とんだり はねたり

kinoppyの一日

秋の信州 vol2 碌山美術館

2018-12-09 | 美術
Hi!みんな元気?今日は安曇野にある碌山美術館を紹介しよう。本当はもっと色々行きたかったんだけど、時間の都合で紹介できるのはこの美術館だけ。でもここは期待した以上に素晴らしくて、kinoppyの感動は100%、これからの生き方を学んだような気がしたよ。

何の予定も立てずに、急いで駅へ向かう。このポスターは松本の街中でしょっちゅう見かけた。朝の忙しい時でもスカッとするね。スポーツの持つスピード感、解放感、潔さかな。



駅に上がるエスカレーターの横にこんな表札が懸かっていた。松本駅は1902年に開通し、1942年(S17)に改築。S22年に火災に遭い、23年に再建された。その頃の駅舎表札らしい。S52年の国体開催に合わせて取り壊されたが、S60年市民の要求により駅名票は残されることになった。と説明が下に書いてある。古いものを残そうとする姿勢、イイネ!



慌てて飛び乗ったのは、どうやらリゾート用の観光列車だったみたい。列車の1番前におじさん二人がいて、三味線?などの楽器とマイクロホンがチラッと見えた。うろたえるkinoppy。ならば、と再度外へでて写真を撮った。そして1番景色の見やすい席を陣取った。



高山電車だから、ハイブリッドなのね、山梨の小海線もそうだった。



あらっま!とどめとばかりにリゾートビュー ふるさとの文字が・・・、全然見えてなかった~。



近くに座られたご夫婦と早速おしゃべり。これは観光列車で、指定席券500円が必要とのこと。列車の本数が少ないので、そのまま乗ることにした。20分位で穂高に到着。ここでしばらく停車するので、穂高神社で参拝ができるらしい。なあ~るほど。そういうことか。と今更ながら、納得するkinoppyだった。

車窓からの風景。前の席から山の雪景色が次々見えるんだけど、自分の席に来ると消えている。なぜ??仲良くなったご夫婦から先に見えるのは裏山の景色なんだと教えていただく。なあ~るほど。






方向も分からず、みんなについて穂高神社へ行く。楽しいお仲間と話に夢中?で、さっぱり、写真の構図が決められず、たった1枚撮ったのが、これ。にぎわいだけは感じ取れるかな?



巫女さんのお話もどこへやら?目の前の大木を指して「神木です」と言われたのだけは、聞き取れた。七五三で沢山カワイイお子さん達がいたが、お子さんだけに、なかなか声はかけづらく、和傘と一緒に記念撮影していた所を後ろからそっと1枚。



お二人はこれから列車に戻って、白馬まで行かれるらしい。松本に住んでると白馬まで日帰りできるんだって。kinoppyはちひろ美術館にも行きたかったが、碌山美術館にとても興味があり、どうするか悩んだ末、折角降り立ったから、穂高を散歩することに決めた。優しいお二人ともここで、お別れ。
駅前の案内所でコースを教えてもらい、3時頃までに松本に帰ると伝えると、う~ん、全部回れるかどうか?と案じられたが、とりあえず、行けるところまで行こうとお気楽に。ルンルン!教えられた通り、線路伝いに碌山美術館へと歩く。イイネ、イイネ、景色がすごくきれい。やっぱ空気が澄んでいるから、景色も美しい。しかし、線路沿いの道は遠回りだったね。本来ならもう少し早く着けたと思うよ。下調べが足りない。反省






美しい紅葉とそれらしき建物が見えてきた。これはお向かいの公園。この前の踏切を渡ると碌山美術館。右に折れて下って行くとわさび農場方向らしい。









入ると正面に労働者の像



迫力あるね。



あれに見えるは、パンフレットに載っているあの教会風の建物、碌山館か。今は、からまる蔦もなく、周囲の木々も葉が落ちてほぼ枝だけ・・。なにか寂しい美術館庭園であったが、とてもセンスの良い美術館であることはすぐわかった。



美術館のチケットと見学館4館の案内図



碌山館入口そばの水場?大きなかりんの木があって、そこここにかりんの実がおいてある。



入ってすぐ左手、ひんやりした空気が漂う。暖炉には薪がくべてあった。






次の部屋には、誰でもみたことがある有名な彫像が所狭しと飾ってある。一つ一つの像に圧倒される存在感。重要文化財

文覚(もんがく)1908年



坑夫 1907年



デスペア 1909年



有名な「女」1910年、美しい、のびやかな曲線美、柔らかだが、力強い生命力を感じさせる。






碌山の生家、安曇野の里山にあったんだね。美術館のこの辺りがぴったりの環境か?そのはずだ、生家は安曇野市穂高とある。



New Yorkでの生活。1901年、そんな昔に勇気ある行動だ。アーティストのやる行動は大胆、やるべきことがわかっている所が偉い。22才か~。芸術を追究して、ぶれずに生きてきたから、恐れず自分の進むべき道を歩めたんだね。日本と生活水準がそう変わらなくなった現在でも、同じような生活をアメリカで送るのは勇気のいることだと思う。学ぶべきことが多い。










