前を通り過ぎるとき知恵のある配慮に微笑むことができるように。この時代の私たちだけではなく後世の子孫までもその微笑の意味を受け取れることができるように、一人の同胞の立場から懇切に望むところだ。(ソウル新聞1973,9,22)
原文はこちらから
一時わが国は「建った」と言うと教会ということだった。しかし、その言葉ももはや光が薄れてしまった。その位置には今まさにホテルと高層住宅がにょきにょきと付きあがってきている。ホテルは最近押し寄せる外国観光客の事態で、いわゆるうれしい悲鳴を上げているが、外貨獲得にあがいている国家政策面から見ると大いに歓迎することだ。その外貨の威力の前に体と心をどのようにでも転がす同胞の体面とかプライドを捨てることがなければ、だ。
庶民の住宅難を解消するために積極奨励されている建築様式が高層住宅であることは言うまでもない。しかしその高層住宅が本来の建築目的にそぐわないまま豪華版に傾いていることはどうしたものか。それだけではなく一軒、2千万ウォンまで物があるとは。それも破格的な価格とのこと、庶民にはそれこそ破格的である衝撃を受けないではいられない。いまだにソウルをはじめとする大都市の住宅不足率は40パーセントの線を上回っており歯がゆい状況だ。
このような事情を誰よりもよく知っている高層住宅建築関係者であっても、豪華版にだけ関心を向けているのだ。豪華版であればあるほど入居者が殺到するせいか。豪華高層住宅は大家族が一部屋に集まって睦ましく暮らすためでないのはもちろん、虚栄心を煽ぐ一部余裕資金の不動産投機対象になっていることもあるということだ。だから、庶民は恩恵の外で雨風にさらされる。
貧しい庶民の名前ではじめられたことが、金を多く持っている者が占領しているということだ。しかし、この高層住宅の勢いが、建設する場所を選ばずどこでもにょきにょきと出てくるから私たちは抵抗感を感じる。
ソウル大学本部の跡に高層住宅が建つという噂を聞いたとき、心から残念で複雑な心境だった。その大学が私にとっては母校だとかなんだとかいう訳ではないが、由緒ある大学の地が学問の殿堂として保存されず、たかがそのような高層住宅となるのかと思ったからだ。そうでなくても大学の歴史が長くないわが国を見ると、その地は一坪いくらの単純な地面としては考えられない。その空間とか雰囲気までもが大学の歴史と共に保存されなければならない。
最近、私は本当に心温まる噂を聞いた。それは涙が出るほどに殊勝であり、ありがたいことだった。ソウル大学本部のキャンパスに国立図書館を建て、キャンパスを学問の殿堂として保存しようとする運動が大学の同窓である家庭の主婦の間に起こっていると言う噂。17億ウォンを投入してヨイドに建てる国立図書館をソウル大学の跡地に建てたら、そのキャンパスは学問の殿堂として保存されるといる意見はすべての市民が大きく共感するところだ。そして国民の税金で建てる国立図書館ならば国民の誰もが便利に出入りするところに建設しなければならないと言う点からもそのキャンパスは最適であると思う。ヨイドには国会図書館あるのに一箇所に二つも建てる必要がない。それに都心に高層住宅を建てることは都市の人口分散政策にも逆行することだ。
いまや市民は関係当局の知恵のある配慮を期待している。高層住宅か、図書館かは民族の知恵を図ることのできる尺度になると言うことだ。私たちがその家の前を通り過ぎるとき知恵のある配慮に微笑むことができるように。この時代の私たちだけではなく後世の子孫までもその微笑の意味を受け取れることができるように、一人の同胞の立場から懇切に望むところだ。(ソウル新聞1973,9,22)
原文はこちらから