作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv71093/
以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。
=====ここから。
それは愉快な夜になるはずだった。
哲学者で文学教授のステファン(クリストフ・マリア・ヘルプスト)と妻エリザベス(カロリーネ・ペータース)は、弟トーマス(フロリアン・ダーヴィト・フィッツ)と恋人、幼馴染の友人で音楽家のレネを自宅でのディナーに招く。
しかし、出産間近の恋人を持つトーマスが、生まれてくる子どもの名前を“アドルフ”にすると告げたことから、事態は思わぬ展開に。“アドルフ・ヒトラーと同じ名前を子どもにつけるのか? 気は確かか!?”と、友人のレネも巻き込む大論争の末、家族にまつわる最大の秘密まで暴かれる羽目に。
やがて、その話はドイツの歴史やナチスの罪にまで発展。ヒートアップした夜は、一体どこへ向かうのか……?
=====ここまで。
邦題から、ナチ映画を連想するかも知れませんが、さにあらず。フランスの戯曲を、本家ドイツで映画化。
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2月11日以来、4か月ぶりの劇場鑑賞。いやぁ、、、こんなに長い間、映画館に行かなかったのなんて、いつ以来かしらん?? 仕事帰りにシネスイッチ銀座で見て、終わってから夜の銀座を歩いたけれど、金曜の夜の銀座とは思えない閑散ぶり。人を避けずに真っ直ぐ歩けるなんて。宣言解除されてこれなのだから、解除前はゴーストタウンだったに違いない。
映画ファンの間ではSNSなどで、“映画館が再開されてスクリーンで映画を見られたら泣く!”というような書き込みがチラホラあったけど、私は映画好きを自認しているけど、別に泣けもしなけりゃ涙も出なかった。ただ、宣言下ではまるで劇場に行く気がしなかったけど、解除されて劇場再開の報を聞いたら、また脳ミソが元のモードに勝手に戻っているのには我ながら笑ってしまった。
……というわけで、久々に見たのはドイツのシチュエーション・コメディでありました。
◆アドルフに告ぐ
国書刊行会から、手塚治虫「アドルフに告ぐ」の豪華本が刊行されていて、これが2万円強もするのだけれど、欲しいなぁ、、、と思って某通販サイトをしばしば眺めている日々。給付金10万円が振り込まれたら申し込もうかな、、、などとセコいことを考えているところへ、本作の情報に触れたものだから、これまた“ナチもの”か? と思ったけれど、蓋を開けてみれば、そんな単純な映画ではありませんでした。
ちなみに、「アドルフに告ぐ」では、アドルフという名の3人の人物を軸に物語が展開される。けれど、本作では、生まれてくる子にアドルフという名をつける、、、というのは、ストーリーを展開させる起爆剤に過ぎない。邦題は、それを狙ってのことかどうかは分からないが、かなりのミスリード。現代はドイツ語で“ファーストネーム”という意味らしいので、この邦題はどうなのか、、、。
本作に一貫しているのは“人はいかにイメージでモノを見て判断しているか”ということ。それを、歴史や経済やジェンダーなどを肴にいろいろな角度から浮き彫りにしていくその脚本は、お見事と言うほかない。
アドルフと名付けると聞いたときの大人たちの顔が、一様にフリーズしているのが可笑しい。日本ではそんなネガティブな意味でタブーなお名前、ないよねぇ。東条英機の「ヒデキ」なんて、タブー感、まるでないしね。むしろ、ヒロヒトとか、アキヒトとかの方がタブー、不謹慎かしらね。大分前に「悪魔くん」騒ぎがあったけれど、強いて言うならば、本作のパンフにもあるが、「子どものファーストネームで両親の精神が分かる」という側面はあると思う。
トーマスは、皆に子どもの名前をアドルフにすることについて「(恋人の)アンナは賛成しているの?」と聞かれるが、それには答えず「(アンナは)ストレスで煙草ばっかし吸っている」と口走ると、皆一様に「妊婦のくせに喫煙しているのか?」とか「けしからん」という反応になり、「そんな女のことだから、アドルフなんて名前をつけることに頓着しないんだ!」と勝手に話が進んでしまう。トーマスは何も言っていないのにね、、、。
さらに、母親が喫煙していると、「産まれてくる子の背が低くなるって聞いたことがある」「背が低いと社会的に不利だ」、、、などとステファンとエリザベスの夫婦は心配しているんだけど、それに対してレネが「じゃあ、プーチンは? トム・クルーズは?」と突っ込む辺りは、ドイツ人っぽいかもネ。劇場でも笑いが起きていた。
アドルフという名前が引き金になって、いろんな偏見・思い込み・決めつけの言葉が飛び交うことになる。
◆ジェンダーの根深さ
私が本作を見ていて序盤から気になっていたのは、アドルフのことではなく、エリザベスが一人でキッチンとリビングを行ったり来たりして食事の支度や片付けに追われていることだった。序盤に出ている4人のうち、女性はエリザベス一人。ドイツでもそうなのか、、、と。しかし、元はフランスの戯曲だから、ということは、フランスでもそうなのか、、、と。しかも、男3人は手伝おうともしないのだ。
4人で話していて、話が佳境に入りそうになると、エリザベスはキッチンに行かなければならなくなる。「私が戻ってくるまでその話はちょっと待って」と頼んでおいても、戻ってきたら、男3人で話が進んでしまっている。私がエリザベスなら、男たちにもどんどん仕事振るのになぁ~と思いながら見ていた。
すると、やっぱりこのことは伏線になっていたのだった。終盤にかけての展開は、エリザベスにフォーカスされるんだが、ここでエリザベスが吐くセリフが、いちいち説得力があるのは、そういう中盤までの描写があったからなわけで。エリザベスは、私より少し上の年代の設定になっているが、まあ、それくらいの年代だと、ドイツでもやっぱりそうなんかなぁ、、、という気もした。ジェンダーが根強く残っているのは、何も日本だけではないのだ。
途中から、アンナが登場し、女性が増えると雰囲気が少し変わる。とはいえ、そこは、単純に男VS女などという図式にはもちろんならない。
ちょっと、ポランスキーの『おとなのけんか』に似ているかな。あの映画ほど登場人物が戯画化されてはいないけれど、対立軸がコロコロと変わるところなどは同じ手法のように見える。『おとなのけんか』の方が、かなり意地悪な気はするが。
舞台となるステファンとエリザベスの家がとってもステキで、インテリアにやたら目が行ってしまった。あんなステキな家、1週間くらい滞在してみたいわ~。掃除とかお手入れとか凄く大変そうなので、住んでみたいとは思わないけど。外観や庭も、上品でうっとりしてしまう。
終盤に、え゛~~!な展開が待っていて、それが結構微笑ましいエピソードでもあり、その辺りが『おとなのけんか』よりマイルドだと感じた次第。ただ、え゛~~!な理由は人によるみたいだけど。私はレネがゲイだとはゼンゼン思っていなかったので、そこは別にえ゛~~!ではなかったんだけど、彼をゲイだと思って見ていた人も結構いるようなので、その人たちにとってはえ゛~~!がより大きかったみたい。……ご覧になっていない方には何のことやらさっぱりだと思いますが。
アドルフと名付ける予定だった(?)赤ちゃんは、女の子でした。
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