映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

日本の悲劇(2012年)

2016-06-21 | 【に】




 肺がんを患い3か月の余命宣告を受けた不二男(仲代達矢)は、手術を拒否して半ば強引に退院して来た。退院に付き添ったのは、もう長いこと無職の息子・義男(北村一輝)。

 義男は、数年前に突然リストラされてうつ病になり、妻子を置いて勝手に入院。入院中に妻子に去られ、社会復帰しようと退院した矢先に母親・良子(大森暁美)が倒れて寝たきりとなり4年間の介護生活の果てに良子は亡くなる。

 ようやく介護から解放されたと思ったら、東日本大震災に見舞われ、気仙沼が実家の妻子は行方不明。不二男は肺がんで入院。今や、余命わずかの不二男と、その不二男の年金を頼りに生活する無職の義男だけが残された。

 不二男は、そんな義男の先行きを案じ、自分にできることは、ひっそりと逝き、息子がこのまま無職でも自分の年金で生活していけるようにすることだけだと考える。そして、退院した翌日から妻の遺影の飾られた祭壇がある部屋の戸を中から釘で打ち付けて閉じこもり、絶食によって死を待つことに。閉じこもった父を何とか思い直させようと泣き叫ぶ義男だが、不二男の意志は固い。

 かくして数日後、不二男は義男の呼び掛けにも応えなくなった、、、。
 

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 あんまり得意じゃないと分かっているのなら、最初から見なきゃ良いのに、こういう社会問題を扱った映画についつい手が伸びてしまう悪い癖。見てから大抵、後悔するんですよね……。本作もしかり。


◆エアー老人問題

 数年前の一時期、世間を騒がせた“所在不明老人”の問題が元ネタのようです。元ネタは、都内某所で、戸籍上111歳になる老人が、30年以上前に死亡しており、その間、遺族らは老人の年金を黙って受け取っていた、という話。ここまでの長期間でなくとも、親の死亡を届け出ることなく、遺族が年金を不正受給していた、というニュースはその後も後を絶ちません。

 元ネタになった事件では、亡くなっていた老人は「即身成仏する」と言って部屋に閉じこもったきり出てこなくなった、ということだそうですが、本作の場合、父親の不二男が、息子に年金の不正受給をさせることを目的に部屋に閉じこもり、絶食による自死を選択するという設定です。

 確か、元ネタになった事件が公になった時、当時の都知事だった石原慎太郎が「親が死んで弔いもしないなんてのは人でなし」みたいなことをコメントしていましたが、まあ、それはある意味正論ではありますが、このオッサンは為政者として本当に物事の本質を見極めることができない強権爺ィだなぁ、と呆れた記憶があります。弔えるんなら弔ってるよ、ってことが分からない。想像力の著しい欠如。故人のわずかな年金を当てにしないと生きていけない、追い詰められた生活をしている人々が東京の空の下に少なからずいるのだ、ということを、都知事ともあろう人なら直視して対策を考える必要性に思いを致すことの方が、正論ぶち上げてこき下ろすより先じゃないんですかねぇ、、、ってことです。都知事じゃなくて、ただの作家ならいいですよ、好き勝手言ってりゃ。立場をわきまえろよ、って話です。

 まあ、だからこそ、映画にして世に問い掛けようという、この監督さんみたいな人がいるのでしょうが、、、。

 その後、根本的に年金制度の改革もされていないし、こういう問題は高齢社会ニッポンでは今後も続発が予想されます。その度に、遺族を逮捕・糾弾しているだけで果たして良いのでしょうか。長寿社会で、親の介護に想像以上の莫大な費用が掛かり、親自身はもちろん、子自身の老後資金もスッカラカン、わずかな年金が命綱になる人が爆発的に増えるのは火を見るよりも明らかなんですけれど。その年金だっていつ破綻するか、時間の問題という考えただけでも恐ろしい現実。保険料払っているうちにお迎えが来てほしいです、本当に。

 エアー老人はその後、各地で調査されてかなり明るみに出たことによりエアーじゃなくなったみたいですが、年金不正受給の詐欺はなくならないでしょう、多分。


◆セリフで全部説明し、細部は嘘くさい。

 で、映画としての本作についての感想ですが。正直、ものすごく退屈でした。社会派映画だか何だか知りませんが、もう少し、「人に見せる」ことを意識して作ってもらいたいなぁ、と思います。

 そもそも映像化している意義が分からない。だって、全部、何もかも、セリフで状況を説明してしまっているのですから。何のための映像ツールなのか。低予算なぞ関係ない。創意工夫がまるでないのが、志を感じられなくてイヤです。

 北村さんは実力ある俳優さんだと思うけれど、本作での芝居は、嘘くさくて見ていられませんでした。これは演出がマズイとしか思えない。北村さんに限らず、仲代さん始め、皆さん上手い人ばかりなのに、なんかヘンだった、ずーっと。学芸会みたいな感じ。わざと下手に演出したんですか? と疑いたくなるくらいに、ヘンだった。シーン転換の間も長過ぎてブツ切りな感じだし。その意図が全く理解不能。

 大体、良子さんが寝たきりになって義男が4年も介護したというけれど、その間、夫の不二男は何をしていたんですかねぇ。4年前はまだお元気そうですけれど? 本来なら不二男が主体となって妻の介護をするのが筋で、その当時、うつ病上がりで妻子に去られた後とは言え、前途ある息子にそれを全面的に背負わせるのは、親としてあまりにも非常識なのでは? と思うと、何だかこの設定自体が嘘くさく見えてきてしまい、、、。

 それに、うつ病が完治しているかどうかも怪しい状態で介護に忙殺されていている中年男と、酒ばっかし飲んでいるその親父の2人の暮らしにしては、家の中がものすごく片付いていてキレイなんですよね。冒頭、退院してきた不二男に義男が布団を敷いてやるシーンがあるんですけど、そのシーツもアイロン掛かってるし。こういう細かいところが嘘くさいんだよなぁ、、、。


◆分かりやすいけど響かない

 告発映画(?)なんでしょうけど、こうも独善的な作品だと、制作者の意図は伝わらないよ。伝わる人に伝われば良い、というのなら、制作者としては失格だと思う。

 この監督さんは、昨今の“分かりやすい映画”を批判なさっているようですが、それは同意する部分も確かにありますが、だからと言って、仮に本作がその制作ポリシーを貫いた映画だと言われても、なんか違うんじゃないの? というのが正直な感想です。

 見る人の想像力を信用するのと、作る側の独りよがりは、別物です。テーマも役者も良いのに、その扱い方がマズイと作品自体がダメになるという見本のような作品だと思います。

 その内容はともかく、まだ『バッシング』の方が、映画としては成立していたと思う。私は、あれは内容的に嫌いですが。

 最終的に、不二男は目論見通り、絶食の末に亡くなる様です。ラストシーンは、義男が職探しに出掛け、不二男の遺体が眠るだけであろう留守宅に電話がむなしく鳴り響く、というものです。もはやこのシーンをどのように解釈するとか、考察する意味さえ感じられません。

 本作は、残念ながら誰が見てもとても分かりやすいけど、想像力を働かせるまでもなく退屈過ぎて思考停止にさせられる作品、と言ってもまあ過言ではない映画だと思います。それって、監督さんのポリシーの対極なんじゃない?

 仲代さんが回想する場面で、表情だけの演技は素晴らしいです。本作での見どころは、ほとんどそこだけ、と言っても良いくらいでした。ほとんどこき下ろしてばっかでスミマセン。


 




もうこの監督のこのジャンルの作品を見るのはやめておこう。




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