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《本記事のポイント》

  • ボスに牛耳られるルーマニアの地方の実態
  • 欲望と正義の間で揺れる人間の"悪の凡庸さ"
  • あの世で神の前に立つときに、必要なものとは

 

 

ルーマニア・モルドヴァ地方の静かな村の中年警察官イリエ。鬱屈とした日々を送っている彼の願いは、果樹園を営みながら、ひっそりと第二の人生を送ること。しかし平和なはずの村で惨殺死体が見つかったことをきっかけに、イリエはその残忍さと直面する。欲望と正義の間で揺れるイリエがたどり着く、結末とは──。

 

監督は長編2作目『Două lozuri』(2016)で同年のルーマニア興行収入1位を獲得した新星パウル・ネゴエスク。本作では、ルーマニア・アカデミー賞(GOPO賞)6冠の快挙を成し遂げた。

 

 

ボスに牛耳られるルーマニアの地方の実態

本作の興味深い点は、EU加盟国でもあるルーマニアの農村に、今もはびこっている因習深い統治の実態が描かれていることである。

 

学習院女子大学の中村崇文教授によると「ルーマニアの孤立した地域では通常、司祭と村長が村内での数え切れないほどの犯罪や権力の濫用(ウクライナ人とのタバコの密売、熱狂的な罪、木材と関わるビジネスなど)の共犯者である。警察官はたとえ何が起こっているのかをよく知っていたとしても、見て見ぬふりをするのである」(映画パンフレットより)という。

 

映画では村長が神父と共謀してある男を殺し、男の妻を我が物にしようとする。村でただ一人の警察官であるイリエは、村長の暴虐を見て見ぬふりをし、ひっそりと第二の人生を送ることに関心を向け続ける。

 

しかし、新しく着任した新人警察官ヴァリが村中で聞き込み捜査を行い、混乱を巻き起こす。イリエは村の掟を踏みにじるヴァリが危険にさらされることを慮り、捜査をやめさせるものの、その忠告を聞かなかったヴァリは、村長の差し金によって、村の荒くれ者たちに半殺しにされてしまう。

 

背骨を折られ、舌を切られた無残なヴァリの姿に取り乱すイリエ。事なかれ主義に生きていた彼の中に、何かが目覚め始める。

 

平穏な人生を望むのか、正義に生きるのか、人生の岐路に立たされた警察官イリエの心の葛藤が、ルーマニア農村の陰影ある美しさを象徴として巧みに描かれている。

 

 

欲望と正義の間で揺れる人間の"悪の凡庸さ"

イリエの願望が果樹園を購入して、第二の人生をのどかに暮らすことだと知った村長は、ぴったりの果樹園を譲渡することで、イリエを抱き込もうと画策する。

 

果樹園を貰い受けて、悠々自適の将来を手にしたイリエは足しげく果樹園に通い出し、将来の人生の構想に夢中になろうとする。しかし、果樹園主としての余生は、村の残忍さの一部となることにほかならないという冷厳な事実を次第に自覚し始める。

 

しかも、自分の手に入れたものが、同僚の犠牲の上に築かれたものである事は否定のしようがない。イリエは寝付けなくなり、酒の力を借りるようになる。

 

イリエのごとく、自分の安楽な生活と引き換えに、他の人間を犠牲にしても厭わないような人間の愚かさを、ユダヤ人哲学者のハンナ・アレントは、ユダヤ人をガス室送りにしたナチス・ドイツのアイヒマンへの裁判を傍聴した手記の中で"悪の凡庸さ"と表現した。

 

この"悪の凡庸さ"について、大川隆法・幸福の科学総裁は『大川隆法 思想の源流』の中で次のように指摘している。

 

(ユダヤ人にとって)「アイヒマンは、やはり、悪魔でなければいけないわけです。"あくまでも悪魔"でなければいけないわけです。すごい悪魔で、"悪魔のナンバースリー"か何かでなければいけないぐらいであるはずなのに、アレントは、『凡庸で平凡だ。陳腐だ。あまりにも平凡で、誰でもやるようなことをやっただけだ』としました。

 

要するに、若き日にハイデガーから、『人間というのは、デンケン(denken)、考えるということが大事なのだ』ということを繰り返し教わっていたけれども、このアイヒマンは、『"デンケン"できないドイツ人』だったわけです。『考えることができず、ただ、命令どおり、マニュアルどおりに全部やっていただけの人間で、これは村役場に勤めている人間と変わらない。どこにでもいる』ということです。ある意味では、それはそのとおりでしょう

 

不正がまかり通る中で正義を貫こうとすれば、たちどころに爪弾きにされたり、攻撃されて窮地に陥ることは、ままあることではある。

 

しかし、逆に、たとえ目の前の問題をうまく切り抜けたとしても、最後は、死んだ後に霊魂となり、すべてを見通している仏神の前に立たされることになる。その真実について、この世で生きている間に考えを巡らさないことそのものが、人間の愚かさの根源であると言えるだろう。

 

 

あの世で神の前に立つときに、必要なものとは

この映画のクライマックスは、立て続けに自らの愚かさを見せつけられたイリエが、最後に警察官として"自らの正しさ"を証明する行動に出るところである。

 

その姿は聖書外典に描かれた、イエスの弟子ペテロの最期を彷彿とさせる。

 

イエスの最期が迫る中で、ペテロはイエスから「今日、ニワトリが鳴くまでに、あなたは三度、私を知らないと言うだろう」と予言される。

 

その予言が成就した後、ペテロは激しく後悔し、その後、弟子のリーダーとしてイエス教団をまとめあげ、最後にローマで処刑されたとされる。

 

聖書外典であるペトロ行伝によると、ローマで布教していたペテロは、迫害が激しくなるのを目の当たりにして、市外へと逃れる道すがら、ローマに向かうイエスとすれ違ったという。

ペテロが「主よ、どこへ行かれるのですか」と尋ねると、イエスは「あなたが、私の民を見捨てて逃げるので、私が代わりに行って、もう一度、十字架にかけられるのだ」と答える。ペテロは急いで引き返し、逆さ十字にかけられて殉教したのだという。

 

大川隆法総裁の著書『地獄に堕ちないための言葉』には「主への信仰を護れ。この世は仮の世である。信仰している自分を守り抜くことが、全てを守り抜くことになるのだ」と説かれている。

 

田舎のごく平凡な中年警察官を主人公にしながら、欲望と正義の間で揺れる人間の愚かさを巧みに描いたこの作品は、ルーマニアの人々に深く根付くキリスト教的価値観と、死後に裁きが待っており、神の前に立たされた時に、「その御顔を見つめることができる人間なのか」を自ら問いかけながら生きることの大切さを、改めて思い出させてくれる。(T・T)

 

『おんどりの鳴く前に』

【公開日】
全国公開中
【スタッフ】
監督:パウル・ネゴエスク
【キャスト】
出演:ユリアン・ポステルニクほか
【配給等】
配給:カルチュアルライフ
【その他】
2022年製作 | 106分 | ルーマニア・ブルガリア合作

公式サイト https://culturallife.co.jp/ondori-movie

 

【関連書籍】

 

大川隆法 思想の源流

『大川隆法 思想の源流』

大川隆法著 幸福の科学出版

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地獄に堕ちないための言葉

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大川隆法著 幸福の科学出版

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