15 回心記
自分の心が自分の思いのままにすることができたならば、私は何事にもとらわれない一人の仙人になるだろう。そうできないゆえ、あらゆる何か葛藤の中で身を焦がしているのだ。問い正してみると外部の刺激によってと言うよりは、心を食い止めることができないところにその理由があるようだ。
3年前、私たちが寝泊りしている寺の敷地が、宗教団体の何人かの事務僧によって売られてしまったとき、私は怒りのために何日か眠ることさえできなかった。宗派全体の意見を無視して何人かで内密に強行してしまったことにより、数千本の大きな松の木が目の前で倒れていくとき、そして夜昼なくブルドーザーが山を削るとき、本当に心が痛く耐えられなかった。
私を取り囲むすべての物が恨めしく、呪わしかった。共に暮らしていた住職僧も他の寺を任されて行ってしまい、その影に取り付いて生きていた私はそれこそのけ者状態になっていた。私は他の修行場に移って現場を見ないようにしてしまおうと、内心思っていた。
そんなある日、明け方の法堂で礼拝を終えて降りてくる途中、ふと、ある考えが浮かんだ。本来無一物!本来、ひとつの物もないというこの言葉が浮かんだ瞬間、胸につかえた塊が瞬間的にするっと解けてしまったのだ。
そうだ!本来、ひとつの物もなかったのだ。この世に生まれてくるとき持ってきた物もなく、この世界を去るときも持っていく物もないのだ。因縁によってあった物が、その因縁が尽きるとなくなってしまうのだ。いつか、この体も捨てていく日が来るのに、、、
このような考えに至ったら、その前までの観念がとても変わってしまった。私が住職としての役目を果たさないで生きたならばどこへ移っても同じではないか。衆生が絡み合って作る娑婆の世界ならばどこも同じだ。それならば私の心を決める時だ。
いっそのこと、不正の現場で私を育てて見よう。地に倒れたら地に手をついて起き上がると言う昔の人の言葉もあるではないか。この時から売られた地に対しても愛着を捨てた。その土地は元々、寺の所有の土地ではなかったのだ。信徒が寄付をしたのでなければ、その時まで、持ち主がいなかった土地を寺が所有したのだ。そして、その因縁がなくなって離れていったのだ。そして、寺の敷地を売ったと言ってその土地がどこかへ行くものでもなく、ただ、所有者が代わったということだ。
この日から、心が穏やかになり、ちゃんと眠れるようになった。あんなにうるさかったブルドーザーや、岩を砕くコンプレッサーの音が何でもなく聞こえた。それは、このように思ったからだ。他人に向かってはしばしば、施しなさいと言いながら、今まで私は自分の何をどれぐらい施して来たのか。今のあの音は私の眠りを妨害するためではなく、家のない隣人に家を建ててやる為に地を削る音だ。この音も我慢できないというのか。
そして、仕事場では数百人の労働者が夜も眠らないで汗をかいて仕事をしている。その人たちにはそれぞれに何人かの扶養家族がいるのだ。彼らの家族の中には、入院患者もいるだろうし、入学金を払わなければならない学生もいるだろう。練炭も買っておかなければならないし、雪が降る前にキムチも漬けなければならないのだ。自分が彼らに与えてやることができないどころか、生きるために仕事をする音さえ聞くのがいやだというのか。このように思ったら、あのようにうるさく、頭が痛かった騒音が何でもなく聞こえた。このときを境に私は従来までの思考と価値意識がとても変わった。この世の中は自分ひとりだけではなく、多く隣人と共に仲良く生きているという事実が肯定的に刻み込まれた。
所有の観念とか損害に対する概念も自然と修正されるしかなかった。自分のものというのは何もないから、本質的に損害があることはない。また、自分の損害がこの世の中の誰かの利益になることができたなら、それは失ったということではないという論理だった。
寺にも時々泥棒が入る。寺だからといって例外ではないから。周期的に入ってくるなじみの泥棒がいてお粗末な戸締りに対して家の持ち主に注意を喚起しているのだ。毎日使っているものを全部なくした時、けしからん、悲しいという思いが頭をもたげたと思った。その時、例の本来無一物がその思いを打ち消した。
しばらくの間、任されて持っていたものを返したのだと。ややもすると物を失って、心まで失ってしまうところだった、空手来、空手去(何も持たないで来て、何も持たないで去る)の教訓を私の心を守ってくれたのだ。
大衆歌謡の歌詞を借りることもないが、自分の心を自分でもわからない時がなくはない。本当に私たちの心というものは微妙なことこの上ない。寛大であるときは世の中のすべてを受け止めても、一度こじれると針の先ほどさえ受け止められないから。そんな心を省みることは決して簡単なことではない。しかし、それが私の心だから、ほかの誰でもなく私自身が活用できてこそ思うことだ。怒り火花の中から抜け出そうとしたら、外部との接触にも神経を使わなければならないが、それよりも考えを振り返るという日常的な訓練を前もってしなければならないようだ。だから、心に従うのではなく、心の持ち主になりなさいと昔の人は言ったのだろうか。(世代1972,12)
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自分の心が自分の思いのままにすることができたならば、私は何事にもとらわれない一人の仙人になるだろう。そうできないゆえ、あらゆる何か葛藤の中で身を焦がしているのだ。問い正してみると外部の刺激によってと言うよりは、心を食い止めることができないところにその理由があるようだ。
3年前、私たちが寝泊りしている寺の敷地が、宗教団体の何人かの事務僧によって売られてしまったとき、私は怒りのために何日か眠ることさえできなかった。宗派全体の意見を無視して何人かで内密に強行してしまったことにより、数千本の大きな松の木が目の前で倒れていくとき、そして夜昼なくブルドーザーが山を削るとき、本当に心が痛く耐えられなかった。
私を取り囲むすべての物が恨めしく、呪わしかった。共に暮らしていた住職僧も他の寺を任されて行ってしまい、その影に取り付いて生きていた私はそれこそのけ者状態になっていた。私は他の修行場に移って現場を見ないようにしてしまおうと、内心思っていた。
そんなある日、明け方の法堂で礼拝を終えて降りてくる途中、ふと、ある考えが浮かんだ。本来無一物!本来、ひとつの物もないというこの言葉が浮かんだ瞬間、胸につかえた塊が瞬間的にするっと解けてしまったのだ。
そうだ!本来、ひとつの物もなかったのだ。この世に生まれてくるとき持ってきた物もなく、この世界を去るときも持っていく物もないのだ。因縁によってあった物が、その因縁が尽きるとなくなってしまうのだ。いつか、この体も捨てていく日が来るのに、、、
このような考えに至ったら、その前までの観念がとても変わってしまった。私が住職としての役目を果たさないで生きたならばどこへ移っても同じではないか。衆生が絡み合って作る娑婆の世界ならばどこも同じだ。それならば私の心を決める時だ。
いっそのこと、不正の現場で私を育てて見よう。地に倒れたら地に手をついて起き上がると言う昔の人の言葉もあるではないか。この時から売られた地に対しても愛着を捨てた。その土地は元々、寺の所有の土地ではなかったのだ。信徒が寄付をしたのでなければ、その時まで、持ち主がいなかった土地を寺が所有したのだ。そして、その因縁がなくなって離れていったのだ。そして、寺の敷地を売ったと言ってその土地がどこかへ行くものでもなく、ただ、所有者が代わったということだ。
この日から、心が穏やかになり、ちゃんと眠れるようになった。あんなにうるさかったブルドーザーや、岩を砕くコンプレッサーの音が何でもなく聞こえた。それは、このように思ったからだ。他人に向かってはしばしば、施しなさいと言いながら、今まで私は自分の何をどれぐらい施して来たのか。今のあの音は私の眠りを妨害するためではなく、家のない隣人に家を建ててやる為に地を削る音だ。この音も我慢できないというのか。
そして、仕事場では数百人の労働者が夜も眠らないで汗をかいて仕事をしている。その人たちにはそれぞれに何人かの扶養家族がいるのだ。彼らの家族の中には、入院患者もいるだろうし、入学金を払わなければならない学生もいるだろう。練炭も買っておかなければならないし、雪が降る前にキムチも漬けなければならないのだ。自分が彼らに与えてやることができないどころか、生きるために仕事をする音さえ聞くのがいやだというのか。このように思ったら、あのようにうるさく、頭が痛かった騒音が何でもなく聞こえた。このときを境に私は従来までの思考と価値意識がとても変わった。この世の中は自分ひとりだけではなく、多く隣人と共に仲良く生きているという事実が肯定的に刻み込まれた。
所有の観念とか損害に対する概念も自然と修正されるしかなかった。自分のものというのは何もないから、本質的に損害があることはない。また、自分の損害がこの世の中の誰かの利益になることができたなら、それは失ったということではないという論理だった。
寺にも時々泥棒が入る。寺だからといって例外ではないから。周期的に入ってくるなじみの泥棒がいてお粗末な戸締りに対して家の持ち主に注意を喚起しているのだ。毎日使っているものを全部なくした時、けしからん、悲しいという思いが頭をもたげたと思った。その時、例の本来無一物がその思いを打ち消した。
しばらくの間、任されて持っていたものを返したのだと。ややもすると物を失って、心まで失ってしまうところだった、空手来、空手去(何も持たないで来て、何も持たないで去る)の教訓を私の心を守ってくれたのだ。
大衆歌謡の歌詞を借りることもないが、自分の心を自分でもわからない時がなくはない。本当に私たちの心というものは微妙なことこの上ない。寛大であるときは世の中のすべてを受け止めても、一度こじれると針の先ほどさえ受け止められないから。そんな心を省みることは決して簡単なことではない。しかし、それが私の心だから、ほかの誰でもなく私自身が活用できてこそ思うことだ。怒り火花の中から抜け出そうとしたら、外部との接触にも神経を使わなければならないが、それよりも考えを振り返るという日常的な訓練を前もってしなければならないようだ。だから、心に従うのではなく、心の持ち主になりなさいと昔の人は言ったのだろうか。(世代1972,12)
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