退屈しないように シニアの暮らし

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さて何をしようか

リコーダー

2012-12-12 08:26:52 | リコーダーを楽しむ
久しぶりのいい天気です。
突然ですが、リコーダーの話です
何か楽器をやりたいと思っていた私、サクラ母は1年前突然リコーダーを始めました

ピアノをやっても難しすぎてこれは時間がかかりそうだし、
一人で楽しむしかないし、誰も聞いてくれないし、、、だんだん尻つぼみ、、、

リコーダーって小学校の頃やったことがあるから初めてではないけど、
鼓笛隊で運動会に合奏もしたし
世の中の人々はほとんどやったことあるのよね

吹けばすぐ音も出るし、単純で簡単かもと、それに1260円(ソプラノ)と安いし、ちなみにあるとは2300円ぐらい

それで1年前の今の時期、函館の街づくりセンターと言うところで函館リコーダー協会のクリスマスコンサートがあって出かけたのだ

昔小学校でやったリコーダーのイメージではない

大きいのから小さいのまで、いろいろの大きさのリコーダーで合奏するのを聴いて単純と言う言葉が消えた

アルトとソプラノから始めて見たけど、実際に吹いてみてきれいな音を出すのは難しく、吹けばすぐ音が出ると言う言葉も消え、簡単と言う言葉も消えた

それから1年、またクリスマスコンサートがあります
去年は観客だったのですが、何と今年は演奏する側にいます
うまくいくかどうか怪しいところだけど、、、
私の演奏はさておき他の人の演奏は聴くに値するから、ぜひ函館の人は聞きにきてリコーダーの魅力を感じてほしいなぁ

ちなみにリコーダーて言うのは吹いて音を出すから、普段使わない呼吸筋を使うので、今流行の呼吸ダイエットが同時にできるみたいです
サクラ母は1年間続けて4キロやせました

皆さん一緒に笛を吹いて合奏して楽しんでやせましょう





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法頂 無所有より

2012-12-12 08:25:34 | 韓で遊ぶ
12 土と平面空間

「妻がいなくても暮らせるけれど、長靴がなければ暮らせない」この言葉が近代化から阻害された村里に暮らす人々ならば誰しも口にしたことがある、今日のことわざだ。私たちの町内からツッソンに行く渡し場までの道もそんな部類に属する道だ。
この道は何年か前まで、山の中であり、あぜ道と、畑の中にある、いかにも田舎道の風情がにじんでいたのだが、何か地区開発とか言うことのために、山を削り、畑をつぶして広げて、そんな広々とした大平原になってしまった。排水の道も整えないで、雨が降ったり雪が解けるとそれこそとんでもないことになる。こんな道を通る善良な百姓たちは当局に対する不平を一言も言わず黙々と行ったり来たりしている。いわば羊のように善良な隣人たちだ、と言うことだ。
今や、この道の氷が解けたので、長靴を履いても足を抜くのが難しい。だが、こんな道でも感謝を感じながら歩くことにした。
それは一時の間、失ってしまった土と平面空間をこの道で取り戻したからだ。何人かの人が一緒に合宿しなければならないことがあって、ある高層住宅に入って1ヶ月あまり過ごした。一緒に仕事をする人たちが、寺で寝起きをするのが不便だと言う理由だった。はじめは生活環境が変わるというので、湧き上がる若干の好奇心と高層住宅の住居状態を体験できると言ういい機会のように思え、それなりに過ごした。生活が便利でまずは時間の節約ができた。しかし、日が過ぎゆくにつれて仕事の能率が上がらず、何か退化していくような感じがした。
8階からボタンを押せば瞬間的に地上に降りてくる。スリッパを履いたまま20歩ほど歩くとアーケードがあり、必要なものを買ってくる。それも面倒になると電話で配達を頼む。もちろん、練炭の火を見に行くような気を使う必要もない。このように便利に暮らしても何か中心がつかめないまま空回りしているようだった。どういう訳かわからなかった。
ところが、ある日、その土の道を歩きながらふと、考えが浮かんだ。よく暮らすということは決して便利に暮らすということだけではないということを。まず、私たちは行動半径を失っていた。そして、遮断された視野の中で生きていたのだ。歩くと言うことは単純に体の動作だけではなく、そこには活発な思考作用も伴っている。パンと開けた視野は無限を感じさせる。
そこに垂直空間はあっても平面空間がなかった。だから、隣人も完全に断絶されている。上り下りするエレベーターの中の顔見知りも互いに冷めた他人だ。そして何よりも残念なことは土だ。そうだ。人間の永遠な香水のようなその土がないから、私たちはいつも抽象的に暮らしたのだった。まるで温室の中の植物のように。
土と平面空間、これに背を向けて人間がどうやって暮らすことができるだろうか。しかし、現代大文明の家族たちは、ただ便利な方に駆けていく。その結果、平面と土を失っていくのだ。不便を克服しようとして暮らすところに健康があり、生の面白さがあるという常識からさえ遠のいてきているのだ。不便に暮らすことができる土と平面空間なければ、本当に生きていけないのに。(中央日報1972,3,6)
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