作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv81812/
以下、公式HPよりあらすじのコピペです。
=====ここから。
美しい山々に囲まれたチリ南部のドイツ人集落。“助け合って幸せに”をモットーとするその集落に、動物が大好きなマリアという美しい娘が暮らしていた。
ある日、ブタを逃がしてしまったマリアは、きびしい罰に耐えられず集落から脱走してしまう。逃げ込んだ一軒家で出会った2匹の子ブタに「ペドロ」「アナ」と名付け、世話をすることにしたマリア。だが、安心したのも束の間、森の奥から彼女を探すオオカミの声が聞こえはじめる。
怯えるマリアに呼応するように、子ブタは恐ろしい姿に形を変え、家は悪夢のような禍々しい世界と化していく……。
=====ここまで。
☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆
公開前から頻繁にTwitterのTLに流れて来た本作の告知。それを見ても、ふ~ん、、、という感じだったのだけど、アリ・アスターが激推ししていると知って、ますます興味が失せたのでした(彼の映画は2本ダメだったので、、、)。
じゃあ、何で劇場まで見に行ったのかというと、公開直後から満席御礼が続いていて、見た人たちが「すげぇ」だの「ヤバい」だのと褒めてんだか貶してんだか分かんないツイートを上げていて、しかもあの悪名高い“コロニア・ディグニダ”にインスパイアされたと聞けば、むむっ、、となってしまったのでした。コロニア・ディグニダについては、こちらをご覧ください。……まあ、非常にヤバい組織です。
そんなわけで、都合、2回も見てしまったのだけど(理由は後述)、もうネット上には読み解きも感想も溢れているので、思ったことをつらつら書きます。
◆ちょっと飽きる。
アニメはあんまし見ないので詳しくないのだが、ちょっと見たことのないアニメーションではあった。とにかく、終始、絵が動き続けており、それも(うまく言えないけど)制作過程を見せられている様なアニメーションなんである。だんだん人型になっていったり、逆に、人がだんだん背景と化していったり、、、。
……でも、斬新さにも15分くらいで慣れてしまうのだった。ず~っとあの調子で80分は、アニメ好きでない者にとってはなかなかの苦行で、早々に飽きる。セリフはあんましないので、その落ち着かないアニメーションを凝視していなければならない上に、そもそも色々と分かりにくいので、多くの人が睡魔に襲われたというのも納得。私も、ご多聞に漏れず、中盤で少しウトウト、、、。でもまあ、多分ほんの2~3分だったと思うよ! ……知らんけど。
致命的なのは、ラストシーンで意識が飛んでしまっていたことですな。気が付いたらエンディング。なので、オチが分からなかったという、、、。
本作は、主人公のマリアという少女が逃げ出したとある集団が、実はやはり素晴らしい場所であった!ということを宣伝するためのフィルム、という設定であるのだけれども、オチが分からないと、マリアは逃げ出して、終始逃げまどうだけで、どうしてとある集団の宣伝になるのさ??という不可解なことになる。
~~以下、ネタバレですのでよろしくお願いします。~~
で、2度目に鑑賞したときは、ちゃんと終始覚醒していたので、ようやく理解できました。
マリアは結局、とある集団に自らの意志で戻って行くのです。あぁ、あの場所は実は素晴らしかったのだわ!……と。逃げ出した先の暮らしが酷くて、逃げ出す前の方がマシだった、、、て、これカルトに限らず、DV被害者とか、虐待被害者とかでもあるパターンで、終わってみれば一見難解そうな本作のストーリー自体はシンプルだったみたいである。
序盤、マリアが逃げ込む家の描写がいきなり不気味なのだが、美輪明宏みたいな声でBGMのように「まり~あ~~、まり~あ~~~~、、、」って流れるのが、何か生理的にイヤだった。いや、美輪明宏の声は別に嫌いじゃないんだけれども、、、。
豚2匹と一緒に逃げて来たマリアだが、その豚が、いつの間にか人間になっていて、逃げ込んだ家の周りはとある集団から放たれた“オオカミ”がいるから外に出られなくて、食料も尽きてどうしようもなくなる、、、、とかいう展開だった。
うぅむ、きっと哲学的に見ようと思えば見られる映画なのだろうが、どうも私はあのアニメーションがダメだった。何度も言うが、飽きる。……というか、ウンザリしてしまったのだよね、途中からあのトーンが。ずーーーーっと一本調子なもので。もう少し抑揚をつけるなりしてくれれば良かったのだが、それはきっと監督らの意図するところじゃないんでしょう。
◆併映の短編
本作の上映前に、10分程度の『骨』というアニメーション作品が併映されているのだが、私はこちらの方が気に入った。あの独特過ぎるアニメーションには、このくらいの尺が合っていると思う。
内容は、『オオカミの家』同様にイマイチよく分からないが、どうやら、2人の男を罰したいらしい女性の物語だということは分かる。見終わってパンフを読んで、その背景を知りのけぞってしまった。これ、実在の女性と2人の男の物語をベースにした作品だったのね……。いやぁ、、、グロい。
これだけじゃ何のことやら、、、と思いますが、ご興味おありの方は見ていただいた方が良いです。
この『骨』は、大昔のフィルムが2023年に発見されたので修復して見られるようになった、、、というフェイク・ドキュメンタリー調であり、一瞬私も騙されそうになって、途中で“んなわけないか”となったのだが(私、このフェイク設定に引っ掛かりそうになるのよね)。この『骨』の本邦公開は今年だけれども、制作年は2019年だったみたいで、当時見れば、これが明らかなフェイクであることは分かる、という仕掛けだったのね。こういうのも、なかなか面白い。少なくとも『オオカミの家』のカルトの宣伝映像、、、という設定よりは見やすい。
◆2度見に行った理由
というわけで、さほど気に入ったわけでもない本作を、何で2度も見に行ったかというと、前回の感想文『ファルコン・レイク』と、そこでも書いたがワーナー100周年企画で上映された『ダーティ・ハリー』の上映時間の間が3時間半もあったのよ。3時間半という微妙な時間、渋谷から移動するにはちょっと短いし、渋谷で見られて3時間半の間にすっぽり収まる様に上映されている映画、、、というと、本作だけだったのでした。
あと、前述のパンフが、初回見たときは売切れで、見本が置いてあったのでザっと見たら、色々な背景が詳細に書かれていて欲しくなってしまい、パンフ欲しさに2度目を見た、、、というのもある。
で、パンフを読んだのだが、監督のインタビューとか制作経緯とか、それらも面白いんだけど、私が一番グッときたのは、「眠るのは嫌い 夢を見るから――。」というタイトルのインタビュー記事。インタビュイーは臨床心理学者で東洋大学の教授・松田英子氏。この方のお話が、私が本作を見て漠然と感じたものを言語化されていて、ちょっと色々腑に落ちたのだった。
その中で「心理支援者としてはそういったトラウマがある人たちには観てほしくないなと思いました」と語っている所が、妙に納得だった。「そういったトラウマ」というのは、「色々な支配下に置かれ」たことで負ったトラウマを指している。なぜ観てほしくないと思ったのかについては、直截的にはやはり「救いがない」からであり、間接的には、「逃げ出そうともがいている人たちに向けて「マインドコントロールを解くヒントがいくつもあったのにね」というメッセージを感じ」たからだと、話している。
この、逃げ出したいのに、逃げるのが怖い、逃げられない、、、ってのは、私も経験者なので、本作にウンザリしたのはアニメーションだけではなく、そのことについての拒否反応があったのも事実。絶望感を上塗りしてくる感じ。本作自体が、私からしてみれば“逃げたいのに逃げられない”映画になっている。……なーんて、2度も見ておいて何言ってんだか。
人形の造形が、ちょっと舟越桂の彫刻に似ている、、、と感じたのは私だけ??
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます