退屈しないように シニアの暮らし

ブログ巡り、パン作り、テニス、犬と遊ぶ、リコーダー、韓国、温泉、俳句、麻雀、木工、家庭菜園、散歩
さて何をしようか

止まってみて、はじめてみえること

2014-05-26 16:50:43 | 韓で遊ぶ


幸せで
意味のある人生の
ために

「完全にだまされた。」
80年代末、私が高校に入学して1ヶ月経つ前に私は私の生涯で最も大きな失望と怒りを経験した。中学校の時には先生が言ったとおりに一生懸命やって前項で1、2等ではなくてもよくできるグループに入っていた。だから私は担任の先生に他のクラスの友達のように外国語の高校へ進学してもいいかを尋ねた。だが、先生からは外国語の高校はストレスが多いから、一般の高校に進学したらどうかと言われた。だから、私はその言葉に従ってソウルの江北にある、一般の高校へ行くことにした。
高校に入学してクラスの割り当てを受ける前に私は第2外国語をドイツ語にするか、フランス語にするか、また、理科系か文科系か選択しようと質問紙をうけとった。当時、知りあいの兄さんの助言によると、その学校は伝統的に「理科系、ドイツ語クラス」が成績がいいと言った。私は適性が理科系ではなく文科系に近かったと思ったので適性も考えて成績も考慮して「文科系、ドイツ語クラス」を選んだ。しかし、入学式初日、新入生を運動場に立たせてドイツ語の先生が出てくると、本人はドイツ語よりもフランス語が世の中でより有用に使われていると考えていて、本人がいくらドイツ語の教師だとしても、自分の子供たちにだけにはフランス語を教えようと思うと45分間フランス語礼賛論を繰り広げた。実は、レックペソン、レオカラッス、チャンジャク、ペネクスのような監督の作った映画がとても好きだった私は、再び先生の説得力のある話に折れてフランス語に代えてしまった。

そうやって私はだまされた。とうとうクラスが決まってみると現実は違っていた。
15クラス中フランス語のクラスは2クラスしかなかった。予想したとおりその2クラスは成績が一番低かった。この事実を授業に来る何人かの先生によって再び確認させられた。先生、自らも江南にある8学区ではない江北ははずれにある学区で学生に教えるという事実がいやだったのか、いつも私たちを、川を越えた向こうにある学校の子供たちを際限なく比較した。何人かの先生に何回も同じ話を繰り返して聞いていると、私たちのクラスの子供たちは自分たちでも知らないうちに高校1年の1学期から敗者としての烙印を押された気分になった。私は先生がやれと言うとおりに従っただけなのに、結果はスタートからずっと後ろにいる感じでなぜかだまされたと言う感じを消すことができなかった。まるで規則をよく守って先生の話をちゃんと聞いたら馬鹿扱いを受けて、すばやく住所を移して8学区に移るか、先生のどんなっ粗衣にも乗らなければ賢く能力がある人として扱われると言う雰囲気だった。

しかし、自分の失望は始まりにすぎなかった。高校生活が過ぎていくと入試教育が教えてくれた失望は、単純に学校が少しよくない、でなければ他のクラスに比べて自分のクラスの成績が落ちるという点以上のものだった。朝7時30分まで登校して夜10時自律学習を終えて疲れた体で読書室に向かいながら、自分が今暗記しているこの多くの知識が自分の人生にどんな意味と助けをもたらすのか全く納得することができなかった。
私がどうやって考えてどんな才能があって、どんな夢を持っているのかは徹底して無視され、ただ、先生が与える知識をどれだけ早くスポンジのように吸い取るか、ゲームをしているようだった。
はじめての冬、ストーブを焚く学校の煙突に豆炭を燃やす煙がもくもくと上がっていたのだが、その光景を見ていて、自分がまるで学校ではなく工場にいるような思いもした。冷たいコンクリートの教室の床、入試をあきらめた子供たちに対する先生の仕打ち、固く閉じられた校門、順位で判断される子供たちの価値、音楽と美術は無視され、同好会活動は時間の浪費だった。
まるで学校は定型化された機械から私たちを同じように打ち出そうしているようで、その定型から少しでも外れるとその学生はすぐに不良品扱いを受けるようだった。私は学校の勉強でなく人生の総体的な質問に悩んでいたのに、そんな悩みをするということ自体が障害になる入試教育の枠から抜け出し、不良品として烙印を押される道だった。その後ある瞬間から、息が止まるわが国の教育環境から抜け出す決心をして、紆余曲折の末、アメリカに一歩を踏み出した時は監獄とも同じだった工場からやっと脱出した感じがしただけだった。
しかし、私がアメリカで教育を受けてまた、現在のアメリカで大学生に教えている教育者の立場だといってアメリカの教育がより優秀だとか、わが国の教育の現実を悲観してみたくはない。与えられた情況が異なり、歴史、言語が違うのに無条件にどんな方式がいいとか悪いとかいうことは理知に合わない。ただ、今、息が止まる現実から今でも奮闘している多くの学生にしてあげたい話がいくつかある。

