25 純粋な矛盾
6月をバラの季節だと言ったとか。それはそうと、いくらか前に近くにある保育園に立ち寄ったら、花の枝ごとに6月に向かって伸びをしていた。何株かいただいてきてうちの庭に植えておいた。単調だった庭に香りが回った。朝、夕にと水をやりながらモーツアルトの清冽のようなものが襟に染みてきた。山の陰がおりる時のように静かな喜びだった。
今日の朝、開花!宇宙の秩序が開いたのだ。生命の神秘の前に立って胸が走ろうとした。一人で見るのがもったいない。いつかたたんで置いた記憶が広がっていった。
出版の仕事でソウルに来て、安国洞の禅学院にしばらく滞在していた時だった。ある日の朝、電話がかかってきた。三清洞にいる僧からすぐに来るようにと言うものだった。何事かと聞くと、来て見ればわかるから早く来いと言うことだった。それで、あたふたと直行。そこの花壇いっぱいにケシが咲いていた。
それは驚きだった。それはひとつの発見だった。花が美しいものだということを、その時まで本当にわからないでいたのだった。近くに立つのさえ注意深くして、不憫なほどに軟弱な花びら、霧が降りたように朦朧とした葉、そして幻想的な茎が私を完全にとりこにした。美しさとは震えであり喜びである事実を実感した。
この時から、誰かが何の花が一番美しいかと、たまに乙女のような質問をしてくると、言下にケシの花だと答える。この答えのように明らかで自信満々な確答はないだろう。それは切々とした体験だったからだ。よりによって麻薬の花かと責められたら、美しさには魔力が伴うものだと応酬する。
こんな話を家のバラの花が聞いたら少し寂しい思いをするかもしれないが、それはその年の夏の朝、やっと探し出した美しさだったのだ。だからと言っても、私には今日の朝開いたバラの花が、多くの花の中で一だといわざるを得ない。花屋のようなところで咲いている、そんな花とは根本的に違うのだ。
この花は私の手入れと心がしみているからだ。サンテグジュペリの表現を借りると、私が、私のバラの花のために過ごした時間のせいで私のバラの花がそのように大切になるのだ。それは私が水をやって育てた花だから。私が虫を取ってやったのがそのバラの花だから。
土の中に埋もれた幹から色と香りを持った花が咲いて出てくることは一大事件でないわけがない。こんな事件こそが、「純粋な矛盾」こそが、私の王国では号外になっても余りあることだ。(京郷新聞1976,
今年も押し詰まってまいりました。
よいお年をお迎えください