1907年、ロダンを訪ね、教えを乞う。高村光太郎とロンドンで美術館を巡る。この頃から号「碌山」を使う。





1908年(M41)帰国。新宿にアトリエを新築。29才。しかし1910年30才5ヶ月で永眠。やはり無理な生活はいけないね。みんな、がんばりすぎないようにね。





この建物の裏に高村幸太郎の詩碑がある。しばし佇んで、悲しかった・・。





この館だけで充分だ。とkinoppyには思えた。学ぶことも多かったが、良くも悪くも受けたショックも大きかった。これからレポートするのは場所が違っているかもしれない。もし間違ってたらゴメンネ。

杜江館



若き日の天皇と皇后。(皇太子、皇太子妃の時代)美智子妃はまだ皇室の色にそまっていない溌剌さが感じられる。



わざわざ雪の日に?と思ったら3月末だったんだね。




皇太子殿下ご夫妻が訪れたことで有名になったんだって。良いことしてくださいましたね。皇太子の見識の高さにびっくり。kinoppyも答えを聞きたい。



昔はこの辺りも建物が少なく、すぐ裏に山が見えたんだね。とっても素敵な環境だ。



他の建物は碌山以外の方々の作品が並べてあって、撮影禁止だった。なので外観だけね。kinoppyもどれが何館だか良くわからなくなってきてる。



あとはグズベリーハウス、休憩室になっているけど、とても素敵なお部屋。



前から見るとこんな感じ。ベンチがあって水場があって、かりんが置いてある。その横を1時間に1本くらい列車が通る。





中はこんな感じ



かりんにはご自由にどうぞ、と書いてあった。1番右端の小さめのをもらって帰った。今でもダイニングテーブルに飾ってある。ミルク臭いかりんの香りはあまり好みではなかった。





そして前の方にはガラス扉のお部屋がある。








トイレの標識もカワイイ



いちいと名札のある木の向こうに美しい学校風の建物が、行ってみることにした。



行ってみて驚いた。向こうの方に雪が見えるよ!それに素晴らしい学校。





これは行って見なければ、疲れも忘れてドンドン行くよ。

すてきなお庭に、すてきな像



中庭





どんどん進んで行くと、びっくり、大きな体育館!!



1番奥まで進むとネットの向こうに雪山、なんてス・テ・キ!





学校前面、市立穂高東中学校、前庭は白雲庭と石碑があった。前庭には3~4体の像がある。







標識



お庭から碌山館が見える



松本城でもであったご夫妻



本当にお天気には恵まれた、とてもラッキー! また来て良いかな?



碌山館と大きなかりんの木、思い出に残るかりん





みんなお疲れ様。最後まで読んでくれてどうも有難う。またすぐ会おうね

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
未踏破 (鬼城)
2018-12-10 07:56:48
穂高神社、ここからケーブルカーで穂高への道があります。合宿は降りてくるので上高地からでした。だからお参りはしていない。そして卒業後も行きたかった所が碌山美術館でした。安曇野でも外れにあって中々行きにくい場所ですね。信州では無言館にも行きたかった。ちひろ美術館は大人気のようですね。旅行者にとってアクセスと見学時間が大事ですね。
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碌山館 (kinoppy)
2018-12-11 10:59:26
鬼城さんへ
早速のカキコ有難うございます。午前2時に投稿、8時に見たら、鬼城さんの元気そうなお声が届きました。有難うございます。碌山館にはまだ行かれてないとのこと、ご紹介できて良かったです。碌山館は電車大糸線穂高駅で降りれば15分位で歩けます。結構便利な所です。でも、建物が大分旧くなってきていますから、この素晴らしい建築物をご覧になるなら、今のうちかもですね。ケーブルカーがあるんですか?知っていたら、登山しなくても、行けるところまで行ったのになあ。うろうろ大好きkinoppyはとても残念に思っています。
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安曇野 (happy)
2018-12-11 19:25:42
臼井吉見さんの安曇野読まれましたか、?
安曇野から中村屋がある新宿あたりがとてもよく書かれております。中村屋に碌山の名前のお菓子もあります。暇がないと読めないほど分厚く4巻に纏まっております。良かったら我が家にあります。
また読み返して見たいと思います。何時もながら文章・写真と感心しております。かりん
のジャム美味しいですね。有難う
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新宿 (kinoppy)
2018-12-12 10:57:58
happyさんへ
臼井吉見さんですか、懐かしい響きですね。書籍については日野原先生や色々ご紹介いただきましたね。是非読んでみたいと思いますが、そんな分厚い4巻が読めるかしら?中村屋の部分だけでも読みたいですね。中村屋は当時芸術家のスポンサーだったんでしょうね。そういえば学生時代新宿は芸術家の卵たちのメッカでしたね。風月堂に来ればいつでもいるから。とアーティスト野郎に言われました。先輩には歌声喫茶のともしびに連れて行かれました。新宿に勤めることになるとは、夢にも思いませんでしたが(最初は大手町だった)、勤務する頃には高層ビル街に変わっていました。かりんのジャム食べた事がありません。おいしいんですか?
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