退屈しないように シニアの暮らし

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さて何をしようか

法頂 無所有から

2012-12-18 20:21:34 | 韓で遊ぶ
17 旅の途中から

人々の趣味は多様だ。趣味は面白みを呼び起こす人間的な余白であり、弾力だ。だから、それぞれ人の趣味はその人の人間性を支えていると見ることができる。
旅行を嫌いだと言う人はいるだろうか?もちろん個人の身体的な障害や特殊な事情で外に出ることを嫌う人もなくはないだろうが、大概の場合、旅行と言うものは私たちをわくわくさせるのに十分な魅力を持っているようだ。懐具合や日常的な仕事のために気軽に出かけられないでいるだけで、こんなに楽しくわくわくする旅を誰でもすることだろう。
日々繰り返される退屈な束縛から抜け出すことは何よりも楽しいこと。春の日のひばりでなくても私たちの唇にはひとりでに口笛がもれ出てくる。
ばたばたと羽ばたいて旅に出ると、流行歌の歌詞借りることもなく人生が何であるかをぼんやりと感じるようになる。自分の影を引き連れて、はるかに遠い地平をこつこつと歩いている日々の自分を、少しはなれたところから眺めることができる。雲を愛したと言うヘッセを、星を賞賛したというサンテグジュペリを初めて心で理解できるのだ。また、見慣れない故郷をさまよいながら、時にはわき腹を虚しい旅人の憂いのようなものが通り過ぎていくようだ。
去年の秋、私は一ヶ月近くそんな旅の道をさすらった。僧の行脚は世の中の人々の旅行とは違うところがある。しなければならないことがある訳でもないし、誰がどこかで待っている訳でもない。心の向くままに足の向くままに行くのだ。だから雲水行脚という。以前から禅家では3ヶ月の間、一箇所で安居して終わると、その次は3ヶ月の間行脚をするようになっている。だから、行脚は観光の意味からではなく、流動しながら教化する精進できる機会だと言うことだ。言わば、定めのない世の中の物情を知りながら修行しなさいと言う意味からだ。
旅の装束を脱いで一晩休む所は寺だ。2箇所を除いては慣れ親しんだ寺院だった。日暮れの寺の入り口を入って聞く晩鐘と、足をつけて汗を流す冷たい小川の水、部屋に入って久しぶりに会う当番と心を開きながら飲む山茶の香りが旅人の疲労を癒してくれるのだった。
このようにして去年の秋、東に、西に、南に、足の向くのに任せて雲のようにさまよいながら、入信以後の道程の跡を振り返って見たのだ。その時ごとに過ぎて行った日々の記憶が夕方の海風のようにしみこんでいった。時には楽しく、あるいは恥ずかしく自身を客観化させてやった。そうしながらも、ただ一箇所だけはどうしても行くことができない所があった。いや、本当に行って見たい所であるがゆえに行くのが怖かったのだ。出家してあまりたっていないかった頃、求道の意味が何なのかを学んでいた、そしてひとつの隙間もない精進で禅の悦びを感じたそんな道場であり、いつまでも大切にしたかったからだ。
チリ山にあるサンケ寺 塔殿!
そこで、私は16年前、恩師ヒョボン禅師に仕え二人きりで安居を迎えていた。禅師から文字を通して学んだことは「初発心自警文」1冊しかないが、ここチリ山での日常生活を通して身に着けた感化は本当に絶対的なものであった。
その頃、私が任された任務は台所でご飯を炊いておかずを作ることだった。そして精進の時間になると着実に座禅をした。食料がなくなると托鉢をしてきて、必要なものがあったら50里離れているクレの市場に行った。
ある日、市場へ行ったのだが、戻ってくる途中で小説を一冊買って来た。ホーソンの「紅い文字」だと記憶している。9時を過ぎて就寝時間に自室に入って油つぼの灯火を付けてページを開いた。出家後、仏経以外の本というのはまったく接する機会がなかった所に、その時のその本は生々しく吸収された。しばらく夢中になって読んでいると部屋の戸が開いた。禅師が読んでいた本を見て、直ちに燃やしてしまえということだった。そんな物を見ると「出家」ができないと言った。不恋世俗を出家と言うのだから。
そのまま台所に行き、燃やしてしまった。最初の焚書だった。その時は申し訳なく、少しもったいないという思いがしたが、何日か後になってやっと本の限界のようなものを悟ることができた。事実、本というものは単に知識の媒介体に過ぎないもの。そこから貰うものはひとつの分別だ。その分別が無分別の知恵として深化されるならば自己凝視のろ過過程がなければならない。
その前までの私は、家においてある本のためになぜかそわそわしていたが、この焚書を通してそんな煩悩も一緒に燃やしてしまったのだ。それに新米の弟子には、すべての分別を助長する、そんな本が精進の妨害になるのは当然だ。もし、その時の焚書の件がなかったら、本に圧倒されて生きているかもしれない。
また、もうひとつはこんなことがあった。おかずの材料がなくなって下の村に出かけていったところ、昼の供養をする時間の予定よりも10分くらい遅れてしまった。禅師は厳粛な語調で「今日は断食だ。そのように時間の観念がなくていいのか?」ということだった。禅師と私はその頃、朝にはお粥を、昼にはご飯を食べて、午後にはまったく食べないで過ごしていた。私の不注意で老師も食事を欠くことになった呵責は、その時だけでなくいつまでも私を教え悟らせた。
こんな自己形成の道場にどうしても立ち寄ることができなかったのだ。見るまでもなく、観光地として名が売れて、高等考試の準備のための人々の別荘ぐらいとして光があせているからだ。旅に出たならば自分の霊魂の重さを感じるようになる。何の事をどのように過ごしているのか、自分の中の顔をのぞき見ることができる。そうしたら、旅行が単純な趣味だということだけではないようだ。自己整理の厳粛な道程であり、人生の意味を新たにするそんな契機になるのだ。そして、この世に別れを告げる練習にもなるのだ。(現代文学1971,9)


難しすぎる
コメント (3)
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