長年音信不通だった姉妹。姉ベッシーが白血病と分かり、骨髄移植の可能性を求め妹リーに連絡したことから、20年ぶりに再会を果たす。老いて寝たきりの父親を独身のまま介護するベッシーと、自由奔放そうに生きてきたリーは、やはり相容れない。
リーに反抗ばかりしている長男ハンクが介在することで、ぎこちない姉妹の関係に変化が、、、。
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自分を殺して家族のために犠牲になる姉 VS 自由奔放な妹、という構図。まあ、ありがちです。その姉、ベッシーの終盤でのセリフが、本作での全てかも知れません。正確じゃないですが、そのセリフとは、「私が選んだ人生。私は幸せ。彼ら(寝たきりの父親と認知症気味の叔母)をこんなに愛しているから」・・・です。
幸せとは、本人が感じるものであり、周りが外から見えることだけで決めるもんじゃない、ってことですね。確かに、人生の充実度とは、いかに愛されたか、よりも、いかに愛したか、にあるというのには同感です。
でもですね、ベッシーの状況を見て、それを言葉通りに受けとめるのはかなり難しいですよ、正直な話。そもそも、ベッシー、どうやって生活しているのか、経済状況がまったくのナゾです。仕事をしている風が一切ないのです。彼女の世界は、あの家で完結しちゃってる、っぽいのですね。強いて言えば、時折通っている病院が唯一の彼女にとっての外界。
確かに、結婚歴の有無、子どもの有無、それらが幸せの尺度でないことはよく分かります。しかし、どう見ても、彼女が「自分で選んだ」と言うその過去は、それは、選ばざるを得なかった、と言い換えた方が正確なのではないでしょうか。自分のために費やす時間がほとんどないのです、ベッシーには。これで、「幸せ」と言われても、素直に「そう、そう言えるなんて、本当に幸せね」とは言い返せませんね、私は。
が、しかし、それは私が根っからのわがまま勝手エゴイストだからなのかも知れません。こうして、他者のために時間を使い切っても、それを心から幸せと言える人も、世の中にはいるのかも知れません。少なくとも、私の周囲には見当たらない、というだけで。類友って言いますからね。
ただ、本作は、介護が重要なファクターになっている作品でもあり、そういう意味では、非常に重いです。親の介護もそうだけれど、自分が要介護の存在になったらどーすんだ、という切実な問題。考えただけでも心がズーンとなります。私には子がおりませんから、公的な援助を受けざるを得ないんでしょう。できることなら、社会保険料を払えている間にお迎えが来て欲しいもんです。
でも、まさに本日、先日受けた健康診断の結果が出てきて、申し分のない総合「A」判定だったしなぁ。当面、くたばりそうにない自分、、、がーん、、、。もちろん、健康には常々気を付けているし、感謝します。ならば、狙うはぴんぴんころり。まぁ、多くの人の理想ですよね。
本作でも、ベッシーが亡くなった後こそどーすんだよ、ってことです。あの性格のリーに介護生活が務まるとは到底思えません。結局、この問題はエンドレスなのです。そこがもの凄く重さを感じてしまいます。本作自体は、少しだけ姉妹融和という兆しが見える救いのあるラストでしたが、問題はその後なんだよ、っていうツッコミが私の頭の中では渦巻いておりました。
あと、ディカプリオ演じるハンクが、ベッシーに書置きを残して出ていくシーンがあるのですが、そのちょっと後で、何の説明もなく普通に戻ってきています。また、デ・ニーロ演じる医者のいる病院の受付に、その兄と思われる男性がいて、これがちょっと知的障害のある人っぽいのですが、この設定が全然ストーリー的に意味をなしていないのもナゾです。
・・・というわけで、映画としてはヒジョーに宙ぶらりんかつ中途半端、おまけに鑑賞後に心が重ーくなるってことで、評価は低めです。
介護のことを嫌でも考えさせられる映画
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