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現代では、「楽をして、多くのお金を稼げれば、幸せ」であるかのような風潮も見られる。

 

だが、本当にそうか。

 

慶応、明治、大正、昭和を生き、大学教授でありながら、高額所得者にも名を連ねた本多静六の生き方は、現代の私たちに、「お金の使い方とは、どうあるべきか」を問いかけているようにも見える。

 

本誌10月号では、「『生涯現役』の体現者 本多静六に学ぶ ─良書を読み、『人生計画』を立てよう─」を掲載したが、今回は、それとは異なる切り口で、「本多静六に学ぶお金の使い方」について見ていきたい。

 

 

戦前という時代に19回の海外渡航で国際的な知見を広げ、社会の発展に役立てた

本多静六の「お金の使い方」は、人々を幸福にする智慧に裏付けられていた。

 

例えば、海外渡航が難しかった戦前に、19回もの海外渡航を行った理由は、国際的な知見を広げ、深め、社会の発展に役立てるためであった。

 

その経験があったからこそ、東京市長として東京の都市計画をつくった後藤新平、500社余りにのぼる企業の設立・経営に関わった渋沢栄一、安田財閥を設立した安田善次郎などのブレーンとして活躍することができた。

 

文明開化以降、欧米の背中を追いかけていた日本では、海外の動向を知る人物の存在は、極めて貴重な存在だったからだ。

 

 

未来の若者のために、山林を買い集め、奨学金をつくる──植福の思想

私財を投じて東京都の水源地にあたる山林を買い取って整備するなど、100年以上先を見越した仕事をも手掛けている。そうした事業には、未来の人々のために徳を積む「植福」の思想が流れている。

 

埼玉の秩父の山林を買い取り、それを埼玉県に寄贈して奨学金をつくった時の、次のような逸話がある。