一つ目、他の人が自分の価値を順位や点数をつけてそれを強要しても、自分自らがそれを受け取らなければ、それは何の意味もないことだ。個々人の尊厳の価値は、他の人が何か言ってもひたすら自分だけが自ら定義できるからだ。勉強というただひとつの基準で人全体の価値をつけようとすること自体が実は愚かなことだ。誰かが自分に対して評価しようとしたら、鼻先であしらって考えなさい。「私の価値は自分が知っている。」

2つ目、自分の幸福を他の人と比較して測定しようとしたら、絶対に幸福にはなれない。私の尊敬する僧がしてくれた話だ。「世の中は下を見ると自分よりできの悪い人たちがいっぱいで、また、上を見ると自分より優れた人たちがいっぱいだった。」世の中には点数が高い人、条件のいい人が数多く存在する。だから、そんな人たちだけを心においてそれを幸せの価値だと思ったら、私たちは死ぬときまで幸福を見つけることはできない。ずっと誰かと比較しながら「私は幸せだ;」と感じるからだ。人を考えないで意識しないほど、私たちの幸福指数は高くなる。

三つ目、自分の人生の方向舵を自ら握って行こうとする勇気が必要だ。他の人が決めてくれた人生の地図をそのままについていったならば少しは安全だろうが、自分が自分の人生の主人になることができない。自分の人生を生きたいならば他の人が何と判断して話をしようと、勇気を出して自分の道を自ら探さなければならない。

四つ目、他人の考えを踏襲することにだけ時間を費やさず、その考えを自分が、またどうやって考えるか繰り返して考える練習をしなさい。他人の考えそのままに受け入れることは、自分が知識の主人になれないということだ。そんな知識は何の意味もなく、使い道もない。有名な人が言う言葉だから、自分よりも多く学んだ人の言葉だから、こんな考えでただ受け入れないで自ら疑って問いただしてみなさい。

最後に、本当の幸福を望んだならば、他人が教えてくれたり、やらせるのでどうしようもなくてやることではない、自ら意味があって好きだということを探してやりなさい。両親も先生も、誰も自分の人生を代わりに生きてくれることはできない。人生の大部分の時間を「他人の意思」に引きずられて生きるのか、それを決められるのはただ、自分だけだ。自分自身が何を本当に望んで、また、何をしながら意味を感じるのか、自ら見つけてそれをやりなさい。

以前の私のように彷徨して苦しんでいる若い人たちに、小さい慰めでもしてやりたいこの頃だ。
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止まってみて、はじめて見えること

2014-05-23 05:45:09 | 韓で遊ぶ



あまり引かないでください。
人が呼んでくれる時が適期です。
人が今あなたに大丈夫だと言っているのに
自分が最後まで準備しなければならないと言い張って
時間を引っ張って時期を逸したら
いざ準備が全部できた時は誰も呼びません。
あまり引かないで挑戦してください。



朝起きて、自らにささやいてください。
「私は今日
人に言われたことばかりする
受動的な一日を送りません。
自ら主導して引っ張る
自分の人生を生きます。」



今週、成し遂げたい目標をひとつ立てなさい。
今すぐに立てなさい。
目標があることとないことは大きな差が出ます。
なぜならば、宇宙がまさに私たちの心だから
自分が抱いた心の中の「ひとつの考え」からすべてのことが始まるからです。



心を荒く使うと体も荒くなります。
反対に心を柔らかく使うと体も同じく柔らかくなります。



どんなに素朴な夢だといっても
他の人に話してみてください。
10人ぐらいに話をしたときぐらいには
夢がかなう確立が高くなります。



まるで自分の夢がすでにかなったように
自身感を持って行動してください。
そうしながら一生懸命準備してください。
そうすれば不思議にもその夢はかなうようになります。
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今がつらいなら、よくやっているということだ

