アラサーの、美人だけどゴツくて非モテの独身女フランシス。親友のソフィーとNY・ブルックリンのアパートでルームシェアをしていて、プロのダンサーを目指している。
ある日、フランシスは彼氏に同棲しようと言われるがソフィーがいるからと、あっさり断る。しかし、その直後に、ソフィーからルームシェアの解消を告げられる。前から住みたかった地区に掘り出し物の部屋が見つかり、他の女友達と一緒に住むことにしたからだという理由で。
おまけに、ダンサーとしてもほぼプロの道が閉ざされる事態となり、フランシスは失意の中、故郷サクラメントに帰ってクリスマスを過ごし、パリにも2泊3日の一人旅に出掛ける。旅を終えてNYに戻ってきたフランシスの自分探しの結果は、これいかに。
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劇場に、見に行こうかなー、どうしようっかなー、と思っているうちに終映となり、今ごろDVDを見ました。つまり、ちょっと気にはなるけどそこまでそそられなかったということなんだけど、まあ、やはりDVD鑑賞で十分だったかな、というのが正直なところです。
◆残念なフランシスちゃん
無駄のないトントン拍子の人生劇を見せられてもつまらない。かといって、いまさらアラサー女の自分探しモノもなぁ、、、。自分探しは大いに結構なんだが、私はこのフランシスさん、ゼンゼン共感できなかった……というより、嫌いかも。
そもそも27歳の女が、その年齢でプロのダンサーを目指している、、、という点にかなり違和感が。これが、ダンサーじゃなくて、物書きとか、絵描きとか、学者とかなら感じなかったと思う。身体能力的に言って、27歳ならもう、とっくにプロになる人はなっている年齢なわけで、そこをその歳まで自分で見極められない、見極めようとしない人っていうのは、ちょっとどーなの? と正直思う。その時点でプロになるレベルのセンスがもともとないのでは、、、というのは言い過ぎなのかな。
そりゃ、夢を実現するのに年齢は関係ない、とはよく言うけれど、そこには暗黙の前提というものがあって、実際、フランシスにはダンサーとしての未来はないと、カンパニーの主催者に断言されているわけで、、、。ダンサーを諦めるか否か、を選択するには5年くらい遅い気がするんだよね。
映画やドラマとして、自分探しモノが見るに堪えるのは、おそらく、その本人が自分ときちんと向き合う努力をしている場合に限定される気がするんだよなぁ。
フランシスを嫌いだと思った理由は、まさにそこなわけです。彼女は、美人で性格も悪くはないけれど、いかんせん、ちょっと頭がよろしくないのでは。
ソフィーとのルームシェアを解消した後、彼女は男女関係なく友人の家を泊まり歩くのですが、そこで集った人々に思いっきりKYな発言をしたり、明らかに見栄を張っていると分かる強がり(や嘘)を言ったり、、、。最初は、彼女が自分の境遇に折り合いをつけられない反動で、そういう言動に出てしまっているのかなぁ、と思って見ていましたが、どうも違うのです。これ、彼女の地のキャラなのです、多分。それってつまり、、、バカ、ってことじゃない?
努力しているけれども報われない、頑張っているけれど空回り、、、そういうことはよくあるし、自分探しモノにつきものだけど、フランシスは努力しているようにも頑張っているようにも見えない。ただただ現実に流されているだけ、のくせに、現実を受け入れられない。私は、こういう人の話を敢えて見せられるの、イヤなのよね。だって、スクリーンで見なくてもリアルでその辺にいますから。
イヤなら見るな、ってことだけど、見る前にそこまで分からないこともよくあるわけで、、、。と一応、言い訳しておきます。
◆そこに“愛”はあるのか?
本作を見て感じたんですが、こういうアラサーでモラトリアムっている、特に女子に対して制作サイドは固定観念があるんじゃないですかね? そしてその固定観念は、何も本作の制作だけに限らない、割と世間一般的なモノのようにも思うのです。
どんな固定観念か、というと、、、ものすご~く乱暴なまとめ方をしちゃうと、「イイ歳して自分探ししているヤツらは、現状分析の出来ないバカどもだ」というもの。現状分析=自己分析でもOK。自分を客観視できないヤツら、みたいな。だから、フランシスの人物造形がああなるんではないかしらん。
なんというか、フランシスというヒロインに対する愛が感じられない作品なんです。愛はないくせに思い込みはある、というか。愛があれば突き放した描き方もできると思うけれども、本作は、とことんフランシスに甘い。彼女の置かれた状況は甘くないですよ。でも、とことんまで追い詰められていない気がするんだよなぁ。現実の厳しさって、こんなもんじゃない気がするのです。
もっと言っちゃうと、制作サイドの“上から目線”ね。とことんヒロインを追い詰めて、自力で這い上がらせていないところがね。どこからともなく救いの手が差し伸べられる、なんて愛がないなぁ、、、。フランシスにはそんな自力さえない、と勝手に決め付けているかのよう。終盤なんか、甘すぎなんじゃ? ご都合主義っぽくないか? これでは、自分探しにもなっていないと思うんですけど、、、。
……というのは、かなりひねくれた見方だというのは承知の上ですし、別に、こういう作品はもっと軽~い気持ちで見て、サラッと流せば良いのです。でも、なーんか、見ていて気分悪くなったのです、私。だから文句を言いたくなってしまったのでした。
巷ではわりかし評判良いみたいですし、私の感性がねじくれているのは自覚しておりますので、本作がお好きな方に不快な思いをさせてしまっていたらすみません。
◆その他モロモロ
フランシスを演じたグレタ・ガーウィグは、確かにゴツいけれど、意志の強そうな美女です。ちょっと、フランシスの役のイメージとはズレている感じもなくはないですが、彼女が走っているいくつかのシーンは素敵です。全編モノクロなのも、かろうじて最後まで見ることが出来た要因かも。音楽もgoo。
ちなみに、このヘンテコリンなタイトルの意味は、ラストシーンで分かります。
自分探しモノなのに、探す前に答え出しちゃってあげてる。
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