『パリは燃えているか』(パリはもえているか、仏:Paris brûle-t-il?、英:Is Paris Burning?)は、1966年のアメリカ・フランス合作の戦争映画。
ラリー・コリンズ、ドミニク・ラピェールによるフランス・レジスタンス(共産主義者とドゴール派)と自由フランス軍によるパリの解放を描いたノンフィクションの原作をルネ・クレマンが監督した。脚本はゴア・ヴィダルとフランシス・フォード・コッポラが担当している。
以上がこの映画の概要であるが、きょう、ぼくががこの映画について興味を惹かれ不思議だと思う箇所について少し考えを述べてみたい。
この映画はナチス占領下のパリ市で連合国軍のフランスのノルマンディー上陸によりドイツ軍が撤退を余儀なくされ,
パリ市が解放される局面を描いた戦争映画なのである。
ヒットラーの命によりパリ市全域を破壊するようにとの命令にも関わらずパリ市を破壊することなく連合国軍に投降したパリ守備隊のドイツ軍将校の行動がこの映画の一つのテーマとなっているように思われます。
普通、軍人であれば上官の命令には服従するのが任務として当然なのですが、独コルテッツ将軍は本国の指令を守ることはありませんでした。それは一つにはパリ市を破壊することはなかったこと、さらには仏のレジスタンス軍との休戦を行ったことです。
そして、連合国軍がパリ市に進駐してきた時にスウェーデン総領事を通して自ら連合国軍に投降したのでした。
これはナチス・ドイツの将校としては異例な行動です。
第二次大戦時の日独伊軍事同盟の3国の軍人は徹底抗戦を強いられるのが常でしたが(特にわが国では)、それを自らの意思で投降した例は多くはありません。
ですからこのコルテッツ将軍は特異な行動をしたことになります。
彼が本国からの指令を拒んでまで守ろうとしたものは何だったのでしょうか?
部下と共に撤退をしてベルリンまで逃げ帰る事はしなかったのはなぜなのでしょうか?
この映画ではその点については多くは触れられてはいません。
彼が取った行動が何故なのかの理由を考えてみました。
映画の中で「パリの2000年の歴史は守られた」との言説がありました
歴史の古いパリ市には多くの貴重な建物や美術品を収蔵する美術館などがあります。
ナチス・ドイツのヒットラーはホロコーストなどの残虐行為を命令した戦争指導者でしたが、一方では美術品の愛好家でもありました。
ヒットラーがフランス国内の貴重な美術品を欲しがったことは知られています。
彼は、欲しかったものが自分の手に入らないと悟った時、その美術品の徹底的な破壊を命じたのです。
これは何もヒットラーが性格異常者だったわけではありません。
自分の手に入らないものを他人に渡すよりはいっそ破壊してしまえ、と考えるのは一般的には理解できる行動です。
そして事実、ナチス・ドイツがその時に置かれていた状況は、まさしく個人がそのような状況にあるときと同じ精神の構造です。
さて、そのような局面にあってパリ市防衛隊の司令官であったコルテッツ将軍はパリを破壊することはしませんでした。
彼の部下との対話の中でつぶやいた言葉が印象にあります。
パリ市の徹底的破壊を命じられた時、「彼(ヒットラーのこと)はもはや、正常ではないのだ」と部下がいるときに一人つぶやいたのでした。
戦局と本国の状況を正確に把握していたのは、元論ヒットラーではなく、コルテッツ将軍のほうです。
将軍の判断は結局は正しかったことになるわけです。将軍は「パリの2000年の歴史は守られた」との自負を持っていたのでしょう。ですから、部下を道ずれに徹底抗戦の道も選択しませんでした。
連合国軍に投降したのです。
戦後、この将軍は裁判にかけられますが、戦犯として死刑になる事もなく釈放後は1966年まで生き永らえました。
1966年は、くしくもこの映画「パリは燃えているか?」が公開された年です。
彼が生前にこの映画を観たのかは知れませんが、もし彼がこの映画を観たならば、どんな感慨を持ったことでしょうか?
この映画のテーマはパリ市の開放に至る政治勢力による様々な政治過程が述べられているのですが、副題として「美的なものが人に与える心的影響」もあるのかも知れませんと思った次第です。
戦争を題材としたものとしては異色の映画です。
本篇が173分にわたる大作の映画でしたが、プロットの運び、細かい描写などに無駄がなく、脚本の出来が良いと思わせる作品でした。
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