2014-05-23 05:43:29 | 韓で遊ぶ

11月9日分
直しました

旅行は価値の高い投資だ
若い時の旅行で見聞を広げることが、机に座って知識を得るよりも有益な理由は何であろうか。個人であろうと企業であろうと、創造的な想像力を多く持っていることが競争力になるからだ。アメリカ市場を経験したことがなくてグローバル競争力を語ることはできず、インド文明を理解できずにインドビジネスを上手くやることはできない。見聞を広げることは想像力を育て、人生の幅を広げる道だ。
読書と映画、勉強を通して見聞を広げることはできるが、百聞は一見に如かず、だ。1回見ることが100回聞くことよりもずっと多くの想像力と感動をくれる。できる限り若い時に多くの物を見て、聞いて、行って、経験を通した洞察力を得る事を勧めたい。
イタリアのローマを旅行しながら、ローマ帝国の華やかな文化と興亡盛衰を見ることができたならば、これ程大きい生き知識があるだろうか。永遠のように思われたローマ帝国は結局滅亡したが、支配層が腐敗と危機に対して鈍感で変化をためらったからだ。腐敗を改革しないで変化を拒否したことが大ローマ帝国を滅亡させたという教えを得ることができる。旅行の現場で得る価値のある経験は、大きな資産になるだろう。これを直接見た人は、間違いなく腐敗とは距離を置いた人生を追求するのではないか。

「旅行も若い時に行かなければ。年をとると疲れて回ることもできない。」
周りでよく耳にする話だ。お金を貯めようとあたふた生きて、海外旅行に一度も行くこともできず、過労で健康を失う。体に異常な反応が来ると病院に行って治療を受けなければならないが、先延ばしにしていたら病気が悪くなる。若くて健康な時に楽しみながら生きていたならと後悔する人が多いが、既存世代の話だ。勿論、全部が皆そうだということではないが、以前の世代の大部分は、時間を取り戻したら同じ様に生きないと後悔をする。もし、時間を取り戻したら経済的に余裕がなくても、楽しい思い出を残す旅行を選ぶのではないか。
2回目に生きる人生を生きたならば、はじめの人生で後悔した点を繰り返すはずがない。今、生きる人生が貴くもいただいた2番目の機会だと思ってみよう。おそらくずっと心が豊かな暮らし、余裕のあることを選択するだろう。

旅行は価値の高い投資だ。眼目と視野が広がり日常で発見できない新鮮な学びを与えてくれるので、旅行によく行く人は人生に余裕がある。ストレスを解消する健康な趣味を持っているので活力と生気があり、旅行で再充電して肯定的なエネルギーを得るのだ。旅行は、かかった費用に比べて何倍もの満足と喜びをくれる。旅行礼賛論者でなくても、旅行が人生に豊かな有益感を持ってきてくれる事実を否定することはできない。最近はインターネットカフェとブログ、旅行冊子を通して最新の情報を気軽に手に入れることができる。道も四通八達、気持ちよく通って、相当な田舎にもきれいな宿があるから巡り歩くのにもいい。心さえ決めれば旅するのに便利な世の中だ。

私は若いときに世界一周旅行を夢見たことがあった。しかし、数十カ国ほど旅行して、忙しいということを言い訳にして、それ以上続けることができなかった。今、考えると後悔として残る。年をとって余裕ができたら、もう少したくさん回ろうと心に決めたが、それは簡単ではない。子供たちに育てることに、また、重要な仕事が続けて生じてむしろ若い頃よりももっと旅行に行くことができなくなった。若い時、大きな負担がない時に、可及的に頻繁に旅行に行くように勧めたい。年齢別に計画を立てて、生涯いくつの国を見て、いくつの都市を探訪するか目標を立てて見なさい。具体的に立てるほどに実現できるという点を覚えて置かなければならない。
旅行を通して多様な国の人と交流して共感することは、人生を、品位を持って生きる方法のうちの一つだ。自分の枠を壊して新しい文化と考えを得ることのできる時間だからだ。

暮らしが苦しかった30歳のはじめ、私は何の考えもしにアメリカへ行った。ニューヨークのマンハッタン通り、ワシントンを通り、サンフランシスコとグランドキャニオンを見ながら創造主の偉大感を直接悟った。短い歴史でありながら、アメリカと言う国の無限な挑戦を見ながら胸に湧き上がる畏敬感が生じた。アメリカ旅行は私の未来をより広く照らすことのできる契機になった。さらにヨーロッパに、東南アジアへ、旅行を通して人生の幅を広げる出発点だった。本当に一糸の後悔もなかった。旅立つ前には海外旅行が死地のように思われ何度も悩んだ。生活費も足りない暮らしに海外旅行なんてと罪責感も感じたが、アメリカの空港に到着した瞬間に複雑な思いが一挙に消え、一糸の後悔もなかった。
「よく来たな。韓国にいたならばリスが回転車を回すような生活で、乾いた沼にはまっていただろうに。」
そうだ。旅行は補償が確実な投資であり、光放つ休息だ。限定された時間を何倍にも有益に運用する最も賢明な消費だ。

熱情的な青春にしたいのか。旅行に行きなさい。必ずしも海外旅行でなくてもいい。国内にも宝石のような旅行地が無尽蔵に散らばっている。何も考えないで行って感動を記録に残しなさい。風格のある人生の1ページに飾られるはずだ。だから風格は一朝一夕にはできない。人の言葉と行動は、その人が生きてきた経験と環境に支配される。文化の中に形成されるということだ。文化は直接、間接的体験で習得され、その中心に旅行がある。
私はテレビ番組の中で「韓国人の食卓」をよく見る。土の道と海辺の道を過ぎ、韓国の美しい食文化をよく見せてくれ、地域の独特な風景とよく合っている食文化の根に共感して見ると、感性が豊かになっていく。もっと泣いて、もっと愛して、まだ挑戦する時がたくさんある青春時代には、借金をしてでも旅行に行くのがいい。

私は忙しい日程のせいで長期の海外旅行はできないが、講義をしに行く時、時間をさいて旅行をする。近い国と国内のいたるところを立ち回る。ある時は汽車で、ある時は乗用車で、時には交互に利用して、季節の変化、歳月の流れを最大限、体で感じる。風景を通して歴史の流れが自然に近づいてくる。所々の暮らしの現場を体得することがどれほど楽しいかわからない。明け方から講義で忙しいが旅行で再充電して、肯定的で余裕のあるエネルギーを得る。

本をどうやってそんなに簡単に執筆するのかと後輩が聞いてくる。もし、いろいろと旅して深い黙想をして、その時、その時の印象を記録としてメモして置かなかったら不可能だと答える。旅行は記録を残す。これに勉強が結び付けられると、より価値を高くすることができる。記録する旅行をすれば、帰った後に情報と感動を持続的に保存することができる。
多くのリーダーと多様な人に会う旅行は、私の洞察力を高めてくれるまたとない道だ。だから、「名刺旅行」をすることを勧める。誰かに会って名刺をもらって、いつどこでもらったか、どんな感動があったかを簡単に記録しておく、人を通して学ぶ旅行だ。
歴史と風景だけ見てくる旅行は長く覚えて置けない。現地人に会って、文化を経験して過去から抜け出し、現在にも新しさを探し出さなければならない。新しさを発見する記録が残る時、差別化された資産として残る。もっと多くの話で感動を与えることができる。
今、つらいのか。そうならば旅行を通して「いまよくやっている」と言う励ましを得ることを望む。
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止まってみて、はじめて見えること

2014-05-22 08:59:57 | 韓で遊ぶ


なぜ人生で重要なことは
学校で教えてくれないのだろうか。
例をあげると、
料理、運転、お金の管理法、
体重調節法、恋愛する方法、
人間関係の処身法、
上手く聞く対話の技術、
失敗した後の立ち上がり方、
心を黙ってのぞく方法など。



スペックを積むためにどうしようもなくスペックを積むのではなく
ひとつひとつ学んだ過程が楽しくて、学びたいことを学んでみると
スペックがひとつ二つと積みあがるようにしてください。
過程の楽しみがなくて結果だけ得ようとすると
これがまさに苦痛です。
過程を楽しんでください。



社会奉仕活動を点数のために始めたら
やってみると奉仕活動自体に意味を感じ
自分も知らなかった自分の中の慈悲心をある瞬間に発見することになります。
だから、いいことはどんな契機で、どのようにはじめても関係なく
無条件やってみることが重要です。



タイビングをどうやるか先に習った後に
コンピュターのキーボードを叩こうという人と
いったんできるのかできないのかキーボードを叩きながらはじめる人がいます。

英語が上手くなるためにいったん文法からマスターして
外国人と会って対話をしようとする人と
いったんボディランゲージ使ってもぶつかってみながら習う人がいます。

後者の進歩が前者よりも大体は早いです。
なぜならば、後者は失敗を恐れないからです。



世の中には完璧な準備というものはありません。
人生はいずれにしても冒険でその冒険を通して
自分の霊魂を成熟していく学校です。
もちろん深思熟考して決定しなければならないだろうけれども
100パーセント確実になるまで待って
出て行こうとするとあまりにも遅い。
仮に失敗をしたとしても
失敗ほどいい人生の先生はありません。



生きてみると重要な選択をして
はんこを押す一歩直前で躊躇する瞬間が必ず来ます。
この時、自分の選択を前にして躊躇しないでください。
たくさん考えた後にここまで来たのではないですか。
サイの角のように後ろを振り向かずにその道を行ってください。



ただ所信を持って押していきなさい。
元々世の中の人をすべてを満足させることはできません。
少数の批判を恐れて
今、自分の意見を言わないのならば、ちょっとそうじゃないですか。
敵が何人か生じることもありますが。
自分をもっと大切に思ってくれる人も
これを契機にずっと多く生じます。
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今がつらいなら、よくやっているということだ

2014-05-22 08:57:58 | 韓で遊ぶ


11月8日分
直しました



思ったとおりにならない人生につらいあなたに



時に、最善を尽くしたのに結果が思った通りに出ない時がある。
世の中が計画した答えをくれない時。
完璧だと信じていた計画は壊れ、変わらないと信じていた関係もゆれて、覚悟の努力が無駄になる。
果たして、神はいるのかと恨めしく思いもしながら、楽なことを選んだ人が、もっとずっといいところで笑っている姿を見るならば、みすぼらしい自分が限りなく恥ずかしくなる。
そういう時ならば、世の中で自分が一番不幸な者だと感じたりもする。

これは異常なことでも悔しいことでもない。
あなただけではなく、生きているすべてがこのような時期を過ぎて、
こんな感情を感じる。




自然は思った通りに動くものではなく、定められた摂理の通りに動くからだ。
主観的な自分の意思に見合う結果がでるだろうと
思うことは、我ままでありひどい傲慢だ。

ただ私はこのように思う。生きてきた航跡はどこかに貯蔵される。

熱情的な努力や自由な時間の思索
熾烈な研究または多様な経験
送ってきたすべての1分1秒の生活は、時間が過ぎたからと消えるものではない。

それは積み上げてきた知識と成り、より考えが深くなり
人生の確固たる価値観になって人生の中で少しずつ甲斐になる。

思った通りにならないことが人生であることを受け入れなさい。ただ自分が過ぎてきた
人生のすべての瞬間に意味があることを覚えておきなさい。




人生は精密で精緻に組み上げられていて、思ったとおり与えてはくれなかった結果がむしろ後で大きな成功の基礎になることもあり、
虚しいとばかり思っていた時間が、思いもよらない美しい日々として生涯の記憶となることもある。

絶望してはならない。思ったより底は深くはない。結果が目に見えない時も、競争して努力してきた時間は必ずあなたに残って、あなたの努力のした甲斐をくれるという事実を信じて近づいてくる日を眺めなければならない。

待って準備すればチャンスは間違いなく、必ずまた来るからだ。

だから、一度の困難のために落胆して絶望する必要がない。

最善を尽くしたのに努力した結果が望んだほど出なくてつらい時、そんな場合にもチャンスのためにもう一度準備するつらさがあるということは決して悪くはない。未来はチャンスを得るため再び最善を尽くす善良な人たちに微笑んでいるからだ。
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止まってみて、はじめて見えること

2014-05-21 07:05:29 | 韓で遊ぶ



自分が何に関心を持っているのか、よくわからないと言う人たちがいます。
それはおそらく、自分自身が主題となる人生を生きていないで
他の人が望んだことを聞いてやる人生を生きているからです。
他人を満足させる人生ではなく
自分を満足させる人生を生きてください。



若いあなた。
少し遅れたことに劣等感で胸を痛めないでください。
人生はあなたの友達との競争ではなく、
あなた自身と繰り広げる長期レースです。
友達に無条件先んじようとばかりしないで
むしろ、その時間で自分だけの美しい色と熱情を探してください。



「ヘミン僧、将来、法頂僧のように偉大な僧になってください。」
「はい、ありがとうございます。ですが、私は法頂僧ではなく
ヘミン僧になりたいです。」

誰かのようになるために生きないでください。
ひとりしかいない、ひたすら自分になってください。



もうこれ以上
人がいいと言うから、
でなければ、友達がみな言うから
鮠のようにこっちに行ったりあっちに行ったりしないでください。
自分の主観を立てて
自ら独創的なトレンドセットになってください。
既存のパラダイムをあなたが変えてください。



