3 私の趣味は
趣味は人の顔ほどに多様だ。それはどこまでも主観的な選択によるものであり誰もなんだかんだと責めたりはできない。他人の目にはあんなことを何のためにするのかと見えるかもしれないが、当事者にとってはその何とも代えることのできない絶対性を持っている。その絶対性が時には盲目的であることもあるが、だから、過度に浪費的であったり、退廃的なことまでも趣味と言う名前の下に堂々と行われる。大きく世相が変わる時ごとに紹介される面々の趣味を見ると皆同じように「ゴルフ」と言う。いつからこのお偉方がこのように「ゴルフ」だけを好きになったのだろうかと思うほどだ。
私たちのような現代の中の未開人たちはそのゴルフと言うものをまだ見物さえできなかったが、それでも面白いことには面白いようだ。アイゼンハワーのような人も、もしゲームがなかったら私はいったい何をして時間を過ごしていいかわからないといった程だから。
きれいに整えられた広い草原で新鮮な空気を吸いながら親しい人同士での楽しむ動作は想像しただけでも爽快なようだ。このようなことで積み重なったストレスを解消することもでき、次の仕事をする弾力を持って遂行することができるか。見ている人には、真昼のつまらない遊びのように見えるかもしれないが、そこに熱中するプレイヤーにはそれこそゴルフと言うことだ。
このように好きなだけのゴルフが、いまだに私たちには抵抗感を与えている訳はどこにあるのか。言うまでもなくそれは私たち皆が共に楽しむことができない特殊階層の趣味であり、娯楽だからだ。そこで使われる道具は皆価格の高い外国製、だから外貨を払って入ってきたものだ。そしてゴルフクラブに加入するには普通の月給取りには名刺も出せないほど高額が必要だ。また、ゴルフは草原だけで終わるのではないようだ。あるとき世間に流れる政治と事業は執務室でなく大概ゴルフを通して結実すると言う噂もまったくの根拠のない話ではないようだ。
すべてのことが、そのようであるように趣味らしい趣味ならばまず自分の身の程にあったことでなければならない。自分の身の程では到底無理なのに体面のために仕方なくやったり、久しぶりの週末を家族と共に過ごしたいのに上司の目を意識して引きずられていくようなことがあったならば広い草原も澄んだ空気も、そういう人にはむしろ公害であるのは明らかだ。「ゴルフは人間の罪を罰するためにスコットランドのカルビニスト達が作った伝染病だ」と言う言葉を想起してみたいものだ。
原文
“골프는 인간의 죄를 벌하기 위해 스코틀랜드의 칼비니스트 들이 창조해 낸 전염병”이라고 한 말을 상기해 봄직하다
봄직하다 これがわからない、、
今日、私たちの現実は個人の基本権といっても国力の総和のためにならば容赦なく留保されている実情だ。特殊階層だけが楽しむ趣味は社会的階層意識を激化させ仕舞いには国力の弱化を招くと言うところに問題があるのだ。このような現実はいわゆる維新理念に合致させることができないだろう。望ましい趣味と言うのは自分だけが楽しむよりは高潔な人柄を育成する生の意味を深くし、共に生きている隣人にも肯定的な影響を与えることのできるものでなければならない。今日の私の趣味は終わりのない終わりのない忍耐だ。(ソウル新聞1973,9,8)
봄직하다 はなんだろう?
原文はこちらから
趣味は人の顔ほどに多様だ。それはどこまでも主観的な選択によるものであり誰もなんだかんだと責めたりはできない。他人の目にはあんなことを何のためにするのかと見えるかもしれないが、当事者にとってはその何とも代えることのできない絶対性を持っている。その絶対性が時には盲目的であることもあるが、だから、過度に浪費的であったり、退廃的なことまでも趣味と言う名前の下に堂々と行われる。大きく世相が変わる時ごとに紹介される面々の趣味を見ると皆同じように「ゴルフ」と言う。いつからこのお偉方がこのように「ゴルフ」だけを好きになったのだろうかと思うほどだ。
私たちのような現代の中の未開人たちはそのゴルフと言うものをまだ見物さえできなかったが、それでも面白いことには面白いようだ。アイゼンハワーのような人も、もしゲームがなかったら私はいったい何をして時間を過ごしていいかわからないといった程だから。
きれいに整えられた広い草原で新鮮な空気を吸いながら親しい人同士での楽しむ動作は想像しただけでも爽快なようだ。このようなことで積み重なったストレスを解消することもでき、次の仕事をする弾力を持って遂行することができるか。見ている人には、真昼のつまらない遊びのように見えるかもしれないが、そこに熱中するプレイヤーにはそれこそゴルフと言うことだ。
このように好きなだけのゴルフが、いまだに私たちには抵抗感を与えている訳はどこにあるのか。言うまでもなくそれは私たち皆が共に楽しむことができない特殊階層の趣味であり、娯楽だからだ。そこで使われる道具は皆価格の高い外国製、だから外貨を払って入ってきたものだ。そしてゴルフクラブに加入するには普通の月給取りには名刺も出せないほど高額が必要だ。また、ゴルフは草原だけで終わるのではないようだ。あるとき世間に流れる政治と事業は執務室でなく大概ゴルフを通して結実すると言う噂もまったくの根拠のない話ではないようだ。
すべてのことが、そのようであるように趣味らしい趣味ならばまず自分の身の程にあったことでなければならない。自分の身の程では到底無理なのに体面のために仕方なくやったり、久しぶりの週末を家族と共に過ごしたいのに上司の目を意識して引きずられていくようなことがあったならば広い草原も澄んだ空気も、そういう人にはむしろ公害であるのは明らかだ。「ゴルフは人間の罪を罰するためにスコットランドのカルビニスト達が作った伝染病だ」と言う言葉を想起してみたいものだ。
原文
“골프는 인간의 죄를 벌하기 위해 스코틀랜드의 칼비니스트 들이 창조해 낸 전염병”이라고 한 말을 상기해 봄직하다
봄직하다 これがわからない、、

今日、私たちの現実は個人の基本権といっても国力の総和のためにならば容赦なく留保されている実情だ。特殊階層だけが楽しむ趣味は社会的階層意識を激化させ仕舞いには国力の弱化を招くと言うところに問題があるのだ。このような現実はいわゆる維新理念に合致させることができないだろう。望ましい趣味と言うのは自分だけが楽しむよりは高潔な人柄を育成する生の意味を深くし、共に生きている隣人にも肯定的な影響を与えることのできるものでなければならない。今日の私の趣味は終わりのない終わりのない忍耐だ。(ソウル新聞1973,9,8)
봄직하다 はなんだろう?
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