福ちゃんの散歩道

コロナ禍で関空での遊びも卒業、栂地区ウオーキングコースを中心に近場の日々の散歩で何か見つけよう。🚶‍♂️🚶‍♂️

11月5日(月)のつぶやき

2018-11-06 02:10:06 | 0 話題& ひろい読み &つぶやき

旧堺灯台&龍女神像 堺旧港を ぶらり・・・・ウオーキングです🚶🏽‍♂️🚶‍♀️

2018-11-06 01:00:48 | ★気儘にぶらり 再発見😲 面白いなぁ?
旧堺灯台
国指定史跡の木造洋式灯台を目的 序でに 龍女神像を
訪ねてみた
★順路
堺東駅 バスターミナル ➡︎ シャトルバスにて10分 南海本線 堺駅行終点
堺駅からは至近距離だ。
駅 南の南蛮橋を渡り右折して道なりで堺旧港に出る



進むと側道に


こんな石柱も

進むと大きな水門 竪川水門(たてかわすいもん)


旧堺港に出る ・・・・竪川で海ではない
呂宋助左衛門 の像・・・下記参照


➡︎右に行くと龍女神像
⬅︎左に行くと旧堺灯台
●右➡︎先に龍神女神像に行ってみる

港湾沿いの歩道がある様に見えたので行ってみようと・・進むと、台風21号の被害で歩道は進入禁止。引き返すのも癪だからメチャ大回り。
本来は港沿いに遊歩道がある。一旦、迂回で市街地道路を進んだが距離がある😡

立て札もなく不親切だ マア、誰もあまり行かないのかなぁ




★ 明治36年内国勧業博覧会で大浜水族館前に設置。平和と繁栄のシンボル「乙姫さん」の愛称で親しまれたが、廃館で撤去された後平成12年市制110周年記念事業で北波止突堤に復元建設されました。

さあ、引き返そう。向こう側の阪神湾岸高速道路を潜り抜けた所。トホホ・・・距離がある!

観光 ボートも

さあ ぐるりと

今日は何歩になるかなぁ




●旧灯台 一度訪ねてみたいと・・・好天に誘われてやって来た。



対岸工場の壁













大浜公園を通り抜け


来たポイントに出て

後にした

堺駅前のモミュメント? 名は「フェニックス・アーチ」。平成6年の作品です。

まだ陽は高い



堺駅➡︎堺東駅 シャトルバスにて

本日の総歩数計 約 13700歩 家内携帯電話でのカウント数

●正直なところ・・・・わざわざ出かける程でもない。が、5km〜10km ウオーキングコースを設定して
回れば面白いかも・・・妙國寺や菅原神社や利休屋敷跡(狭く???)その他、健脚レベルで・・・・・・
旧灯台方面はコンビニもトイレもないので要注意だ。トイレは大浜公園テニスコート横にある。

✳️余談

呂宋 助左衛門(るそん すけざえもん、永禄8年(1565年)? - 没年不詳)は、戦国時代の和泉国堺の伝説的貿易商人。本名は、納屋助左衛門(なや すけざえもん)。堺の貿易商・納屋才助の子。
呂宋以外にも別名で菜屋助左衛門(なや すけざえもん)や魚屋助左衛門(ちや すけざえもん)ともいう。
『太閤記』などによれば[注釈 1]、安土桃山時代にルソンに渡海し、貿易商を営むことで巨万の富を得た。文禄3年(1594年)7月20日、織田信長の後を継いで天下人となった豊臣秀吉に対して蝋燭、麝香、真壺、ルソン壺(呂宋壺)、唐傘、香料など珍品を献上し、秀吉の保護を得て日本屈指の豪商として活躍した。
慶長3年(1598年)、あまりに華美な生活を好んだため、石田三成ら文治派の讒言によって、秀吉から身分をわきまえずに贅を尽くしすぎるとして邸宅没収の処分を受けることになるが、事前に察知してその壮麗な邸宅や財産を菩提寺の大安寺に寄進して日本人町のあるルソンへ脱出した。一説には献上したルソン壺が宝物ではなく一般に売られていた物(現地人の便器)だと発覚したことから秀吉の怒りを買ったともいう。
慶長12年(1607年)、スペインがカンボジアに介入した後にルソンからカンボジアに渡海し、そこでカンボジア国王の信任を得て、再び豪商となったとされる。


旧堺灯台
★南海本線堺駅の西約1キロメートル、堺旧港の突端に位置する旧堺燈台は、明治10(1877)年に建築された建物である。現地に現存する木造洋式燈台としては、わが国で最も古いものの一つとして、昭和47年に国の史跡に指定されています。
 建築にあたっては、堺市民(当時は堺県)の寄付と堺県からの補助金により経費がまかなわれました。土台の石積みは堺旧港の港湾整備と併せて備前国(現在の岡山県)出身の石工・継国真吉が携わり、建築工事については、堺在住の大工・大眉佐太郎が行いました。また、灯部の点灯機械の取り付けは、横浜の燈台寮よりバービエール社(フランス)の機器の購入を行い、英国人技師ビグルストーンが携わりました。
 その後、約1世紀の間、大阪湾を照らしつづけましたが、周辺の埋め立て等により、昭和43年にはその灯りを消すことになりました。
 近年老朽化が著しかったため、平成13年度から18年度まで保存修理工事が行われ、往時の姿が甦りました。

巨大なモミュメント
南海本線「堺」駅の東口ロータリーには巨大なモニュメントがあって、市民に親しまれています。作品名は「フェニックス・アーチ」。平成6年の作品です。

この駅の近くには通称フェニックス通りもあって、堺ではやたらフェニックスが名称として使われますが、これは堺の町が歴史上3度も戦火によって焼き払われ、その度に住人の手によって不死鳥のごとく蘇ったことのシンボルなのです。
作家はメキシコ人アーティスト・セバスティアン氏


✳️堺とは❓

堺市は近畿地方の中部、大阪府の中南部に位置し、2006年4月に日本で15番目、近畿地方では4番目に政令指定都市に移行した、大阪府で人口・面積が第二の都市です。
堺市周辺に人が定住し始めたのは旧石器時代のころ。市内の遺跡からは、約1万年前の打製石器や、縄文時代の土器・石器、弥生時代の銅鐸・土器などが発掘されています。4~5世紀には大和朝廷が成立しましたが、堺には仁徳天皇陵古墳をはじめ、100数基から成る百舌鳥古墳群が造られました。
平安時代、この地が摂津・河内・和泉の3国の境に位置しているところから「さかい」と呼ばれるようになりました。
鎌倉時代には漁港として発達し、その後西日本の海運の拠点として発展。
そして戦国時代、堺は貿易港として黄金の時代を迎えます。堺は、対明貿易や南蛮貿易など海外との交流拠点として発展しました。当時の堺は世界でも珍しい環濠都市を形成し、自治都市として繁栄しました。
明治以後、近代工業の発展、人口の増大、市域の拡大、交通の発達など急速に近代化が進み、今日も力強い発展を続けています。

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2020年5月
旧堺燈台
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