私に子供がいたならば必ず教えたいことがあります。
どんなに有名だとか、権力があるとか、お金があったとしても
みな同じ人間だということをです。
自分が別に特別なことがないように
他の人も特別ではないと言うことをです。
だから、生きながらあまりつつく必要がないと。



あれこれいろいろ売る食堂より
専門料理の1,2種類がとても上手な食堂が有名なように
子供を育てるときは
すべての科目を上手くやることを要求するよりは
得意な分野を深く習うことができるように手伝ってください。



勉強が得意で私見の点数がよいことだけが至上ではありません。
他の人が感じるいろいろな感情を共感して
共に感じることができることも至上です。



両親にお願いしたいことがひとつあります。
子供が本当に上手くいくことを願うなら
子供に向かう今の関心と期待値を一定部分下げて
下げた分だけ関心を自分の両親に向けてください。
こうすれば子供たちはもっと上手く育つことができます。



私たちは幼い頃から決められた枠の中で
他人と競争する方法だけ学び、
暮らしを楽しむ方法、
他の人を心から尊重する方法は
学ぶことができないようです。
自ら、考える方法とか点数化することのできない才能などを
幼い頃から教えてやって育てたならば
本当によかったに。
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今がつらいなら、よくやっているということだ

2014-05-21 07:02:20 | 韓で遊ぶ


11月7日

直しました


休息はつまらなくない
人は休息なしでずっと仕事をしたならば時間が大切だと思う。しかし、適当な休息を持ってこそ、時間を管理することができる。ウイリアムシェークスピアが言った通り、人間は休息がくれる乳を飲んで育つ。休息なくしてずっと前進したら、体が傷ついて、より疲労が積みあがる。追われる暮らしではなく適当な休暇で再充電してこそ、時間を効率的に運用することができる。休息の計画は体の状態といろいろな状況を考慮して立てなければならない。
しかし、休息が長期化すると無気力で、怠けることになる。哲学者カールヒルティは、過ぎた休息は休息のない状態のように体を疲労させると言った。スコート卿はあまり多く休むと人が錆付くと言った。矢は使わない時に弦を緩めなければならないのであり、いつもピンと張っておくと弾力を失って使えなくなる。適当な休息は資産になり、次の仕事のための再充電の機会になる。

スマートフォンが普及し、ソーシャルネットワークサービス(SNS)が活性化されながら生活は便利になったが、反対に時間を浪費する場合も多い。地下鉄で本を読む代わりにスマートフォンを見て、アイデアを構成する代わりにインターネット芸能記事を見たりする。このように流れていく時間を合わせると思ったより多い。出退勤の途中の時間を活用しようという具体的な計画を立ててみよう。一日、1ヶ月、1年となるとかなりの変化が来るはずだ。

つまらないことが最も重要だ。定時に食事を規則的にすること、定時に出勤すること、約束の時間を守ること、考えてみると、皆つまらないことだ。しかし、つまらないと思うことを、ちゃんと守っていく時、それが最も重要なことになる。毎日酒を飲む職場人がいた。ある日、酒をこれ以上飲めないと言った。聞いてみると肝癌の末期だった。酒を減らせとの忠告を、彼は無視した。些細なことだと思った。しかし、このつまらないことを守らなかったから大事になったのだ。どうですか。つまらないからと先延ばしにしていることがありますか。どんなにつまらなくても瞬間、瞬間、最善を尽くして大事に思わないとなりません。本当に大事な家族をつまらない関係に放り出してはいませんか。時間はお金よりもつまらなく感じるけれど本当に重要だ。
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止まってみて、はじめてみえること

2014-05-20 05:29:15 | 韓で遊ぶ

3章
未来の章
「人生は他人との競争ではない。
自分自身と繰り広げる長期レースだ。」


どんな職業を
選ばなければならないのか
わからない人たちに


大学の卒業を前にして、あるいは就職した後にも
どんな職業を選択しなければならないか
本人はよくわからないと言う人たちがいる。
いったんこれからお話をしたい。
よくわからないこと、皆さんのせいではありません。

私たちは小学校のころから終始注入式教育を受けて
高3の時、成績に合わせて、適正とは関係なく大学と専攻を選択して
夏休みには語学の勉強と各種資格をつるために、
他の人がみなやっているスペックをつむことをしてきました。
しかし、そうやってみると、一度も自分自身が何を面白がって
何に意味を感じたのか、ちゃんと経験したことがありません。
だから、当然わからないでいるしかありません。

