ベルギー・ブリュッセルに神は住んでいる。この神は、意地悪で、日がな一日パソコンに向かって世界を支配し、暇つぶしに“普遍的な不幸の法則”を作ってほくそ笑むという、およそ人間の信じる神の像からはほど遠い。
神は現在、妻(女神)と、娘・エアと3人で、玄関のないアパートに暮らしていた。横暴な神は、女神とエアを支配し、かつてはエアの兄JC(キリスト)を死に追いやっている。
エアは、こんな生活がイヤで仕方がない。何かと父である神に反抗するが、ことごとくやり返される。我慢も限界に達したエアは、ある日、神の書斎にこっそり忍び込み、神のパソコンを操作して、人々に余命を知らせるメールを送信してしまう。余命を知らされた人間たちは、、、、もうタイヘン。
兄JCのアドバイスで、エアは家の洗濯機から下界へと脱出し、余命を知っておろおろしている人間たちから6人を使徒に選んで、彼らに出会う旅をする。
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6年ぶりの、ジャコ・ヴァン・ドルマル監督による新作、ってことで劇場まで行ってまいりました。
◆人生における“たられば”
みんシネの『ミスター・ノーバディ』のレビューでも書いたのですが、この監督は、「人生とは何ぞや?」という、答えのない問いに、いつもいつも真正面から向き合っておいでです。もちろん本作もそうです。ただ、『ミスター・ノーバディ』が『トト・ザ・ヒーロー』のS・Fバージョンだとすると、本作は、ちょっと別視点からではあるけれど、テーマは通底しているのかな、と。
それは“もう一つの人生”ってやつです。
今回、余命を知らせる神からのメールを人間たちが受け取ることにより、人生とは何か、生きる意味とは何か、を考えさせられるのだけど、エアに使徒として選ばれた6人の人間たちは皆、余命宣告メールをもらって、ある意味“生まれ変わった”のですね。それまでの人生を、まったく転換させてしまった。
そこにエアの力は大して働いていない。エアが現れたことで彼らは人生を見つめ直しはするけれども、その後をどうするかは、皆自分の意思で選んで決めて行きます。エアは小さな奇跡を見せることもあるけれども、ほとんどは彼らの話を聞くだけ。そして、彼らの胸に耳を当てて、彼らの音楽を聴く。自分の音楽を知らされた彼らは、その音楽に一種の“気付き”のようなものを与えられるわけ。
つまり、“余命を知ること”とは、運命を知ること、ではあるけれども、生き方は自分で選べるはずだ、意味ある人生とは自らが作るものだ、ということ。そして、肝心なのは、”運命は変えられるのか否か“ですかね。それは、ラストに集約されているのですが、、、。
余命、知りたくないですよねぇ。私の場合、仮に平均寿命を生きるとしても、これまで生きてきた年数より明らかに短い時間しか残っていませんが、例えあと○年○か月生きると言われても、それがあと50年でも、50時間でも、どっちもゼンゼン嬉しくありません。じゃ、何年なら嬉しいか。何年でも嬉しくありません。つまるところ、いつ死ぬか分かんないから生きていられる訳です、人間は。
◆人生をとことん肯定する
本作の原題を直訳すると、「新・新約聖書」だそうです。なので、邦題の『神様メール』とはいささか趣旨が異なるような。神を悪し様に描くことで、新しい新約聖書を作ることに意味を持たせるのでしょうが、この邦題ではそれが分かんないし、そもそもメールを送ったのは神ではなくエアだからね。
6つの福音書であるエピソードはどれも突飛で、コメディというより、いささかお目出度いファンタジーにさえ思えるけれど、よくよく考えると、結局、人生なんて苦痛と苦悩の連続で過酷そのものにしか思えない時間の方が長いけれども、それでも敢えて人生を肯定しようと思えば、こういうエピソードにならざるを得ないんじゃないかと。設定こそ違えど。
そういう意味で、やっぱり本作も、テーマは過去の作品と共通しており、監督の信念として“人生讃歌”があるのだと思いました。
どんなにとるに足りないものに見える人生も、全て、同じ重みの価値のあるものであり、それは大切にされるべきものである。そういう、ちょっとまともに口にすれば小っ恥ずかしくなりそうなテーマを、こうも堂々と真正面から描かれると、却って清々しいです。
◆ジャコ・ヴァン・ドルマル監督&その他もろもろ
この監督はそもそも寡作な上に、作風が独特過ぎで好みが分かれる作品ばかりだと思うけれど、私は基本的にとっても好きです。多分、この人の感性が好きなんだと思う。あと、音楽。本作も音楽はどれもとっても美しかった。サントラが欲しくなったくらい。映像も美しく、ブリュッセルの街中をキリンが歩いていたのもツボだったし、切断された左手のダンスのシーンもグロいけど美しいし、エアが会話する鳥とその群れも可愛らしいく神秘的。
特に、最後のエピでのテーマ曲トレネの「ラ・メール」に乗せて、骨だけになった魚のCGが空をゆっくりと泳ぐ描写になぜだか胸がじーん、、、となりました。「ラ・メール」が好きだから、というのもあるでしょうが、、、。さすがフランス人、この人の作品にはどれも素敵なシャンソンが必ずどこかに流れます。
ラストの空を花が覆うシーンは、まあ、ふーん、、、という感じでしたが、“運命なんてあるかないか分からない”ということなのかな、と。ただ、自分の意思とは無関係な何かの力はある、という風に受け取りました。だって、意地悪な神が設定した余命を消したのは、人間自身じゃないんだから。
その意地悪な神が、エアの部屋のドアを、斧を振りかざして叩き破るシーンは、あの『シャイニング』のJ・ニコルソンを思い出して笑っちゃいました。
もう一つの人生、ありますか?
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