2020年新春プレイバック
モ701形
阪堺電気軌道モ701形電車(はんかいでんききどうモ701がたでんしゃ)は、
1987年に登場した、阪堺電気軌道が保有する路面電車用電車。
阪堺電気軌道としてはモ351形以来24年ぶりとなる新車で、
南海電気鉄道(南海)から大阪軌道線が分離した後、初めての新車。
阪堺電気軌道の主力車両である。
1995年までにモ701〜モ711の11両が東急車輛製造で製造された
今日の運行は全車両稼動している
①701号
★以前の旧塗装
②702号
③703号
④704号
★以前は
⑤705号
⑥706号
⑦707号
⑧708号
⑨709号
⑩710号
★以前はパンダ(アドベンチャーワールド)だった。スポンサー変更。
11)711号
★阪堺電気軌道1001形電車(堺トラム)
阪堺電気軌道1001形電車(はんかいでんききどう1001がたでんしゃ)は、2013年8月25日から営業運転が開始された、阪堺電気軌道が保有する路面電車車両である。車両の愛称は「堺トラム」。阪堺電車では初めてアルナ車両で製造された。
⚫︎第1編成の1001号車(編成呼称「茶ちゃ」)は2013年2月に完成
⚫︎第2編成の1002号車(編成呼称「紫おん」)は2014年2月に完成
⚫︎第3編成の1003号車(編成呼称「青らん」)は2015年2月に完成。
本日の稼働は
❶1002号
❷1003号
以上、2020.1.4. 阪堺電車の初撮りでした。運行サイクルの短い元旦〜3日に行くのがBestです。
★運行間隔:元旦〜3日:天王寺駅⇄我孫子道駅4分間隔。 恵比須駅⇄我孫子道駅12分間隔。我孫子道駅⇄浜寺公園駅8分間隔。
4日まで特別運行で5日から通常運行。
★❶車両基地に待機車両
他にも数輌基地内・・・モ161形のようだ。
❷堺トラム 1001号車・・・過去の撮影
★阪堺電気軌道の歴史
設立経過
これまで、路面電車はモータリゼーションの著しい進展による乗客減少や、道路交通の増加などによる経営難から、各地で廃止があいついだ中にあって、南海電気鉄道軌道線は懸命な企業努力により、立派に輸送の使命を果たしてまいりました。
そして、昨今は省エネルギー時代に適した低公害で便利な交通機関として、むしろ社会の期待は高まりつつあります。このような要請に応えるためには、路面電車の実態に即応した、より、きめの細かい経営・管理体制の確立が強く望まれるところでありましたが、南海電気鉄道では平野線の廃止を機会に、軌道部門を別会社として分離・独立させることとし、昭和55年12月1日、阪堺線・上町線が「阪堺電気軌道株式会社」として新発足いたしました。
沿革 上町線、阪堺線の主な歩みは、次のとおりです。
上町線
当線の前身は、明治30年5月に設立された大阪馬車鉄道株式会社です。馬車鉄道とは、今日からすれば風変わりな乗り物といった印象を与えますが、その名が示すとおり軌道に乗った客車を馬が引っ張るというもので、当時としてはモダンな交通機関として脚光を浴び、全国各地でその姿を見ることが出来ました。
ところで、同社は設立から3年後の明治33年9月に天王寺西門前から東天下茶屋間を開通させたのを皮切りに、同年11月には上住吉、同35年12月には下住吉までと順次路線を延長していきました。やがて同社は沿線一帯の開発が進み乗客数が増えたことなどもあって、馬車鉄道を廃止し電化工事に着手しましたが、工事なかばの明治42年12月南海鉄道に合併、上町線とよばれるようになりました。電化工事は南海鉄道が引き継ぎ、翌43年10月1日に完成、同日から天王寺西門前~住吉神社前間の営業運転をはじめました。さらに大正2年7月、住吉神社前~住吉公園間の延長工事が完成、南海本線との連絡が可能になりました。その後同10年12月、天王寺西門前~天王寺駅前間を大阪市に譲渡、これによって同線の起点が現在の天王寺駅前となり、ほぼ今日の姿に近い状態になりました。
阪堺線
明治43年3月に設立された旧阪堺電気軌道株式会社が阪堺線のおこりです。同社は片岡直輝氏らが発起人となって、大阪市~浜寺村間および堺市宿院~大浜間の2路線に電気鉄道を建設する目的で設立されました。 明治44年12月に恵美須町~大小路間、同45年3月に大小路~少林寺橋(現・御陵前)間、そして同年4月に少林寺橋~浜寺駅前間が開通、阪堺線の路線が完成しました。
こうして路線の完成をみた旧阪堺電気軌道は、競合する南海鉄道とはげしい旅客誘致競争をおこないましたが、やがて大正4年6月、両社は合併、南海鉄道の阪堺線となりました。
戦中から今日までの阪堺線・上町線
時代が進み、昭和19年6月1日、南海鉄道は戦時中の企業統合政策により、関西急行鉄道と合併、社名を近畿日本鉄道と改称、上町線・阪堺線は同社の天王寺営業局の所属になりました。
戦後、上町線・阪堺線は同様に旧南海鉄道に属した鉄道線と一緒に、昭和22年6月に新発足した南海電気鉄道に引き継がれ、さらに昭和55年12月1日、阪堺電気軌道として再スタートを切ることになりました。
路線図