こんな場合、次の3つをしてみてください。

一つ目、今でも絶対に遅いとか、遅れたのではありません。
今から本当に多様な経験を最大限多くしてください。
奉仕活動もしてみて、旅行も何箇所か行ってみて、
アルバイト、インターシップも何箇所か行ってみてください。
文化生活もして見て、
普段習いたかったのに、習えなかったことも習ってみてください。
宗教生活もしてみて、弱者のために戦うこともしてみて、
外国人の友達とも付き合ってみてください。
多様な経験をしてみると、
自分が何をする時、楽しくて、意味を感じるかわかるようになります。
人が教えてくれなくても、自分の道が見えます。決して時間の浪費ではありません。

二つ目、多様な本をたくさん読んでください。
地下鉄でスマートフォンばかり一生懸命やらないで、本を読んでください。
エッセイ、国内外の旅行本、ファッション、マーケティング、世界経済と関連した本、
小説とか詩集、心の修行、児童教育、自己啓発、東西の哲学書、
最近流行しているトレンドに関する本など、
時事、経典、漫画、心理学、スポーツ関連の本など、
選り好みしないで読んでください。
本は世の中を眺める目を深く広くしてくれ
多様な間接経験をさせてくれます。

三つ目、恋愛を一生懸命してください。
自分を好きになってくれる人、自分が死ぬほど好きな人、
種類別に会うことができるならば皆に会ってください。
会わなくてもいい人たちは
事実、努力を傾けないから、そうなのです。
恋愛も仕事をするように努力してこそ因縁に出会うことができるだろうし、
生きているといつか会うだろうと思って待っていたら、すごく遅くなってしまいます。
恋愛ほど人間を成熟させる人生の先生はありません。
また、自分がどんな人なのか、その根底、その果てを見せてくれるものが
恋愛ほどいいものはありません。
経験が多ければ、いい人を見分ける目ができて、
いい人に会って結婚して離婚もしなくなります。
そして、本人が安定して幸福ならば、自信感が生じて
すべてのことをみな上手くやることができます。

この3つを熱情を持って、他の人の目を気にせず
感じがきたらただ行動に移しなさい。
そうすればいいです。そうすれば自らその過程の中でわかるようになります。
何をしたいのか、また、自分が誰なのか。
すべての可能性が開かれている、愛する若い皆さん、ファイティング、応援します。
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今がつらいなら、よくやっているということだ

2014-05-20 05:22:13 | 韓で遊ぶ

11月6日

こま切れの時間の活用法

を直しました


こま切れの時間の活用法
仕事を始める前に準備期間を十分に持つことだ。徹底して準備する程、実際に仕事をする時は時間がかからなくなる。時間を節約することができる。30年準備して3年仕事をしたイエスの姿からも、準備がどんなに重要なのか知ることができる。多くの青年が、学校を辞めて就職をする道がずっと早くないかと私に質問をする。しかし就職のために学業に精進してこそ、職場生活を円満にすることができる基盤が生じる。
目標を明らかにすると、人生の最高の資源である時間を大切にすることができる。目標を明確にすると、一つの道を行くために右往左往せずに時間を管理することができる。
ずっと前に、GEのジェフリーイメルト会長がわが国を訪問したことがある。彼は、最もいやなことが、何もしないで時間を無駄に浪費することだと言った。彼は忙しく生きる理由について「私が忙しく生きていないと職員が仕事を失うことになる。」と言った。20世紀最高の昆虫学者であるリュビセプは、ロシアの科学者として生前70冊の本を書いた。彼は26歳から81歳で死ぬときまで51年の間、一日も欠かさず日記を書いたという。

1964年4月7日
わからない昆虫の絵を2枚描いた(3時間15分)
どんな昆虫なのか調査した(20分)
スロバに手紙(2時間45分)
植物保護団体の会議(2時間25分)
読書(1時間25分)

こんな風に日記を書きながら目標を明らかに決めて時間を浪費しなかったと言う。一日24時間を細かく管理してみると、豊かな人生を生きることができるのではないか。
時間を最高の資源として大事に使うためには、こま切れの時間を上手く活用しなければならない。私は、こま切れの時間を上手く活用する方だ。こま切れの時間は車に乗って移動する時間、トイレに行っている時間、歩いている時間、ご飯を食べる時間など数多い。私は講演をしに行く時ならば、コラムを2編ずつ構成する。コラムを書いていてちょっとした時間ができたら、サウナへ行って休んだりする。講義して、企業のコンサルティングをして、執筆をして、相談の役割をすると一日一日がとても忙しい。しかし、小さな時間を活用すればそのすべてのことが可能だ。そうだ。昼の時間に美しい音楽を1曲聞くことができる余裕と、小さな眠りをすることができるゆったり感が時間を大事にする知恵だ。

時間はお金よりも大切にすべき最高の資源だ。その中で、黄金の時間は、明け方の時間だ。明け方の時間は、無限な可能性が隠れている。最も価値があって、何でもすることができるエネルギーをくれる。昼の時間3時間よりも、明け方1時間がより密度がある。誰にも邪魔されない自分だけの時間だからだ。
私は毎日朝4時30分に起きる。明け方のお祈りをして、執筆活動をするのだが、どの時間よりも深く省察することができる時間だ。アメリカの初代大統領ワシントンは「偉大なことをすることができる秘訣が何か。」と言う問いに、このように答えた。
「私がすばらしい仕事を全部処理した秘訣は、明け方4時に起きたからだ。」
一日の始まりである明け方の時間を、どのように活用するかによって、時間を上手く管理することもでき、ただ浪費することもありうる。こま切れの小さな時間を活用して明け方の時間を上手く管理すれば、最高の資源を管理する資産家になることができる。
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止まってみて、はじめて見えること

2014-05-19 05:28:33 | 韓で遊ぶ


誰かを苦しめたのにその事実を知らない人が
自分のところに来てとても暖かい言葉をかけてくれます。
その時、あまりにもすまないと思うでしょう。
復讐はこのようにかっこよくするものです。


いい音楽もずっと聞いていたら飽きます。
しかし、忘れるぐらいたった時、また聞くと本当にいいです。
これは音楽自体の問題ではなく
自分と音楽との関係の問題です。
このように人自体が悪いのではなく
その人と自分との関係の問題です。


法句譬喩經にこんな言葉があります。
「香を包んだ紙からは香が出て、
魚を結んだ縄からは生臭いにおいがでるように
本来はきれいだったのに、だんだん染まってなじんでいって
本人がそれに気づくことができない。」

最も濃く染まることは
小雨に服がぬれるようにゆっくりと染み込みながら似ていくことです。
あなたは誰に似ていきたいと思っていて
どんな人があなたの周辺にいますか。



人を助けてあげて
それをいつかは取り返さなければという心が残っていたならば
助けることではありません。しばし任せておいたことです。
あげるということは受けることを考えないことです。
あげることを自分の心のままに調整することができない時
本当にあげることなのです。



ある人と話をする
他の人の興味に関する話が始まると、
共に同調しながら巻きこまれないで
共に相槌を打ってその人の弱点を掘り出さないで
他の主題に移ってください。
あまりに多くの言葉を言うと
自分でも知らないうちにいい言葉よりも悪い言葉を言いやすいので
言葉が多いならば、いつも自らを引き締めなさい。



「言葉」も物と同じです。
いったん言葉で頼みを受け取ったなら、
できる、できないをすぐに判断して
できない時はすぐに物を処理するように
その言葉を拒絶してこそ間違いがありません。
いったん物を受け入れると、その責任は自分に入ってくるからです。



人を上手く使うことを知っている人は
いったん自分のものをたくさん施しなさい。
反対に徳がなく、原則ばかり問題にして人を動かそうとする人は
結局はみな逃げて行きます。
人が回りにたくさんとどまっている人は
事実それだけの理由があるのです。
忘れないでください。原則ばかりでは絶対にだめです。



茶山、丁若先生が財産を隠しておく方法について書かれました。
その方法がとても知恵のある方法です。
「そもそも財産を秘密裏にしまっておくことは施すことほどのものがない。
私の財産で困難な人を助けたならば、
跡形もなく、なくなった財産が
受け取った人の心と私の心に深く刻まれ
変らない宝石になる。

息は自分の体の中に入って来て自分の体の一部になる。
自分が自分の吸った息は再び人に入っていきその人の一部になる。
このように息ひとつだけ見ても
私たちは互いにみな同じく連結されている。



望んだにしても、望まないにしても
私たちは互いに連結されている。
だから、自分ひとりだけ別に幸福になっていくことは
考えることはできない。
ダライラマ



一個のりんごの中には全宇宙がある。
土の栄養分、日光、酸素、窒素、雨、農夫の汗が入っているのです。
全宇宙が互いに支えあって生きています。
ならば自分の中は何が入っていっていますか。





コメント
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