寺山修司という人は47歳の若さで亡くなっている。青森県に生まれた寺山は地元の高校を卒業後、早稲田大学に進学した。名司会者として知られる大橋巨泉が早稲田に入学して俳句の道に進もうと考えたのであるが、先に入学していた寺山の存在を知って、巨泉は寺山には敵わないと思い、俳句の道を断念した、と後年語っている。そんな彼は多方面で才能を発揮したのであるが、著作に次の書名の評論集がある。「書を捨てよ町に出よう」である。1967年頃の出版である。
さて、今のコロナ禍のご時世に寺山が生きていたら、彼は同じように「町へ出よう」と言っただろうか。寺山が当時、語ったこの言葉は書斎や教室で書を読むばかりが人生ではない。外に出て町の中で生きてみないか、という主旨であった。しかし、今のご時世では「町へ出る」事は控えるようにと言われている。寺山はそれでも「町へ出よう」と言うだろうか。彼だったら、それに変わる何かをきっと見つけたに違いない。
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