映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

フレンチアルプスで起きたこと(2014年)

2016-04-07 | 【ふ】



 フランスのスキーリゾート地にバカンスにやって来たスウェーデン人一家。若いトマスとエヴァ夫婦、それに娘のヴェラと息子のハリー。理想の家族を絵に描いたような家族写真をゲレンデで撮ったり、4人仲良く滑ったりして1日目を楽しく無事過ごす。

 問題は2日目に起きる。一家が最高の眺めのテラスで楽しく食事中、スキー場が人為的に起こした雪崩が、予想外に大きくなり、テラスに迫って来た。大丈夫だと余裕を見せていたトマスだったけれども、いよいよ雪崩が迫って来たら、なんと、スマホを鷲掴みにして逃げ出した。テーブル席に置き去りにされたエヴァと子どもたち、、、。

 幸い、テラスには雪煙が真っ白に覆っただけで実害は何もなかったが、雪煙が晴れて、回りも落ち着きだしたところへ、テーブル席にトマスが戻って来た。雪崩の前とは雰囲気が一変していた。

 ……楽しいはずのバカンスが一転、夫婦崩壊、家族崩壊の危機に瀕することになる。
 
  
☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜


 昨夏公開時に、劇場に見に行けなくて、DVDにて鑑賞。

 夫婦に限らず、人間関係ってのは、非常事態に遭遇したときにその真価が試されるものだと思いますが、本作でこの一家が出会ってしまったのは、実際は、非常事態というほどのものですらなかったんだけど、図らずも夫orお父さんの正体が露呈しちゃった、という、シャレにならない話です。

 ネット評では、トマスが夫でお父さんだから、つまり男であるから、逃げたことを責められるのだ、という論調が多かったような。女子どもが逃げても責められない、とか。そーでしょうか?? 確かに子どもが逃げても責められないでしょう。でも仮に、エヴァがトマスと同じ行動をしていたら、やっぱり「母親のくせに何だ」「子どもほったらかしてそれでも母親か」と非難轟轟だったはずです。これ、男も女も関係ないと思いました。ここで、男だ女だを言うのはナンセンスでしょう。

 トマスがもし、隣に座っていた息子を抱えて逃げていたら、事態は大きく違っていたでしょうねぇ。エヴァも娘のヴェラも、夫orお父さんに失望しなかったと思います。だって、子ども2人は夫婦がそれぞれ1人ずつ守るという発想の下の行動だと説明がつくわけですからね。

 正直、自分だったらどうするだろうかと考えちゃいました。子どもがいたら、まあやっぱり、子どもを守らねば、、、とか思うんでしょうか。私には子どもがおりませんので実感としては分かりませんが。でも、甥っこや姪っこがヴェラやハリーくらいの年齢だった頃は、この子たちの両親に何かあれば、私が守らねば!! などと勝手に思っていたことはあります。子どもって、そういうふうに思わせる何かがあるんだよなぁ、きっと。

 でも、子どもがいない夫婦2人の場合だったら……? 正直、私は、相手を守ろうなどと考えずに、一人で避難しちゃうかも。だって、お互いイイ歳の大人なんだし、、、。その代り、別に相手に対して、アンタは男なんだから女のアタシを守ってよ、とも思わない気がする。少なくとも、今は思っていない、ゼンゼン。そしてアイツはどーするだろうか、、、と考えたけれども、アイツも勝手に逃げるんじゃないかな。で、お互い勝手に逃げてから、あれ、アイツどーした? 何で逃げねーんだよ、バカ!! って感じじゃないだろうか。そのままはぐれちゃうかもだよね、、、。別に彼を信頼していないわけじゃない、けれども、アタシもアタシだからなぁ、、、。そんな自己犠牲の精神を互いに相手に対して抱いている関係とは、到底言えません。

 そもそも、男は女を守るべし、というのは、女の勝手な理想の押しつけであって、そんなこと男は望まれたって応えられるわけないんだよ。確かに、男の方が腕力は勝っているだろうけど、持久力と精神力は、多分女の方が遥かに強い。「男は度胸、女は愛嬌」って言葉がありますが、あれは、男には度胸が、女には愛嬌がそもそも欠如しているから心しなさいよ、という意味だと思うんですよね~。男性自身も、そういった“マッチョ信仰”に過剰に囚われている部分もあるかも知れませんしね。マチズモなんて「バカの代名詞」だと、大分、世間でも認識が浸透してきている昨今ではありますが、、、。いずれにしても、男性性や女性性に対する妄想は、お互いに捨て去る方が幸せです。

 エヴァがトマスを執拗に責めたのは、トマスの男性性の欠如に失望したからでしょうか。、、、まあ、それもあるかも知れませんが、やはり、家族の一員であるにもかかわらず、家族より自身を最優先した、という事実にエヴァは打ちのめされたのだと思います。もし、子どもがいなくて、トマスとエヴァ2人だけのシチュエーションで同じことが起き、エヴァがねちねちトマスを責めたら、エヴァにはゼンゼン同情できなかっただろうなぁ……。本作の場合、子どもがいるし、2人ともまだ小さいからね、余計にそう思うよね。

 とはいえ、エヴァにもあまり共感は出来ないのです。トマスをネチネチ責めるから、というのではなく、結構この女性は「形から入るタイプ」に見えるのです。いろんなことに対して自分の理想とする形があって、そこにハマっていないと欲求不満になる。こういう人は、自分と向き合うのが苦手で、物事が上手く行っている時は良いけれど、何か歯車が狂いだすと、それを人のせいにする傾向があると思うのよね。個人的にちょっと苦手なタイプです。

 一番かわいそうなのは、まあ、子どもたちでしょうか。折角の楽しいバカンスなのに、両親は不穏な雰囲気、部屋中に緊張感が充満していて、子どもはこういうのに非常に敏感ですから。

 中盤、夫婦は一芝居うって、子どもたちを安心させて、夫婦仲も修復されてめでたしめでたし、、、。と思いきや、終盤でまた一波乱ありました。あれをどう解釈するか。

 それまでもエヴァにあまり共感できなかった(といって、トマスに同情的でもなかったけど)のですが、あのラストの彼女の行動で、やっぱりこの人イヤだわ~、と思っちゃいました。バスから真っ先に降りたのもいただけないといえばいただけないけど、息子を友人カップルの男に抱っこさせたのがイヤでしたね。なぜ自分で抱っこしないのか。

 結局、人間って勝手な生き物なんだな、ということを改めて認識しました。エヴァもトマスも、似たもの夫婦です。勝手な生き物のくせに、自覚がない。自己犠牲の下に親をやっていると勘違いしている。せめて自覚しろよ、と思う。

 バスから降りずに乗って行った女性が、一番共感できたかも。彼女は、自らの勝手さを自覚していて、自覚しているからこそ自制もできる人なのよね。自覚のない奴は何であれ、ホントに扱いがメンドクサイ。

 ところで、本作は、夫婦の危機ということで『ゴーン・ガール』が引き合いに出されているようですが、個人的にはゼンゼン違うと思うんだけど、、、。本作の方が、よほど意地が悪いし捻りが効いています。まあ、マッチョ映画といえば、どちらもマッチョ映画かも知れませんけれど。そういう意味では、マチズモ思想って不滅かもですね。ゾンビみたいだわ




ヴィヴァルディの音楽が効いています。




 ★★ランキング参加中★★
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする